第四話 艦長
司祭様の部屋で目覚めてから三日が過ぎた。
すっかり体力は回復し身動きができるようになった俺は司祭様の太鼓判をもらい、ついに艦長の判断を仰ぐ時が来た。
俺は船に乗り込んだ時の衣服を身につけて、仕事をしている女性船乗りたちから異様なほどの注目を浴びつつ甲板に昇った。
この三日間、一度も司祭様の部屋から出なかったわけではない。
食事は司祭様が運んできてくれたが、排泄を司祭様の部屋でするわけにはいかないからだ。しかしそういう時は必ず司祭様が同行し、人払いをしながらトイレまで連れて行ってくれた。
余談ではあるが、浮遊船のトイレというのは床に穴の開いた小部屋だった。
そしてその穴は地上までの吹き抜けになっている。
つまり排泄物はそのまま地上に落下し、溜め込まれたりはしないのだ。
地上に誰かがいたら大変なことになるのでは、と思ったが、少なくとも町の上は航行しない決まりになっているらしい。
野外にいて排泄物を浴びたら、それは運が悪かったとあきらめるしかないそうだ。
文句を言おうに相手は上空だからどうしようもない。
一応、港にいる間は底を閉じるらしいが、出航したら適当なところでぶちまけるそうだ。
なんとも迷惑な話である。
閑話休題。
そういうわけだったから、船の中を歩き回るのはこれが初めてのようなものだった。
乗組員たちにしてみても俺の姿をちゃんと見るのは初めてだっただろうから、その注目も仕方がないものだと思う。
俺は居心地の悪い思いをしながら、甲板へと続く階段を上がった。
「うわぁ……」
甲板に上がった途端、思わず声が漏れた。
遮るもののない浮遊船の甲板は風が吹き抜け肌を突き刺すような寒さだった。
しかしそんなことは露ほどにも気にならなかった。
初めて見る航行中の浮遊船からの光景は、完全に俺の目を奪った。
木箱の中に潜り込んでから一度も外の光景を見ていなかったから、というのも大きいかもしれない。
世界を見下ろすという感覚は知っているつもりだった。
なにせ生まれ故郷は火山の山腹にある町だ。
見晴らしの良いところに行けば見渡す限りの森林を見下ろすことができる。
しかし、足元に地面があるのと無いのとでは景色の見え方がまるで違っていた。
浮遊船の甲板の向こう側は、遥か遠い大地だ。
遮るもののないその光景に思わず声が漏れたのだ。
しかし景色に目を奪われていいのは、ほんのわずかな間だけだった。
俺は司祭様に小突かれ、甲板の真ん中あたりに進んだ。
そこには何十人かの船乗りが集まっており、俺に興味津々な瞳を向けていた。
本当に女性ばかりだ。
年齢も見た目もバラバラだが、俺と似たような年齢の人は……、いた。
一人だけ、俺とそれほど背丈の変わらない女性、というより少女がいる。
彼女は突き刺すような瞳で俺のことを見ている。というか睨んでいる。
恨みを買った覚えは無いが、何がそんなに気に食わないのだろうか。
「そこで止まれ」
一際年齢の高い女性が鋭く言った。
立派な服に、立派な帽子を被っている。
蒼い瞳がじっと俺のことを値踏みするように見つめていた。
言いようのない威圧感がある。
司祭様からあらかじめ聞いていたが、そうでなくとも彼女がこの船の艦長であるとすぐに分かっただろう。
俺はまっすぐ艦長に向き直った。
司祭様には規則や任務に頑なな人ではなく、どちらかと言えば柔軟に出来事に対処するタイプの人だと聞いていたが、今こうして前に立つとそんなことに希望を抱いていたことが大きな間違いだったと気づく。
艦長の目には一切の容赦がないように感じられた。
「お前がルフトだな」
「はい」
「シェルマン師から話は聞いている。何らかの手違いで林檎の木箱に箱詰めされていたわけではなく、自らの意思で密航を企んだと認めるか?」
「はい」
「この船を選んで乗り込んだわけではないというのは本当か?」
「はい。自分がどの船に積み込まれるかは分かりませんでした」
「シュタインシュタットには他国の船もいた。そちらに積み込まれる可能性もあった」
「はい。シュタインシュタットを離れられるのであればどの船でも構いませんでした」
「密航者の処分については知っているな?」
「はい」
「ではお前の処遇は私が決める。だがその前に言い分くらいは聞いてやろう。お前自身の口で話すがいい」
「はい」
俺は司祭様にした話を繰り返した。
母からの厳しい躾と、父の無関心、逃げ出そうと試みたいこと、それらが失敗に終わったこと、金を貯めて町を出ると決めたこと。
その準備をしていたこと。
しかしそれから一年も経たないうちに父が母を殺したこと。
浮浪児になったが、仲間に裏切られ殺されかかったこと。
絶望し、どうやっても町を出ようと決意し、林檎の木箱に忍び込んだこと。
「彼の境遇には同情の余地があります。彼が母親からどれほどの虐待を受けていたか、その証拠は彼の体に残されています。艦長、彼の肌を確かめるべきです」
司祭様の口添えがあり、艦長が頷いたので、俺は上着を脱いだ。
ざわ、と集まった女性たちの間に動揺が走った。
それまでは好奇の目線だったが、俺の肌を見た彼女らはほとんどが顔をしかめていた。
俺はというと、気恥ずかしさよりも寒さのほうが辛かった。
司祭様は虐待だと言ったが、俺にはよく分からない。
母から木の棒を振り下ろされることや、その傷を自分で治療するのは俺にとっては日常だったからだ。
逃げ出したいほど辛かったが、それが母を非難していい理由になるとは思ってなかった。
「よろしい。服を着なさい」
許可を得て俺は上着に袖を通した。
「お前の境遇は分かった。だがそれで密航をしていいという理由にはならない。私はこの船を管理する義務があり、そのためにはなんだってする。この船を預かった時にはっきりと決めていたことがある。この女性ばかりの船では絶対に守るべきことだ」
嫌な予感がした。話が悪い方に向かっているという確信。
「航行中に船に男を乗せておくわけにはいかない。たとえ子どもで、どんな理由があってもだ。鎖で縛り、鍵をかけた部屋に閉じ込めておいても駄目だ。必ず規律を破るものが現れる。船の秩序が乱れる。それは絶対にあってはならないことだ。だが私は慈悲深い。ルフト、お前に選ばせてやろう。縛り首か、船から飛び降りるかだ。飛び降りることをお勧めしよう。もしかしたら命だけは助かるかもしれない」
「待ってください。艦長。彼は子どもです。私が責任を持ちます」
「駄目だ。シェルマン師。貴女は客人だ。船の管理について口を挟むことはできない」
司祭様が助け舟を出そうとしてくれるが、艦長はにべもない。
乗組員たちは同情のこもった目線を投げかけてきていたが、艦長の決定に口を挟もうとはしない。
その時、乗組員たちの輪から一人の女性が進み出た。
艦長や、そのほかの士官と思しき女性の来ている服とはまた違う、しかし他の乗組員たちとも違う、豪華で機能的な服を着た女性だった。
第五話の投稿は本日10時となります。




