第109話 田舎の闇
例えば、今回の『無明の層』のような最悪の難易度を誇るダンジョンが、中央から遠く離れた田舎の街の近隣に突如として現れたとして────
そんな過酷な辺境の地に、タイミングよく都合よく、事態を解決できるようなAランク以上の最高峰の冒険者が滞在しているなどという確率は、万に一つも存在しない。
いや、断言してもいいが、いるはずがないのだ。
王都中央で華やかな栄光を掴み取った最高峰の冒険者たちが、わざわざ何の旨味もない最果ての僻地にまで足を運び、居座る理由など何一つ存在しないという冷徹な地理的現実。
そんな絶望的な状況下で、地方ギルドの元へと押し寄せてくるのは、恐怖に怯える領民や住民たちからの、すがるような『過度の期待』と、同時にギルドの無能さを詰じる『懐疑的な視線』の嵐だった。
迷宮の脅威に日々の暮らしを脅かされ、精神をすり潰された弱者たちの、逃げ場のないドス黒い焦燥。
「ギルドはなぜ動かない」「我々の税を貪りながら、ただ見殺しにする手順を待つ気か」という、理不尽極まりない、しかし切実な生存の叫びが、狭い受付窓口を激しく侵食し、空間全体の魔力ベクトルを重苦しく上書きしていくのだった。
その重苦しい重圧と、街の崩壊という最悪の未来の板挟みになった地方ギルドが、生き残るために手を染める悪魔の手段。
それこそが、たまたまその時期に街へとやってきていた、事情を知らない外来の中ランク冒険者たちをターゲットにし、狡猾な口車に乗せて死地へと誘導する、という最悪の手口だった。
「君たちの実力なら、この程度の難易度は適正範囲内だ。街の英雄になってくれないか」
そう言って、生存確率の著しく低い高難度クエストを、あたかも通常業務であるかのように偽って押し付ける。
功名心を巧みにくすぐり、愛郷心や正義感の規約を人質に取ることで、本来であれば引き返すはずの防衛線を自らの足で跨がせる欺瞞の誘導。
これは客観的に見れば、冒険者側の意思と生命を騙して死なせる立派な『詐欺・犯罪行為』に他ならない。
地域の存続という大義名分を盾にして、外から流れてきた名もなき使い捨ての駒、身代わりに差し出す冷徹極まりないただの搾取だ。
しかしながら、これが表沙汰になってギルドが処罰されることは決してなかった。
なぜなら、ギルドという組織本来の業務である「クエストの斡旋」や「高難度への提案・推奨」といった真っ当な手続きとの境界線が、法律上も規約上もイマイチ曖昧であり、外から見れば判別が不可能な『グレーゾーン』として完璧に処理されてしまうからだ。
被害に遭った冒険者の遺族や仲間がどれほど憤慨しようとも、提出される書類の並びはどこまでも合法的な手順を満たしており、組織の防壁を法的に突き崩す手段など最初から存在し得ない。
さらに最悪なことに、この地方特有の不条理な事案に対して、国や冒険者ギルド本部による劇的な対処法など、何もないのだ。
王都に近い中央の土地のほうが、国を揺るがすような危険がある高難度クエストや最凶の古代ダンジョンが生まれる頻度が、地方とは比較にならないほど圧倒的に多いからだ。
国を維持するための最高戦力を抱えるギルド本部にしてみれば、中央の防衛だけで手一杯であり、遠く離れた田舎の小さな街の戦力枯渇問題に、わざわざ貴重な人員を割いている暇など残されてはいない。
最果ての辺境で名もなき中堅が何人すり潰されようとも、中央の絶対的な均衡が保たれている限り、ただの誤差に過ぎないという冷徹な現実なのだ。
ゆえに──中ランクの冒険者たちは、自らの身を守るためにそのランクを伏せる。
そしてこの改正ルールにおける最も強力な防壁は、ランクが完全に伏せられた冒険者に対しては、ギルド側は如何なる理由があろうとも、クエストの斡旋および提案をしてはならない──という絶対的な禁止条項だった。
どれほど高難度の災害が街に迫ろうとも、どれほど人員が枯渇しようとも、黒塗りのカードを持つ者へ声をかけること自体が、本部の規約によって完全に封じられたのだ。
