ゲームの元支配者と地図と
倒れているデブこと開発者に慌てて駆け寄ると、自動でステータスウインドウが開いた。
『調理を 実施しますか?』
「だぁーっもうこいつは食材じゃないっての! 確かに豚っぽいルックスだけど!」
「ぶ、豚とは……言ってくれるな……」
やたらにイケメンなボイスで呟くデブ。彼はふうふうとデブっぽい息を吐きながら、よたよたと体を起こした。
着ているものはどうやらこの学校の制服のようだ。つるりとピンクの頬に栗色の髪といった出で立ちには似合っている。
だが少し暑そうだ。額に汗が伝っていた。
「っていうか、この部屋暑くない?」
「僕の支配権が弱まったせいか、空調が作動しなくなってしまったんだ。だから熱中症で倒れてしまったようだね」
「お水持ってきます! 冷蔵庫開けさせてくださいね」
ルナは氷水をデブに渡した。聖母も裸足で逃げ出すだろう慈悲深さに私がおののいていると、デブはその水を一気に飲み干した。ルナが自らくんだ、言わば聖水をイッキするなんて。もったいない。
「助かったよ。どうやら僕でさえもコントロールできない、おかしなことが起きてしまっているようでね」
そう言うとデブはにこっと笑った。
「僕は開発者のリンジーだ。君は悪役令嬢ことアドバイザーのヴィクトリアだね? そして後ろにいるのはヒロインのルナ」
リンジーは肉に埋もれた目を細める。
「妙だね。プレイヤーの人格が入ってるのは、ルナではなくヴィクトリアの方に見える」
私はルナに気を使いながら頷いた。ルナはきょとんとしている。ゲームの中のキャラだということは、たぶん、知らない方がいいだろう。
「ちょっと、転生したっぽくて。それだけ。……あんた、どこまで把握してんの」
「どこまでというなら、そうだね」
リンジーはこともなげに言った。
「このゲームがもはや『エンランディア・クロニクル』ではなくなってしまっているということまで、かな」
*
リンジーが図書館裏に勝手に作っているねぐらは、家と言うより秘密基地に近い。
いろんなディスプレイにいろんなおもちゃ、雑多に並んだ本、漫画、雑誌の数々。
私たちはそれをぐるりと眺められる、部屋の真ん中のテーブルに座っていた。
備え付けのキッチンで淹れたミルクティを、ルナとリンジーに渡す。
「ありがとう、ヴィー」
「どういたしまして。甘めにしてあるよ」
「わ、うれしい。ヴィーは私のこと、何でもよく知ってるのね」
ぐふ。それほどでも。
と思っていたら、横から邪な視線を感じた。
「なんであんたがにやにやすんのよ」
「いやあ、ここに来るには、女の子同士のキスがなきゃいけないって時点で、僕の好みは分かるだろ? 君たちもそれをやったのかと思うとぐべぇっ」
不埒なことを考えた開発者の顔面に拳をくれてやった。
「次よからぬ想像をしたら、私の調理スキルで豚の丸焼きにしてやるからそのつもりで」
「ひい……ほ、ほんとだ、調理スキルカンストしてる……。っていうかもしかして、そのスキルでここまで来たのかい? ばったばったとゾンビをなぎ倒して?」
頷くと、リンジーはそのアザラシみたいなお腹を抱えてげらげらと笑った。
人ごとだと思って!
「あっはは、そりゃいいや。確かに調理スキルの食材対象は、人間も含まれるようにしたけど、まさかゾンビまで入るとは」
「なんでそんな頭の狂った調整したのよ?」
「そりゃあオープンワールドなゲームの方が面白いだろ? プレイに制限をかけたくなかったんだ」
「知ってる。だからこういう隠しコマンドがあるんでしょ」
元々この開発者に会えるという隠しコマンドは、裏ルートのために設定された。
できるのは「攻略対象との重婚」「校長である龍を倒し、学校の経営権を手に入れる」という二つのルート選択だけだが、普通の選択肢を選んでいるだけではたどり着けないルートだ。
重婚なんてもう、乙女ゲーの基本理念を揺るがしかねない設定だしね。
だから彼はデウス・エクス・マキナーー舞台設計を根底から覆す者とプレイヤー間では呼ばれているのだ。
「で? あんたがさっき言ってたのはどういうことなの」
「どういうことも何も、これは純粋な『エンランディア・クロニクル』ではないーー。他の世界が混ざってしまってるってことさ。いや、侵略されていると言ってもいいだろう」
「どうしてそんなことが起きたのよ」
「分からない」
外国人みたいに肩をすくめるリンジー。
その仕草にむかついたので、すねを蹴っ飛ばしてやった。
「あでっ! し、仕方ないだろう! 分からないものは分からないんだ。ただ、本来なら僕が持っているはずの支配権がかなり弱まっている。ゾンビを消そうとしても全然できないんだ。誰かが意図的にそうしているのかも」
「誰かって、誰よ」
「だから分からないって」
「すみません、一つ良いでしょうか?」
ルナがおずおずと手を上げる。
「支配権というのはーー。あなたはこの世界を書き換えられる力を持った、神様だということでしょうか」
「ちょっと前までは。正確に言うと昨日までだね」
「ということは、今のあなたは外の状況をどうにかすることはできない?」
「申し訳ないが、そうなる」
あっさりと認められて少し拍子抜けする。
「じゃ、じゃあどうしたらいいの? このままじゃ乙女ゲーじゃなくなっちゃう……そしたら、ルナが」
「私が?」
「お姫様になって悠々自適エンドも、野性的な彼氏と一緒に森の中で暮らすナチュラル派エンドも、ちょっとメンタル弱めなだめんずを手のひらで転がしながらいちゃいちゃエンドも、なくなっちゃう……!」
「……ええと、それは、私と別の誰かの話をしているの?」
「そうだよ。ルナはまだ会ってないけど、この世界にはたくさんの攻略対象キャラ……もとい、素敵な男性がいてね? ルナなら選び放題よりどりみどりなんだよ。まあ今生きてるかは謎だけどさ」
「会ったこともない人を選べる立場じゃないわ」
地に足の着いたことを言うルナ。んもう、そういうところも堅実で誠実でかわいいんだから!
