神父
「イリーナ様! 起きてください! 朝ですよー!」
ティアが必死でイリーナをゆすり起こす。
「なぁにぃ……朝からぁ……」
イリーナは布団の中に頭まで潜り込む。
なぜ会社へ行く必要がない立場で早起きをしなければならないのだ。
あたしゃもう疲れたのだ。
これからはのんびりだらだらと……
「そうはいかないのです!」
「ギャーッ!」
ティアに無理やり布団をひっぺがされ、イリーナは皇女にあるまじき悲鳴を上げる。
「今日は神父様がいらっしゃる日なんです!
礼拝の日です! ちゃんと正装をしなければいけないのです!
早く起きて着替えましょう!」
矢継ぎ早にそう言うと、ティアはイリーナをドレッサーの前に座らせる。
目の前には温かいお湯の入ったたらい。
しぶしぶ顔を洗うと、ティアが清潔でふわふわなタオルで顔を拭いてくれる。
ティアがイリーナの顔にいかにも高価そうな化粧水や美容液を、肌に刺激を与えないようにフェザータッチでてきぱきと塗り込んでいく。
社畜OLだったころは美容なんてそっちのけで、肌は荒れ放題だった。
幽閉されて紫外線に一切当たらず、とにかく眠りまくりのストレスフリー生活もあるだろうが、このイリーナの美しさはティアの尽力があってのものなのだと感慨深い気持ちになった。
「神父様は神様にお仕えする人です!
ちゃんと敬意を払わなければいけませんからね?」
フルメイクをしようとするティアを制止し、メイクは肌を保護するための下地と血色を良くするための頬紅、保湿のための色付きリップと最小限に留めてもらい(そもそもメイクをしなくてもイリーナは十分美しいと思うのだが)
ドレスも『いつものイリーナ』のようなとにかく派手!豪華!キラキラ!なものではなく、なるべく質素で動きやすい服装にした。
フリルとレースのあしらわれた白いブラウスに、カメオのブローチのついた臙脂色のリボン、スカートはリボンの色に合わせて金糸で刺繍のされた臙脂色のスカート。
髪はハーフアップにしてもらった。
仕上げの香水はイリーナのお気に入りの薔薇の香水ではなく、パウダリーな百合の香りのものを選んだ。
自分の基準ではこれでも十分飾りすぎ、の感覚なのだが、イリーナにしてはあまりにも質素すぎる服装らしい。
「なんだかイリーナ様じゃないみたいですが、でも、これはこれで清楚で素敵だと思います!」
ティアは一仕事を終え、安堵の様子だった。
タイミング良く、ドアをノックする音が響く。
「来ました……」
ティアの表情が強張る。
「イリーナ様、よろしいですか?」
流石に緊張して来た。
イリーナにとっては週に1回会っている神父でも、今ここにいる自分にとっては初対面の相手だ。
「あ、まってティア、神父さんの名前って何?」
「わかりません……イリーナ様はいつもあの卑しい男、とか言ってましたけど……」
あの卑しい男?
あまりにも失礼な言葉にイリーナの顔が引き攣る。
「……私、普段神父さんにはどんな感じなの?」
「めちゃくちゃに暴れてました」
「めちゃくちゃに暴れてた」
(神父様には敬意を払わなければいけないのでは?)
頭上に疑問符が浮かぶ。
ティアがゆっくりとドアを開ける。
質素な黒い僧服に身を包んだ、長い白髪の青年。
おそらく年齢は20代前半程度、何かスポーツや格闘技をやっているのか、僧服の上からでも均整のとれた身体をしているのがわかる。
形の良い高い鼻と切れ長の目。
彫りの深い顔立ちだが目、鼻、口、頬、顎、全てのパーツが繊細に作られ、まるで彫刻作品のようだった。
顔を伏せており、長い睫毛が影を作っている。
手には聖書らしき書物が握られている。
ティアは頭を下げ、部屋から出て行く。
隣にある自室で、この青年が帰るまで控えているらしい。
いつもの動作なのだろう、青年は迷わず二人用のテーブルの下座に着き、手元の書物を開く。
『いつものイリーナ』なら、めちゃくちゃに暴れるらしいが、暴れるべきだろうか、そもそもいつ暴れればいいのだ、それともティアと同じように記憶喪失で何もわからないと伝えるべきだろうか。
とにかく、このままここで立ち止まっているわけにはいかない。
意を決して青年の向かいの席に座る。
テーブルの上にはティアの用意した紅茶と聖書がある。
「……」
少しの間。
青年はイリーナをどこか不思議そうな表情で見つめるが、すぐ手元の聖書に視線を移して喋り出した。
「今日は、127頁、3章29節、罪人へ与える神の試練について読みます」
青年は聖書の一句一句をイリーナに読み聞かせる。
抑揚のない、感情も一切感じられない機械的な声だった。
美青年が目の前で聖書の生声朗読をしている。
青年の声は無機質ではあるものの程よい低さの非常に良い声で、イリーナは思わず聞き入ってしまっていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……こうして神は、裁きとは即ち罪人への罰ではなく赦しであると説いたのだ」
聖書を読み終えた青年は静かにそれを閉じ、テーブルの上に置いた。
「神への祈りを捧げましょう」
「は、はい」
青年が両手を組み祈りの言葉を唱える。
イリーナもそれに倣い両手を組み俯いた。
青年が祈りの言葉を唱え終えると、しばしの沈黙が訪れた。
(いつまで祈ってればいいの……)
イリーナの切実な思いが通じたのか、青年が沈黙を破る。
「……何か、この1週間で変化がありましたか」
「え?」
思わぬ質問に、イリーナは素っ頓狂な声を上げる。
変化?
あ、めちゃくちゃに暴れ忘れていた。
毎回会うたびに暴れてた人間がおとなしくしていれば、確かにおかしいと思うはずだ。
「本日の朗読はここまでですが、何かご質問は?」
青年はゆっくりと顔を上げる。
「わぁ……」
青年の顔を見て、思わずイリーナは声を上げてしまう。
端正な顔立ちだというのは初めて見た時から感じていたが、何よりも目を引いたのは鮮やかな紫水晶の瞳。
こんな綺麗な目の色、初めて見た。
「……?」
青年は訝しんだ表情でイリーナを見つめている、
「あ、あの、あなたの目が、とても綺麗だと思って……まるでアメジストの宝石みたいで」
素直な賛美だった。
美しいもの、珍しいものを見た人間の素直な反応をイリーナは表した。
だがそれに対して、青年は困惑している様子だった。
わけがわからない、といった具合で、イリーナを見つめている。
だが、すぐに青年の顔から表情は消え失せ、また俯き、聖書を手に取り立ち上がる。
一連の動作に、イリーナは違和感を覚えた。
(この人は、あえて感情を出さないようにしている……?)
「質問がないと言うことなので、本日の礼拝は終了と致します」
部屋から出て行こうとする青年を、イリーナは急いで引き留め、尋ねる。
「もし、以前に名乗られていたら申し訳ございません。
あなたのお名前を伺ってもいいですか?」
青年は一瞬固まる。それは狼狽をしているようにも見えた。
「……ジルカント、ジルとお呼びください」
吐き捨てるようにそう言うと、青年__ジルは扉を開けて部屋を出て行く。
「じゃあ、ジル、また来週」
その言葉がジルに届いたかはわからない。
だがイリーナは感じていた。
ジルと仲良くなりたい、と。
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