処刑人
イリーナのことは苦手だった。
イリーナのいる最上階の部屋を出たジルは、塔の階段を一段一段と降りて行く。
途中ですれ違う警備兵達は、ジルの姿を見るとすぐに壁に背を当て道を譲る。
それは彼が単なる神父ではないことを如実に表していた。
警備兵には目もくれず、ジルは思考を巡らせていた。
この塔は、何か考え事するには十分すぎるほど高い塔だった。
『卑しい男! お前は私の視界に入る資格もないわ!』
『消えなさい! 今すぐここから出て行きなさい!』
ジルの姿を見た瞬間にイリーナは喚き散らし、ティーカップやランプ、クッション、果ては椅子などを投げつける。
聖書をまともに朗読する隙もない、それがイリーナとのいつもの礼拝だった。
自分を罵倒しながら暴れまわる美しい女。
この世で最も嫌いな存在。
だが今日のイリーナはどうだ。
大人しく聖書の朗読を聞き、神への祈りを捧げる。
『あなたの目が、とても綺麗だと思って……
まるで紫水晶の宝石みたいで』
イリーナはルビー色の瞳をきらきらと輝かせ、まっすぐとジルを見つめていた。
それは間違いなく本心からの言葉だった。
よく考えると服装や雰囲気もいつもと異なっていた。
幽閉前も幽閉後も、イリーナは豪華なドレスと宝石で全身を着飾り、濃い化粧にどぎつい薔薇の香りの香水を纏った高飛車な女だった。
だが今日は清楚で落ち着いた姿で、
柔らかな、百合の花の優しい香りが僅かに鼻腔をくすぐり、
去り際には自分を引き留め、名前を訪ねて、優しい笑顔で見送り。
彼女に一体どんな心境の変化があった?
まるで別人ではないか。
それとも何か目的があるのか。
だがあの様子は、とても演技には見えなかった。
全て『せんせい』に報告をしなければいけない。
彼は彼女の変化をどう受け止めるだろうか。
「……」
1週間後の彼女はどうなっているだろうか。
今日のように自分を見て微笑むか、それとも以前のようにティーカップを投げつけてくるのか。
こんな感覚は初めてだ。
ジルの頭はイリーナのことでいっぱいだった。
それは年相応の甘酸っぱい感情に通ずるものがあったが、ジルはすぐにそれらをかき消した。
今日は塔の地下にも行かなければならない。
『せんせい』に処刑を命じられた男がいる。
塔の地下には粗末な牢屋と、拷問部屋、そして処刑部屋がある。
処刑部屋には、イリーナと接触するために警備兵に扮して塔の中に潜り込み、あえなく御用となったスパイがいる予定だった。
だが、目の前の処刑部屋の中には誰もいない。
「神父様、」
警備兵の一人がジルに話しかける。
「スパイはどこに行った? まさか、逃げられたのか」
「いえ……今朝、水を与えようとしたら……舌を噛み切って自害しました」
警備兵は苦虫を噛みつぶしたような表情で答える。
おそらく自害した男は、自分が間も無く殺されることと、その前に行われていた拷問の数々に耐えきれなくなったのだろう。
「遺体を葬る前に、どうか祈りの言葉をいただけないでしょうか」
警備兵の言葉に、ジルは「燃やせ」とだけ返した。
「自ら命を絶った者へ、祈ることは許されていない」
ジルは眉ひとつ動かさない。
亡くなった男の遺体を確認すると、早々にその場から立ち去った。
「おっかない神父だ」
「大方、処刑の手間が省けたとでも思ってるんだろうな」
警備兵達は亡くなった男を焼却炉へ運ぶ。
「あいつは処刑人だからな」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
塔を出たジルは、馬を走らせ王都への帰路を急ぐ。
夕日が空を赤く染めている。
黄昏と夜の闇が混ざり合う色。
自分の目と同じ色、
一番嫌いな色。
王都に着くころには、すっかり日は落ちて夜になっていた。
ジルが真っ先に向かったのは、とある寺院。
寺院に入り、周囲に誰もいないのを確認すると、慣れた様子で隠し通路へ入り、寺院の地下へ進む。
地下には長い通路があり、進んでいくと木製のドアが見えてくる。
そのドアを三回ノックすると、間髪入れずに「入れ」、と一言。
「皇女の様子はどうだ」
革張りのソファに腰掛けた中年の大男。
大男は高位の聖職者が纏う装飾の施された僧服を身に纏い、長いあご髭をたくわえている。
彼がジルの『せんせい』
またの名を、大魔導士ライ・カーン。
プロメシア皇国・皇太子ルイの摂政であり、イリーナを国家反逆者としてホロミア塔の最上階への幽閉を手引きした男である。
ここはライ・カーンの寺院の地下、彼が休息をとるための部屋だった。
部屋には豪奢な調度品の数々と、天蓋付きのベッドが備え付けられている。
寺院の地下にはこの部屋の他に、彼の書斎兼研究室もあるが、そこへ入ることは部下であるジルでも許されていない。
ジルはライ・カーンに今日起こったことを包み隠さず話す。
「ふむ……終始おとなしい様子で、最後にはお前に微笑みかけてきた」
ライ・カーンは少しの思案の後、口を開く。
「あの女はお前を誘惑しようとしている」
「誘惑……?」
大男は立ち上がり、その大きな両手でジルの両肩を掴む。
「ジル、私はお前を守るために教えてやるんだ」
大男__ライ・カーンは微笑む。
それは父親が自分の子供に向ける微笑みに近かった。
「この世界の誰もお前を愛することはない」
そう言い切った男の黒い瞳は、星ひとつない夜のようにただただ暗く、
見つめ続けていれば、いつしか吸い込まれてしまいそうな闇だけが広がっている。
「お前は母親にすら捨てられた、」
「お前に好意を伝える女は皆、お前を利用しようとしているだけ」
「お前の母親のように、役に立たなければ捨てる」
「お前を心から愛しているのは、私だけだ。わかるな?」
その言葉に、ジルは顔を伏せる。
口は横一文字に結ばれ、無表情ではあるものの強張っているようにも見えた。
「あの女に騙されてはいけないぞ……
あれは権力を得るために血を分けた弟すら殺そうとした、極悪皇女だ」
ライ・カーンはジルの肩から手を離し、再びソファに腰掛けた。
「それを確認したら、もう行っていい」
ライ・カーンは一枚の紙きれをジルの足元へ投げる。
ジルはそれを拾い、内容を確認すると近くの燭台の炎でそれを燃やしてしまった。
「全員処刑対象だ」
「……仰せの通りに」
今日の処刑リスト。
ジルは本来の仕事を遂行すべく、寺院を去っていった。
ジルカント、彼の仕事は魔導士ライ・カーンの命令を忠実に遂行する『処刑人』
ライ・カーンから「殺せ」と言われた者はすぐに殺し、慈悲も躊躇もない男。
もしイリーナに処刑の時が訪れるなら、その役目は彼のものだった。
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