第五話 女騎士
「艦長殿、彼は嘘をついている。裏切られ、逃げ延びたが絶望して密航した? とんでもない。それが事実だとしても、彼は彼自身が犯した罪について語っていない」
その手はすでに腰にさげた剣の柄にかかっている。
艦長が良しと言えば次の瞬間に俺の首は胴とおさらばするだろう。
そんな凄みがあった。
単に形として剣に手をかけているわけではない。
本気で斬りかかるための予備動作だ。
なんの慰めにもならないが、綺麗な女だった。
夜の闇のような黒髪に、強い意志を感じさせる黒い瞳。
作り物のように整った顔立ちを今は怒りに歪めている。
酒場や色街で男の気を引こうとする綺麗な女たちは知っているが、そういった女たちの美しさとはまったく違うタイプの美しさだった。
両足を踏みしめてしっかりと立ち、胸を張って、俺のことを見下ろしている。
たとえ酒場にいても声をかけられる男なんていないだろう。
そもそもこの女が酒場にいるところなど想像もできないが。
「フィーナさん、どういうことですか?」
「どういうこともなにも、私は見ていたのだ。王女殿下が狙撃されたその場で、1人の少年が斬り殺された事件があっただろう。その凶行に及んだのは赤毛の少年だった。その顔も私ははっきりと覚えている」
俺は身が竦み上がる気分だった。
まさかこの船に、あの現場を目撃していた人物が乗りあわせているとは思いもしていなかったのだ。
「それは事実か?」
「はい」
目撃者がいる以上、認めざるを得なかった。
艦長が眉根を寄せる。
「なぜ黙っていた?」
「自分にとって不利になると思ったからです」
もはや正直に話すしかなかった。
俺はエメリヒに裏切られた後、どういう経緯を経て復讐を完遂したのかまですべてを吐き出した。
話しながらこの場で生き残るための術を必死に考えていたが、まったくなにも思い浮かばなかった。
味方と言えるのは司祭様ただ一人で、彼女の立場はこの船の中では弱いようだ。
それも彼女に嘘をついていた今、彼女が本当に俺の味方と言えるかどうかは分からない。
そして司祭様は少なくとも艦長の判断に影響を与えるほどの力は持っていない。
艦長に意見を言える女性は、艦長より俺の命を奪いたいと思っているようだ。
命運尽きたように思える。
しかし座して死を待つつもりはない。
縛り首は論外だが、最終的に飛び降りるしかないにせよ、その前にできることはないだろうか?
一番いいのは俺がこの船で問題なくやっていけると艦長に思わせることだ。
しかし艦長は俺が男であることを問題視している。
反抗するのは論外だ。
これだけの人数を相手になにかできるとは思わないし、それこそフィーナという女に俺を切る名目を与えてしまう。
もうできることは一つしかない。
俺はその場に膝をつき、頭を甲板に擦り付けた。
「お願いします。俺をこの船に置いてください。なんでもします。どんな仕事でも文句を言いません。男であるのが駄目なら女になります。だから、どうかお願いします!」
慈悲にすがるしかない。
どんなにみっともなくとも、どんなに情けなくとも、俺は生きていなければならない。
死んではいけない。
それはニコラに対する裏切りだと俺は確信していた。
俺は甲板に頭をつけたまま「お願いします」と繰り返し叫んだ。
「見苦しい。男としての誇りすら無いのか。艦長殿、耳を貸す必要はない。今すぐ切らせてくれ。でないと」
「でないと、何かしら?」
凛とした声が響いた。
艦長の声でも、司祭様の声でもない。
俺は顔を上げた。
声のした方を見ると、甲板の一段高いところに一人の女性が立っていた。
目を奪われた。
フィーナという女性のことを綺麗だと思ったが、その美貌が霞むほど美しい女性がそこにいた。
空に溶けるような青色の髪が風になびいている。
何かそんなに楽しいのか、見たこともないほど天真爛漫な笑顔がそこにあった。
ここにいる誰よりも豪華な服。
というよりはドレスだ。
明らかに身分が高いと分かる。
俺はこの女性を知っている。見たことがある。
「貴女が現れて何もかも台無しにしてしまう、と言おうとしたんですよ」
そう言ってフィーナは深く嘆息した。
その手が剣から離れる。
威圧感が消えて、なにやらあきらめたような表情をしていた。
その様子を見てドレスの女性は笑顔のまま両手を振り上げた。
「ではお望み通りにして差し上げましょう。エレナ、その子を私に頂戴」
今度は艦長が深く嘆息した。
こちらも何か悟ったような表情をしている。
俺はなにか状況が大きく変動したのだとようやく理解でき始めていた。
