第78話 回想⑬ 見つけた ~ミカ視点~
「コヒュー……コヒュー……」
松明の弱々しい橙色の炎がじちじちと不気味に爆ぜる、世界の色彩をすべて失った暗闇の奥から届いたのは、細く、掠れた、獣のような不快な呼吸をする音だった。
一切の風が流れることもなく澱んだ空気の真ん中で、その濡れた音が妙にクリアに鼓膜を揺らす。
私は右手に持ったナイフの柄を、手のひらにじわりと冷や汗をにじませながら強く握り直し、その音がする方角へと、自らの足音を完全に殺しながら、ゆっくりと、細心の注意を払って近づいていった。
もしもまだ動ける奴が隠れていて、暗闇から不意を突かれれば、私では命はない。
心臓の激しい鼓動を必死に抑え込みながら、一歩ずつ慎重に床の赤土を踏みしめていく。
松明の橙色の光がその音の主をぼんやりと映し出した瞬間、そこに仰向けになって倒れていたのは────
あの夜、アミとノルンの前で、私の必死に隠してきた惨めな嘘をすべて嘲笑って残酷に暴いた、あの女だった。
その女は冷たい地面の上に力なく転がり、かろうじて喉の奥を鳴らして、途切れ途切れに息を吐き出している。
上空の大穴からこの硬い石床へと叩きつけられたその身体の損傷自体は、腰から下の下半身を完全に粉砕されていた、さっきの男三人組の死体に比べれば、運良く何かに引っかかったのか、一見すれば軽そうに見えた。
けれど、防具の隙間から剥き出しになった肌の所々は、落下の衝撃か奈落の瘴気によるものか、細胞が不気味にドス黒く壊死しており、空間の冷え切った空気の中に、鼻腔を突き刺すような最悪な死臭を放っていた。
「……だ……だれか……いる…………の? 目が…………見えない…………の…………助け…………て」
女の声は、体内の水分を完全に失ってカラカラに掠れ、ガタガタと酷く震えていた。
大穴が放ったあの暴力的な暴風の嵐と、底知れない高さからの落下の衝撃による重圧のせいだろう。
女の瞳の機能は、その表面が白く濁り、すでに光を一切捉えられないほど完全に失われているようだった。
何も見えない暗闇の底で、ただ死臭を撒き散らしながら、誰かも分からない気配に向かって無様に手を伸ばし、惨めに命乞いをしている。
「……」
私は松明の明かりを掲げたまま、一言の声も発さず、ただ冷たい温度のない瞳であいつの無様な姿を真っ正面から見下ろしていた。
助ける? 誰が……?
私が…? まさか……
アミとノルンの未来を奪い、蹂躙したお前たちが、そんな都合良くで救われるとでも思っているの。
胃の底から沸き上がってくる激しい嫌悪感と、ふつふつと燃え盛る復讐の衝動で、ナイフを握る指先がじわりと熱くなっていく。
「いるん……で……しょ……? おねが、い……たす……け────」
耳が腐るので、言葉の途中でその喉元へナイフを躊躇なく真っ直ぐに突き立てて殺した。
あいつらの吐き気のする薄汚い命乞いのセリフなど、一文字たりとも私の耳に入れたくはなかったから。
グチリ、という嫌な肉の破裂音と共に女の身体が短く痙攣し、やがて完全に動かなくなる。
………あ…別に殺さず放置でも良かったのかもしれない……しまったね。
そんな事を考えながら、衣服の袖口を汚したあいつの返り血を、冷たい土の表面で静かに拭い去る。
そして私はさらに、濃厚な血の匂いと悍ましい死臭が立ち込める辺りの暗闇を、松明の炎を大きく揺らしながら舐めるようにくまなく見渡した。
男三人組の死体、そして今しがた息の根を止めたこの女の死体。
こいつらが全員ここに転がっているのなら、絶対に、同じ大穴に吸い込まれた二人の身体もこの近くにあるはずなんだ。
どこにいるの、アミ、ノルン────
焦燥感で呼吸が激しく乱れ、冷や汗が背筋を伝っていくのを感じながら、私はさらに光を暗黒の奥へと掲げ直した。
揺らめく橙色の火光が、停滞した闇をさらに数メートルだけ無理やり押し広げた、まさにその決定的な瞬間だった。
「アミ……ノルン……」
私の血の滲む唇から、掠れた二人の名前がポツリと漏れ出た。
そこに、いた……
上空からこの硬い石床へと激しく叩きつけられたその肉は、あまりの衝撃によって無残に四方へと散乱し、衣服の破片の隙間から、ところどころ白骨化した白い骨が見え隠れしていて、もはや顔の肉的な判別さえ難しくなっている。
奈落の底で、二人の動かない残骸が、ただ冷たく土の上に転がっていた。
けれど、分かった。特別な魔法なんか使わなくたって、私の魂のすべてが、床の土の上に無造作に散らばっている彼女たちの愛おしい残骸を一瞬で捉えて、どうしても、どうしても離さなかったんだ。
第79話は、【 17時10分 】に投稿いたします。
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それでは、次の更新でお会いしましょう。




