第107話 フェーズ2
「光が俺を歓迎しているみたいで素晴らしい……やっぱりダンジョン攻略って楽しいね?」
薄暗い無明の層の入り口から、眩い荒野の太陽の下へと足を踏み出したアロンは、両手を大きく広げてこれ以上ないほどの清々しい笑顔を浮かべた。
その姿は、まるで近所の公園にピクニックにでも行ってきたかのような軽さ。
じりじりと肌を焼き焦がす荒野の強烈な陽光を真正面から浴びながら、彼は大きく胸を張って深呼吸を繰り返している。
無明の層の内部に滞留していた冷たく湿った瘴気を完全に吹き飛ばすかのように、乾燥した突風が彼の着古した外套を激しくなびかせていた。
目の前の広大な青空を独占しているかのような無防備な爽快感だけを全身に纏いながら、アロンはその心地よさとダンジョンを攻略したという高揚感から自負の自尊心が大きく膨れ上がっていく。
「最近の冒険者って、心の底からダンジョン攻略を楽しんでいるか甚だ疑問なんだよね。なんでもかんでも効率、効率って言って……ダンジョン攻略って楽しいものじゃん? 攻略したら身体から急激なエネルギーが溢れ出してくるじゃん? それはまさしく天衣無縫」
「1人で何言ってるんだこいつは」
アロンがどや顔で腕を組み、天を仰ぎながら朗々と自らの『冒険者論』を熱弁し始めるのを、リンカは心底呆れ果てたような、冷ややかな白い目で見つめた。
語れば語るほど自らの内なる全能感が限界を突破していくのか、顎を大きく突き出してこれ以上ないほど気持ちよさそうに言葉を弾ませ、広大な荒野に向かって朗々とその響きを響かせている。
アロンのこの『ブレない発作』を横でずっと見届けてきた彼女にとって、この意味不明な言動はもはや、ただのため息を誘うものに他ならなかった。
背後では、ミカがアロンのあまりにも普段通りの、あまりにも締まりのない暴走っぷりに、引きつったような苦笑いを浮かべて佇んでいる。
心が救われた感動も、さっきまでの絶望の余韻も、アロンの口から飛び出すイタい長台詞の前に、すべて綺麗に霧散していく。
ただ呆れ果てて立ち尽くす彼女の双眸から、先ほどまでの悲壮さが完全に消し飛ばされていく。
あまりの馬鹿馬鹿しさに毒気を完全に抜かれてしまった。
「見ろ、ミカも引いてるぞ? 意味不明なことばっか言うから、友達いないのが丸わかりになるんだ」
リンカの、容赦のない刃のようなツッコミ。
優雅に腕を組んだ彼女の形の良い唇から放たれたその一言は、アロンのプライドを的確に、大真面目に打ち砕きにいく。
だが、そんな容赦のない刃すら、目の前の男には風が通り過ぎるのと変わらず、顔色一つ変えない。
「はぁー、軟弱どもの思考そのものだな。完璧に至った俺に他人間との共存なんぞ不必要…………友を作らないのではない、友など不要」
「完全にハイになってるな……この時のこいつは精神異常者と同じ……危険だから離れてろ」
友など不要と宣いながらドヤ顔するアロンを横目に、リンカは酷く淡々と、ミカに向かってそう言い放った。
そう、リンカはこの状態のアロンを、密かに『フェーズ2』と呼んで定義している。
いつもの状態────つまり『フェーズ1』のアロンは、発言の6割が適当であり、度々変なことを口走るものの、まだ話の芯は理解できる内容を話すのだ。
ただの締まりのない俗物的な自慢の枠内に収まり、かろうじて言葉がこちら側の常識と繋がっている、いわば日常的な平熱の領域。
しかし、この『フェーズ2』へと移行したアロンは、もはや手の付けようがない。
脳内が完全に悦に浸りきっているか、あるいは逆に周囲から馬鹿にされたりすると、この状態に移行する。
そうなれば、発言の10割すべてがただの戯言を吐き散らかす男と化す。
こちらの正論すらも、彼の都合の良い脳内フィルターによって「至高の孤高を称える賛辞」へと都合よく書き換えられてしまう完全なる暴走状態。
今回は「ダンジョンを完全攻略した全能感」から自らの世界に浸っている前者での移行だが、特に後者の「他者から侮辱された」という理由でこの状態になった際のアロンは、思考が非常に攻撃的になるという最悪な特性まで持ち合わせている。
