第96話 変貌する妄想
「それだけの強さです……何か大切なモノを奪われた、壊されたんですよね? だからそれを守るために強さを欲した……そうですよね? 分かります」
ミカは、自らの脳内で完全に完成されたその完璧なプロファイリングに、深く、熱く胸を打たれていた。
目の前に佇むアロンという男。
彼の放つあの常識を遥かに超えた暴威も……その隣にいる女が世界の裏側の悪夢を経験しながらも、アロンに付き従うことも……すべては過去にそれほどまでに重く、過酷な絶望の重荷を背負わされてきたからに他ならない。
アロンは、きっと血の滲むような暗黒の過去を一人で背負い、世界の不条理のすべてをその身に引き受けながら、愛する者の残骸を抱き締めて孤独に歩み続けているに違いない。
声をも出せずに泣き崩れ、すべて失ったあの日から、他者をただ守り抜くためだけに、神への呪詛すら力技に変えてその計り知れない無双の暴威を掴み取ったのだ。
そのあまりにも美しく、あまりにも凄絶な『自分だけの都合の良い妄想の歯車』が、ミカの脳内で次々と音を立てて噛み合い、都合の良い真実として狂気的に膨れ上がっていく。
その盲信に取りつかれ、限界まで大きく見開かれていた瞳は今や完全に潤み、衣服の胸元を強く握りしめたまま、まるで世界を救うために自らのすべてを犠牲にして孤独に戦い続ける、崇高な悲劇の聖者の背中を見るかのような熱い崇拝の輝きを帯びている。
目の前で返り血を浴びて佇むその禍々しい姿すらも、彼女の瞳を通した瞬間に、孤独な王者が背負う重い十字架の後光へと180度反転して塗り替えられていた。
彼女の頭の中で、アロンという男の物語は、悲劇の復讐劇をも遥かに踏み越えた、あまりにも壮大で涙なしには語れないダークファンタジーの英雄譚のそれへと、完全に、そして取り返しのつかないほどの妄執の領域へと変貌を遂げていたのだった。
「何も分かってないぞ」
アロンは、自らの頭の芯を激しい頭痛に襲われながら、深いため息とともに、心底冷ややかな表情を浮かべた。
何か特別な呪文を唱えたわけでも、大層な魔導の予兆を見せたわけでもない。
ただそこに佇み、飾りのないいつもの態度と口調で接していただけだ。
それなのに、何をどう言っても、嘘偽りのない本音を真っ正面から語ったところで、この目の前にいる女はすべての言葉を『辛い過去を隠すための悲しい強がり』へと都合よく変換して脳内を狂わせてしまう。
こちらの説明の余地など残されてはおらず、言葉が一切通用しないその圧倒的なまでのすれ違いを前にして、アロンの激しい困惑に包まれていた。
いかにどんな戦場でも敵を圧倒できる優秀で有能なアロンであろうとも、ここまで頑なに人の話を聞かない者を前にしては、手も足も出せず何もすることができない。
これこそが、彼に存在する数少ない弱点の一つ────『他人の言葉を一切聞き入れない、頭のおかしい人間』だ。
怪物はお前の方だと言いたげにミカに細い目を向けるアロンであったが、すべて都合の良い悲劇へと歪ませていくその常人には理解不能な妄執を前にしては、その視線さえも陰に移ってしまう。
もはや自分の手には完全に負えないと判断した彼は、この異次元のすれ違い空間の処理を委ねるように、助けを求めるような切実な眼差しを、隣の相棒へと真っ直ぐに向けた。
だが────
「なるほど、普段の強気な言動もその過去故か……そう考えると結構可愛いとこあるじゃないか…撫でてやる」
リンカから返ってきたのは、喉を鳴らすようなクスクスとした意地悪な笑い声だった。
アロンの視線を正面から受け止めながら、彼女の端正な唇の端には、これ以上ないほどに愉しげな弧が刻まれている。
ミカが紡ぎ出したあの壮大なダークファンタジーの妄想を、目の前の美女は否定するどころか、最高に都合の良いおもちゃとして嬉々として乗っかることに決めたのだ。
普段は尊大で傲慢に澄ましているアロンが、話の通じない女を前にして本気で頭を痛めているというその無様な弱み。
こんな面白いことを見逃すはずもない彼女は、ここぞとばかりに立場を逆転させ、アロンを公然と弄びにかかるために全力で満喫する
そして、アロンの頭の上へと細い手のひらを乗せ、遠慮なくわしゃわしゃと嬉しそうに撫で回し始める。
彼が顔をしかめるのもお構いなしに、まるで拾ってきた珍妙な小動物でもあやすかのように、その髪を一房残さずかき乱していく。
アロンの顔を覗き込むようにして悪戯っぽく笑う、彼女のその楽しげな手つきと、爛々と輝く凛とした美しい瞳。
顔には、日頃の不遜な態度への仕返しを完璧な形で達成できたことへの、純粋な喜びと惚気の念が、隠そうともされずに満ち満ちていた。
どんな戦場でも敵を圧倒してきたあの有能なアロンが、自分の手のひらの下でされるがままに頭を撫でられているという甘い現実。
最高峰の愉悦と幸福感をその全身からこれでもかと放ちながら、嬉しそうに彼を煽り立てるのだった。
「お前と俺同郷だよな? そんな話聞いた事ないだろ」
アロンは頭を撫でられながらも、呆れた声音で言い返した。
同じ郷里の出身であるはずの相棒からの、妄想に便乗してこちらを面白おかしく弄びにかかる、あまりにも無慈悲な乗っかりだ……
第97話は、【 17時10分 】に投稿いたします。
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それでは、次の更新でお会いしましょう。




