第15話 べラドンナ①
「つまりだな───“マンドラゴラが叫ぶ瞬間”…あれ実は裏声じゃないかって話なんだよ」
「……歌手でも目指しているのか?」
「いやだから、“人を殺す裏声”なんだよ。音の問題というより、人格の……」
「お前酔ってるのか?」
そんな生産性の欠片もない不毛な会話が、もうかれこれ十五分は続いていた。
未踏破ダンジョンの地図の話も終わり、
仕掛けられた罠の解除方法の話も終わり、
気づけば今は“植物の声帯構造と発声理論”という、世界の誰も興味を持たない謎の議論に花が咲いていた。
アロンは煤けた木製のテーブルに退屈そうに肘を突き、指先で空のガラスグラスをコトンと冷たく鳴らす。
「だいたい、魔物が叫ぶたびに律儀に回避行動をとらなきゃならん世界のバランス設計って、どーなんだ? もっと直感的に、肉体で受け止めるべきだろう」
「知らん。世界の開発者に直接文句を言え」
「開発者って誰だよ。ギルドの総帥か?」
「神様とかじゃないか?」
「じゃあ神様のバランス調整が雑って言いたいのか? そんな不敬なことを口にしていると、“また”天罰が下るぞ」
「なら今度はお前が一人で下されろ」
周囲のゴロツキたちの怒号に掻き消されそうな薄暗い店の片隅で、まったく意味のない不条理な言葉遊びが、お互いに真顔のままで淡々と交わされていた。
血生臭いスラムの酒場であろうとも、これがアロンとリンカの、何一つ変わらない日常の“通常運転”だった。
────その停滞した空気に、凍りついた水面のひびのような、鋭く澄んだ声が割って入った。
「盛り上がっているわね……私も混ぜてくれないかしら?」
涼やかで、どこか背筋をゾクリとさせるような艶を帯びた声。
それでいて、その場の安っぽい会話の流れを問答無用で奈落へと叩き落とすような、圧倒的で異質な存在感がそこにはあった。
ふたり同時に、寸分の狂いもなく声の方へと振り返る。
「……ベラドンナ」
「おい、なんでお前がこんな吹き溜まりにいる」
普段はポーカーフェイスを崩さないアロンとリンカが、驚きを隠せぬまま、わずかに視線を鋭くして目の前の女を睨み、目を細める。
先ほど入り口で男の腕をポップコーンのように弾き飛ばした張本人───
ベラドンナは、いつものように深い夜を写したような優美な微笑みを唇に浮かべ、無音の動作で静かにアロンの隣の椅子へと腰を下ろした。
「あら、私がここに居たら悪いかしら? この街は、丸ごと私の縄張りよ。その支配者がどこで酒を飲もうと、何の疑問があるのかしら?」
彼女がそう言って長い脚を組み替えた一言で、酒場全体の室温が、物理的に一段カタンと下がった気がした。
アロンとリンカは、視線だけで顔を見合わせた。
ほんの一瞬、言葉を介さない無言のうちに、二人の間で全てが通じ合う。
「(ああ、なるほど……)」
「(それでこの街、肌にまとわりつく空気の妙な既視感が)」
最初にこの『エンバリ』の街に入ったときは、ただ新参の冒険者が騒がしいだけの、活気のある都市だと思っていた。
だが、治安の落ち具合と、それなのに妙なところで保たれている奇妙な均衡。
裏筋で流通する非合法の物資と、表のギルドの秩序が歪に共存する、この狂った都市構造────
そのすべての糸を裏で引いている黒幕が、目の前の美しい毒婦であるという一点において、すべてのパズルが腑に落ちた。
「……この街、丸ごとお前の街かよ」
心底めんどくさそうにそう呟いたアロンの空のグラスに、ベラドンナは白磁のような細い指先でボトルを傾け、静かに深い琥珀色の酒を注ぐ。
「ええ…ようこそ、私の愛する不夜街へ。せっかくの再会だもの、極上の夜を歓迎してあげるわ」
第16話は、本日【 17時10分 】に投稿いたします。
怪しい美女の正体はアロン達の知り合い…ベラドンナであった……
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それでは、夕方の更新でお会いしましょう。