もしも今、これが後者の理由であったなら、彼は自らをコケにした相手に対してどす黒い逆恨みで、手の付けられない発作を起こしていただろう。
この『フェーズ2』へと移行したアロンは、もはや手の付けようがない。
とはいうものの…………
「…………」
リンカからそんな恐ろしい解説をされたミカは、ただただ白い目でアロンを見るしかなかった。
なぜなら、リンカ以外の他者から見れば、アロンがフェーズ1だろうがフェーズ2だろうが、どこがどう変化したのか全く、これっぽっちも良く分からないからだ。
ただただ、虚空に向かって意味不明なことを宣い、悦に浸りきっているイタい男がそこに佇んでいるだけである。
話している内容もアロンが普段から、大して変わらないレベルの話を口走っている、という事実に他ならなかった。
普段の適当な戯言と、悦に入った十割の戯言。
その二つの境界線はあまりにも曖昧で、他人の視点から見ればただのひと続きの異常性でしかない。
どの段階にいようとも、暴走し続けているという点においては、何一つとして差異は見当たりはしないかな。
どっちにしたって危険な人であることは変わらないのだ。
そんな、荒野の入り口での呑気な会話が繰り広げられていた…………まさにその時だった。
「ん?……こちらに近づいてくる?」
それまで至高の悦に浸っていたはずのアロンの表情が、一瞬にして、ストンと真面目な表情へと変わる。
先ほどまで脳内を完全に支配していた独創的な全能感を、なんの余韻も残さない切り替え。
アロンは首を傾げながら、地平線の彼方、もうもうと激しい砂煙を巻き上げている一筋の光景をすっと指さす。
「敵か?」
リンカの切れ長の瞳が、一瞬にして細められた。
「いや、この魔力は……オルテか」
「ほう、タイミングがいいな」
────
───
──
地平線から猛烈に迫る砂煙が荒野の入り口へと滑り込み、耳を聾するほどの急ブレーキの轟音を立てて一台の魔導車が停止する。
車体が激しく軋み、巻き上げられた大量の赤土がまだ周囲に立ち込めるその最中、乱暴に跳ね上げられた運転席のドアから凄まじい勢いで飛び出してきたのは、オルテだった。
「お前ら無事か!?」
静まり返っていた無明の層の入り口に、鼓膜を激しく震わせるオルテの張り詰めた大声が響き渡った。
大人の余裕の仮面などかなぐり捨て、血走った目でアロンたちの全身を激しく検分するオルテの双眸。
丸一年間、優秀な冒険者たちを何十人も呑み込み、破片すら戻さなかった闇の最奥を、たったの十日間で攻略したという。
そのあり得ない現実、無傷で平然と佇む男たちの姿によって突きつけられたオルテからすれば、驚愕そのものだったのだった。
「無事もなにも、見ればわかるだろう? 大怪我しているように見えるか?」
アロンは、相変わらずの締まりのない弛みきった顔で、やれやれと両手を広げてみせた。
かすり傷一つ無い……強いて言うなら、返り血で服が汚れている程度だった。
「うるさいな!! 心配していたんだ!! それよりもお前ら、まさか本当に無明の層を攻略したのか!?」
オルテは青筋を立てて怒鳴り散らしながらも、その視線をアロンの背後────不気味に、しかし確実に淡い緑色の輝きを放って起動している転送陣へと向けた。
あり得ない。
薄暗い無明の層の入り口を内側から侵食するように、じんわりと溢れ出している厳かな燐光。
それは、最奥に君臨する守護者の生命の灯火が消え失せ、すべての絶対規約が冷徹に解除された瞬間にしか目覚めないはずの光。
瞳に焼き付くその淡い緑色の色彩こそが、受話器の向こうから響いたあの信じがたい『完全攻略』の報告が、一微塵の嘘偽りもない現実の質量であることを無言のまま厳然と証明していた。
何一つの代償も支払わず、かすり傷一つ負わずに踏み潰してきたというのか。
自分の背後で神秘的な燐光を脈動させている超常の遺物を前にして、これ以上ないほど誇らしげに胸を張っている男の、無駄に威風堂々とした立ち姿。
「勿論だ……言ったろう? 俺はSSSランク冒険者だと」
「…………!」
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それでは、次の更新でお会いしましょう。