この女性は明らかに艦長に強い発言力があって、そして俺の命を奪わない選択をしようとしている。
少なくとも今すぐには。
「雇い主のご命令とあらば、そのように致しましょう。ただしこの船の乗組員としては認めませんよ」
「私の侍従にするわ。まさか私の所有物に手を出そうなんて誰も思わないわよね」
「そんな恐れ多いことをするものは、この船にはいないでしょう」
「……お父上には報告させていただきますよ」
フィーナが女性を見上げて言った。
「もちろん構わないけれど、相手が子どもであることを忘れないように報告しなさいね。少年、私についていらっしゃい。フィーナもよ」
「仰せのままに」
俺はどうすればいいのか分からずに、艦長に目線を向けた。
「行きなさい。もはや私は君の処遇を決められる立場に無い。君の生殺与奪はあの方の気分一つだ。まあ、うまくやりなさい」
その声にはさっきまでの厳しい迫力は無く、むしろどこか気が抜けたようですらあった。
ひょっとしたら責任が自分の手から抜け落ちたことにほっとしていたのかも知れない。
だとするならば、艦長も本音のところでは俺を殺したくはなかったのかも。
そう考えた方が自分の心の平安になりそうだったので俺はそうすることにした。
「ありがとうございます」
自分を殺そうとしていた相手に言うのはおかしなことかもしれなかったが、そのささやかな助言に礼を言って俺は立ち上がった。
俺の所有者となった女性は、船首側にある広々とした船室に入り、ゆったりとした木の椅子に腰かけた。
そこはとても船の中とは思えない豪華な装飾が施された部屋で、天井には見たこともないような照明器具がぶらさがっている。
俺は所在無く入り口のそばで立ち止まった。
「その、命を助けていただいてありがとうございます」
「お礼を言えるのはいいことね。私はマリア・テレジア・アルムガルト。この船の所有者よ。今はあなたの所有者でもあるわね」
「アルムガルト様」
「ぶふっ」
異音にびっくりしたが、それはアルムガルト様が吹き出しただけだった。
彼女はお腹を抱え、肩を揺らしてしばらく震えていたが、やがて涙目で顔を上げた。
「はぁ、はーっ、ね、ねえ、フィーナ、今の最高に面白かったんだけど、冗談だと思う?」
「冗談ではないでしょう。無学な田舎者だと言うことです」
「それにしてもアルムガルト様、ぶふふっ」
よほどツボに入ったのか、またアルムガルト様は背を丸めて笑い出す。
俺は何かとんでもない恥ずかしい間違いをしたのだということは分かって、かーっと体が熱くなるのを感じたが、いまだにそれがどんな間違いなのか分からなかった。
俺は救いを求めてフィーナという女性を仰ぎ見た。
「この方はアルムガルト王家の第二王女殿下だ。そしてアルムガルト様という呼び方は国王陛下に対してするものだ。王家の者でもアルムガルト様と呼ばれることはない」
つまり俺は国王陛下にする呼び方を王女殿下にしてしまったということだ。
無知で無学な田舎者がした些細な間違いのように思えるが、何かがとても面白いことであったらしい。
「失礼しました。ではなんとお呼びすればいいですか?」
「アルムガルト様でいいわよ」
「マリア様、それは冗談になりませんよ」
「面白いのに」
アルムガルト様は口を尖らせて抗議するが、目が笑っている。
「だったらフィーナはなにがいいと思う?」
「マリア様が彼をどうしたいのかによるでしょう。侍従というのは言い訳でしょう?」
「まあね。本当に侍従の仕事をさせたらナタリエがヘソを曲げちゃうわ。うーん、マリア王女殿下と呼んでもらっておくのがいいかしら、今後のことを考えておくと」
「本気ですか?」
「本気も本気よ。私が平民を使うのは今に始まったことじゃないでしょう?」
「貴女は本気で……、いえ、これは口が過ぎました。だ、そうだ」
ということで俺の所有者に対する呼び方は決まったらしい。
「マリア王女殿下」
「よろしい。少年。君の名前は?」
「ルフトです」
「ルフト、変わった名前ね。でも浮遊船乗りにはいい名前かも知れないわ。ではルフト、私に忠誠を誓いなさい」
顔は笑っていたが、有無を言わさぬ口調だった。
そもそも俺はなんでもすると言って命乞いをしていた身だ。
今更何を言われても、それを断ることなんてできない。
そんな後ろ向きな気持ちだったが、少なくともマリア王女殿下は俺の命を救ってくれた人だ。
できる限りその期待には応えたい。
「はい。マリア王女殿下、忠誠を誓います」




