第63話 ミカの怒り
「ずいぶんと余裕そうな、おめでたいお喋りですね。お二人さん?」
奈落の底の重苦しい静寂を無慈悲に切り裂き、鋭く硬い少女の声が辺りの暗黒に響き渡った。
冷徹な声のした方角へとアロンが松明の橙色の炎を向けると、そこには、同じく松明を携えた一人の人影が、静かに佇んでいた。
「ミカ……か」
立っていたのはこれまでの気弱な仮面を完全に脱ぎ捨て、不愉快そうに眉をひそめた少女…ミカだった。
つい先ほど、地下第七階層の罠の穴へと二人を奈落へ突き落とした瞬間のあの邪悪な三日月の笑みとは違う、どこか己の想定通りに物事が進んでいないことへの苛立ちを隠しきれない顔をしている。
「……黙って聞いていれば、死体の山に取り囲まれているっていうのに、二人してイチャイチャと何の意味もないお喋りを……」
「イチャイチャなどしてな───」
「してたな、イチャイチャ……それは悪かったな、ミカ」
アロンの否定のセリフを、リンカが上から被せるようにして遮った。
言葉の響き自体は申し訳なさそうな反省の形をとってはいるものの、その表情や佇まいはどこまでも平然としていた。
「…………」
「…………」
アロンは半眼で隣のリンカを見やったが、彼女はそしらぬ顔のまま、じっと彼の黒い瞳を見つめ返した。
奈落であるはずの空間で繰り広げられる、そんな二人の「いつものおめでたい空気」を目の当たりにし、ミカの額に激しい怒りの青筋が浮かび上がる。
「ふざけてますね、本当に……私は、あなた達みたいな、危機管理の欠片も持ち合わせていない、おめでたい脳みそをした無能な冒険者が世界で一番ムカつくんですよ!!!」
「おい、なんか怒り狂っているぞ……とりあえず、副リーダー……謝れ」
アロンが面倒そうにため息を吐きながら処置を促すが、リンカはドレスの裾を揺らしてその華奢な肩をすくめ、相棒の言葉を一蹴した。
「なぜ私が謝らなければならんのだ? 私は生まれてこの方、自分自身に非があるとき以外は謝らない主義なんだ」
「非があった時も謝らないだろう」
「なんだその言い草は……まるで私が他人を己の感情でコントロールしようとするような、自分勝手な最悪のクソ女だと言いたいのか?」
「誰もそこまで極端なことは言ってない」
「私の話を無視するなッ!!!」
二人の応酬を、限界を迎えたミカの凄まじい怒号が強引に引き裂いた。
何十人もの凄腕たちの死体に取り囲まれた、世界の誰も帰ってこられないはずの極限の死地……そこで平然と繰り広げられる、夫婦喧嘩のような言い争いに、ミカの忍耐は完全に限界を迎えて崩壊していた。
だが、その魂の叫びの悲鳴さえも、アロンたちに全くと言っていいほど届いていない。
「リンカ、お前は口にこそ出さなくても、俺に対してだけはちゃんと申し訳ない気持ちを持っていることもすべて知っている。お前が本当は誰よりも優しい奴だってことは、俺が一番分かっている……それで良いだろう?」
アロンの唇から放たれたその言葉は、何の衒いも、何の見栄すらもない、相棒へのあまりに純粋で絶対的な肯定の真実だった。
「…………そうだな。お前が世界で一番分かってくれるなら、もうそれでいいな」
リンカは松明の光の中でアロンの大きな顔を見上げ、その空っぽな胸の内を温めるような慈しむような笑みを浮かべる。
「ああ……そうだな」
二人の間には、第三者のどんな邪魔な介入も通用しない、強固な世界が完成され────
「人の話を聞けって言ってるのよ!!!!!」
今日最大、もはやこの隠された深淵の空間の岩壁全体をビリビリと激しく震わせるほどの、鼓膜を破らんばかりのミカの怒号が、暗闇を激しく震わせた。
「うるさいな、お前……そんな大声をわざわざ張り上げなくても、私とアロンには最初から完璧に聞こえているぞ?」
「副リーダーの言う通りだ。声のボリュームの制御が全くなっていないな」
二人の、心底から迷惑そうに顔をしかめる。
ミカはこみ上げる激しい苛立ちに自らの肩をガタガタと震わせたが、ふっ、と自らの脳内の毒を吐き出すように、冷酷な精神の力技でそれを何とか堪えてみせた。
そして、松明の橙色の光の届かない暗闇の奥へと溶け込んでいくような、不気味で邪悪な笑みをその薄い唇に浮かべる。
「まあ、良いですよ……今はそんな風におめでたく囀っていればいい。そのムカつく余裕の顔が、恐怖と絶望に叩き落とされて絶叫に変わる瞬間が、今から本当に楽しみですからね……」
第話は、明日の【 12時40分 】に投稿いたします。
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それでは、明日の更新でお会いしましょう。




