第61話 隠された地下
視界に埋め尽くすのは、肌にベタリとまとわりつくような、重苦しく濃密な闇。
だが、その冷たい暗黒の底には、かつてのような「意識の断絶(気絶)」は存在しなかった。
ドサリ、という、重い摩擦の音が、静まり返った辺りに重く響き渡る。
自由落下による加速。さらに視覚を完全に奪われた中……
通常の冒険者であれば、脳の平衡感覚を一瞬で失い、自由を奪われて意識を刈り取られていても何らおかしくはない。
しかし、アロンは着地の瞬間に自らの膝をスッと軽く曲げることで、落下の衝撃を逃がし、何事もなかったかのように涼しい顔でその場に立ち上がった。
衣服に付着した僅かな奈落の土の塵を、無造作な手つきでパッパと静かに払うその動作には、焦りや恐怖など微塵も、欠片ほども、含まれてはいない。
アロンは、一度受けたトラップの技や不意打ちの攻撃は、二度は食らわない。
それが、彼が自らを「優秀」と定義する、揺るぎない絶対的な根拠の一つであった。
「……リンカ、無事か?」
アロンの声が、冷え切った闇の底へと、静かに落ちる。
彼は懐から、手慣れた無駄のない手付きで予備の松明の木切れを取り出すと、魔力を指先にパッと集中させ、一瞬にして火をパチリと灯してみせた。
パチッ、ジジジ……、と暗闇の中で小さな火花が爆ぜる。
原始的な燃焼による橙色の小さな光が、すぐ傍らの赤土の上にペタンと力なく座り込んでいたリンカの姿をぼんやりと映し出した。
「あぁ……今回はあのエンバリ街の時のように気絶することはおろか、皮膚に擦り傷一つすら無いな」
リンカは乱れてしまった自らの髪の先を指先で気だるげに整えながら、抑抑揚のない声で淡々とそう答えた。
その言葉には、アロンに対する絶対で全幅の信頼が、もはや呼吸や体温と同じレベルで、そこにあるのが当たり前として深く宿っていた。
「それは何よりだね」
アロンは、松明の光を近づけてリンカの全身に怪我の箇所がないことを隅々まで確認し、僅かに、ほんの僅かに胸をホッと撫で下ろした。
その小さな安堵の揺らぎは、一瞬だけ彼の傲慢で不遜さを優しく和らげ、相棒への優しさを微かに滲ませる。
だが、リンカは、そんな彼の微かな変化を見逃さなかった。
アロンのその優秀すぎるがゆえに、最高に不器用な献身。
それを受け取った彼女の白い頬が、お風呂上がりの湯気のような微かな熱を帯びて、隠しきれない愛おしさから緩やかに、優しく緩んでいく。
「にしてもだ……いつか来るか来るかとは思ってはいたが、まさかここで裏切られるとはな」
リンカは立ち上がり、ドレスの裾を払いながら、冷ややかにそう言った。
二人の話題は不気味な『三日月の笑み』を浮かべて自分たちをこの穴に突き落とした存在へと移る。
「そうだな。まぁあいつが俺たちのこの落下に巻き込まれることがなかったのは本当に良かった……もし仮にあいつが一緒に落ちてきていたならば、助けなきゃいけないからね。余計な手間が省けた」
アロンは松明を掲げたまま、至極当然であるかのように口にした。
自分たちを騙した敵だろうと、自らの「仲間」であるうちは、自分の命に代えても絶対に傷一つつけずに守り抜く。
その狂気じみた絶対の責任感に対して、リンカは呆れたように……けれどどこか嬉しそうにその華奢な肩をすくめてみせる。
「お前のその、……たまに出る馬鹿みたいな真面目さは一体なんなんだ? ……まぁ、そこがまた良いんだがね」
その最後の一言は、消え入りそうなほどの、あまりにも小さな呟きであった。
アロンの耳に届くか届かないか、そのギリギリの境界線のような、微かな吐息のような音量で。
「何か言ったか?」
「何でもないさ……それよりも、ここはいったい何階層なんだ? 確かオルテの資料によれば、無明の層は地下全8階層で構成されているらしいから……今、その最下層である八階にいるのか?」
リンカは周囲の不気味な闇を警戒するように目を細めた。
だが、アロンはその彼女の推測に対して、即座に冷徹に首を横に振った。
「いや……それにしては落下時間が長すぎだ。それに周りを見渡してみろ」
アロンはそう低く告げると、リンカの視界を広げるように、松明の橙色の炎を、暗黒の虚空へと向かって大きく、高く掲げた。
揺らめいた火光が、左右へと押し広げ、そこに鮮烈に浮かび上がったのは────
「……な、これ……は…」
松明の弱々しい灯りが闇の奥底を冷たく照らし出したその瞬間、リンカは息を呑み、その場に釘付けとなった。
端正な顔立ちが、戦慄によって引き攣っていく。
絶句して震えているその理由────
それは松明の光の先にどこまでも、どこまでも転がっていた、あまりにも無慈悲で、あまりにも残酷な、絶望の光景であった。
「……これは、全部……死体……なのか……?」
第62話は明日の【 12時40分 】に投稿いたします。
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それでは、次の更新でお会いしましょう。