この強力な法統制が敷かれたことにより、地方ギルドによる狡猾な口車を用いたグレーゾーン犯罪は激減し、犠牲になるはずだった多くの被害者が、劇的に減ることとなったのである。
こういった歴史的背景があるからこそ、オルテの視点から見ても、アロンの冒険者ランクが黒塗りで伏せられているということ自体は、別に何の問題でもない、ごく当たり前の光景に過ぎなかった。
「ああ、こいつもギルドの強制徴用を警戒して身を守っている、よくいる冒険者の一人なのだろう」と、その程度の認識で処理できる範疇だったのだ。
しかし───ギルド側も、ただ冒険者に主導権を握らせたままにするほど無能な組織ではない。
現行のルールの裏側には、組織のトップを統べる者だけが扱える、絶対的な抜け穴が用意されていた。
それこそが、各街の『ギルド長権限』を用いることで、システム上は黒塗りに伏せられたはずの冒険者ランクを、強制的に読み取ることができる、という秘匿閲覧システムだった。
それは、身元不明の危険人物や、犯罪組織の潜入を察知するための、ギルド長だけに許された最高機密権限。
あくまでデータを「見るだけ」の行為であり、それ自体には何の大それた犯罪性も不法性もない。
しかしながら、専用の魔導機械を通してなお──彼のカードの表記は、やはり黒塗りの【■■■】のままだった。
そのエラー画面を目撃した瞬間、激しい衝撃に突き動かされることとなった。
ギルド長の最高特権を以てしても暴くことができないとなると、これはもう「よくあるランク秘匿」などという生ぬるい話からは、完全に次元が変わってくるからだ。
この機器は国家機密級の厳重なシロモノである。
一介の登録者に過ぎない冒険者が、外部からの魔術や工作によってどうこうできる余地など、そこには断じて存在しない。
どれほど強大な財力や、個人の枠を逸脱した超常の魔力を注ぎ込もうとも、組織の最中枢が構築したシステムを外側から突き崩すことなど、絶対に不可能な構造だった。
そう───冒険者に、どうこうできるものではないのだ。
それが意味する不気味な真実は、ただ一つしかなかった。
アロンの本当のランクを、意図的に、かつ完璧に隠蔽している『黒幕』が、他ならぬ冒険者ギルド側に存在しているということ。
それも、オルテよりも遥かに上の権力を持った、本部の中枢に君臨する最高上層部の人間が、この男の背後に糸を引いているということに他ならなかった。
その事実に、オルテは激しい鳥肌とともにただひたすらに思考を巡らせていた。
アロンが、冒険者たちが一般的に用いる前述した二つの理由───すなわち、カードの紛失による低ランクの隠匿、あるいはギルド側の強制斡旋から身を守る盾としてランクを伏せている可能性は、極めて低い。
もしも、アロンという男がカードの紛失で、低ランクに落とされた故に隠しているだけであるならば、ギルドの最高上層部がわざわざ国家機密級のプロテクトをかけてまで、彼のランクを隠蔽する理由には絶対になり得ないからだ。
さらに、これまで十日間アロンと接してきたオルテには、彼のあの強烈な性格が嫌というほど分かっていた。
ギルド側からの横暴な強制斡旋を受けたくない、目立ちたくないからという理由で隠しているわけでも、どう考えてもなさそうだった。
アロンの持つ、あの底なしの名声欲を見る限り、もしも高難度クエストを提示されれば、それこそ拒絶するどころか、いの一番に大喜びで受けてきそうな雰囲気すらビンビンに感じる。
そしてなにより、誰一人として生きて帰さなかった不可能な迷宮『無明の層』。
それを、何一つの代償も支払わず、あまつさえかすり傷一つ負わずに完全攻略してみせてのけた、この目の前にある現実。
妄想を拗らせたイタい男の戯言だと思っていたが………
目の前にいるアロンという男の実力は───
もはや疑う余地など存在しない完全なる【本物】ではないか……?
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それでは、次の更新でお会いしましょう。