「でも、こんなゾンビだらけの世界じゃだめだよ。いつ噛まれるかわかんないんだし」
「ーーでも、ヴィーが守ってくれるでしょう?」
にっこり、と花のような微笑み。
その言葉とその微笑みにほだされない者がいるだろうかいやいない。(この間の反語コンマ0.5秒)
「もちろん守るよ! どんなやつが来ても絶対にルナを守る!」
「ありがとう。だったら、このままここに隠れているというのはどうかしら。暑すぎるけれど、それは魔術でどうにかなるし……」
「いや、そうもいかなくなっている」
リンジーが食い過ぎたデブのような顔色になっている。
まだ暑いのか? と氷を与えようとすると
「違う、そうじゃない。これはただ序章に過ぎない、と言いたいんだ」
「序章? ゾンビまみれのこの世界が?」
「ああ。誰が、何の意図を持ってこうしているのか分からないが、ゾンビだけで終わりそうにないんだ」
そう言うとリンジーは、本の山から一枚の古ぼけた地図を取り出した。
『エンランディア・クロニクル』の地形が書かれたそれは、真ん中の辺りがじんわりと汚い灰色に覆われていた。
「これはこのエンランディア国の地図だ。僕はこの国全土を観測することができるから、その状況を反映したものだと思ってくれ」
ひし形を思い浮かべて欲しい。その真ん中に首都があり、この魔術学校があるイメージだ。
だから灰色の染みは、私たちのいる魔術学校を中心として、どんどん国中に広がっているように見える。
「もしかしてこの灰色のって、あのゾンビ?」
「ああ。しかもこれだけじゃない。国の端っこーーこの辺りには、得体の知れない黒いもやがあるだろう。ここは僕の観測が及ばない、ブラックホールのような場所だ」
リンジーが示したのは国の東側だ。確かに、黒くもやっとした小さな塊が浮かんでいる。
「……」
ルナはじっとそのもやを見つめている。
微かに産毛の生えた、まろい桃のような横顔をしっかり堪能しつつ、私は地図をざっと眺めた。
「あれ?」
灰色の中にケミカルなオレンジ色の粒が浮かんでいる。
魔術学校の辺り、つまりすぐ近くだ。
これは一体、なんだろう?
そう考えているとリンジーの顔色が変わった。
「っ、まずいぞ、また侵略がーー!」
「えっ?」
「備えろ二人とも! ゾンビとは違う、別のやつが来る!」
オレンジ色の光がきつくなる。
びか、びかっとまるで車のライトのような光を放ったかと思うと、その色は地図の外まで侵略してきてーー。
次の瞬間、私たちは狭苦しい部屋に閉じ込められていた。
ここもかなり暑い。
けれど、それよりももっとまずいことが起こっていた。
「ルナがいない!? ルナはどこ、ちょっとリンジー!」
「待て、落ち着け! この部屋……なにか、見覚えがあるような」
私は必死になって辺りを見回す。
目の前には大きなディスプレイと、なにかを操作すると思しきボタン。左右にはシャッターつきの扉。
扉の近くには赤いボタンがあって、これを押すとシャッターを開閉できるみたいだった。
「……あ」
嫌な予感がする。私はディスプレイの前の操作ボタンに飛びつき、がむしゃらに押した。
ディスプレイの画面が、ぱっぱっと切り替わる。
画面を動かしながら私はあるものを見つけた。
ディスプレイの画面に映っているのは、派手な造形のアヒル、ウサギ、クマ、そしてキツネのマスコットだ。
中に人が入ってるような大きさで、やけに口の可動域が大きい。
「……やっぱり!」
「おいおい、まさかこれって……」
「うん。私たち今”ピザ屋の警備バイトをしてる”って状況みたいね?」
「週給120ドルでな? っ、おい、カメラ一つ前に戻せ!」
ボタンを操作した私は、ひゅっと息をのむ。
そこには、不安そうな顔で廊下を歩くルナの姿が映し出されていた。
三人を攻撃してきたゲームは有名なあれです、あれあれ。
次はちゃんとゾンビも出ます。




