第112話 受付嬢は見た
何も知らない職員たちは誰もが最初、この絶対的な現実をただの『誤作動』であるか、あるいは過労で見ているタチの悪い『夢』であると、そう思い込むことで現実から必死に目を背けていた。
───だが
そんな狂騒の嵐が吹き荒れるギルドのなかで、唯一、この異常な状況の真実を完全に理解している者が、一人だけ存在していた。
あの日──ギルドの中央受付カウンターで、アロンたちが最初に『無明の層』への許可申請を行った、あの受付嬢。
彼女の名は、ミーシャ────
---
オルテ様からは、あの二人が無明の層の攻略に挑んでいる事実を、外部へ一切漏らさぬよう厳重に口止めされていた。
でも───実際のところ、そんなボスの命令や規約による強制などされずとも、私には最初から、その事実をわざわざ他人に話す気など起きはしなかった。
業務用のインクの匂いが漂う職務室で、守秘義務の書類に判を押しながら、私はただ鼻で笑うことしかできなかったのだ。
ただ単に、話す価値すら見出していなかったのだ。
窓口の正面に堂々と立ち、おめでたい顔で『無明の層だ』と言い放ったあの男。
自分の発している気配に酔い痴れ、まるで英雄にでもなったかのように胸を張るその傲慢な佇まいは、私の冷ややかな営業スマイルの視界を不快に汚すだけの不純物に過ぎない。
私にとっては、ただの『またいつもの馬鹿な死にたがりの冒険者が、無謀にも無明の層の攻略に挑みに来たか』───せいぜい、その程度のくだらない認識でしかない。
私はギルドのプロの職員として、形式上はマニュアル通りにしっかりと申請を止めてみせてはいた。
しかし───完璧に整えられた作り物の笑顔の裏側で、私が抱いていた本心は、酷く冷淡で、酷く残虐なものだった。
どれほど傲慢なオーラを気取っていようとも、所詮は現実を見られない無知な跳ね返りに過ぎない。
ただ自分の強さに酔いしれているだけのイタい男が、他人の忠告を無視して自滅の道を突き進む。
そんな愚行の尻拭いをしてやる義理など、私たちの組織にはどこにも存在しなかった。
別に、本気で彼らの命を止める必要なんて、どこにもない。
ギルドの手を煩わせ、街に無用な混乱を巻き起こすだけの馬鹿な冒険者なんて、私たちの視界に入らない暗い迷宮の底で、問題を起こす前に一人残らず早く死んで────
わざわざこちらの言い分に反発して、自分から奈落の底へ進みたがるのだ。
ただ無様に食い殺され、身の程を知る機会すら与えられないまま存在を抹消されるのが、あの不遜な態度にふさわしい末路なのだと確信していた。
────
───
──
しかしながら────私の冷酷な思惑とは裏腹に、あの不快な二人組……いや、いつの間にか1人増えて3人組になった彼らは、なかなか死ななかった。
ギルドのバックヤードで男たちの報告に聞き耳を立てていると、何やらあのパーティーは、十日間の間、1層ずつ慎重に安全を確認しながら攻略を進めているらしい。
それを知った私は、マニュアル通りの書類を整理しながら、鼻で笑うような冷笑を浮かべていた。
「窓口であれだけ大口を叩いて傲慢な態度を取っていたくせに、本心では随分とビビり散らかしているのね」
威勢が良かったのは受付のカウンター前だけで、一歩ダンジョンに足を踏み入れれば、真っ暗な奈落の恐怖に震えて腰を抜かしているに違いない。
「SSSランクだが?」などと大真面目にのたまっていたあの男が、薄暗い迷宮の底で周囲の顔色を窺いながら、腰抜けのように一歩一歩、怯えて足元を確かめている間抜けな姿を想像する。
哀れで、滑稽で、どこまでも愚かで、ただただ見窄らしいその姿を脳裏に描くだけで、胸の奥から炭酸が弾けるような愉快さがじわじわと込み上げてくる。
分不相応な夢を見た馬鹿どもが、現実の壁に直面して無様に縮こまっている。
そう思うだけで、日々の単調な書類仕事のストレスすらも綺麗に吹き飛んでいくほど、私は内心でアロンたちを酷く小馬鹿にする。
そして───運命の日……それは今日の昼頃のことだった。
ギルド本部のギルド長室から、あの常に冷静沈着なオルテ様と、秘書のミーウ様の二人が、見たこともないほどの凄まじい焦燥を剥き出しにして、慌ただしくギルドを飛び出していったのだ。
その、あまりにも尋常ではない慌てようを遠目に冷ややかに盗み見ながら、私は自らのデスクで淡々と事務作業を続けていた。
羽ペンの先で書類に無機質なインクを走らせながら、胸の内を通り過ぎたのは、確信に満ちた冷徹な結論。
───ああ、ようやく、あの傲慢な勘違いパーティーが無様に死んだのね……と。
第113話は、【 17時10分 】に投稿いたします。
もしよろしければ、ページ下部より【ブックマーク】や【評価(☆☆☆☆☆)】をいただけますと、大変励みになります。
それでは、次の更新でお会いしましょう。




