第20話 石の輪
石神の水辺を離れ、岩木山へ向かう道を少し進んだところで、千歳の視界の端に、また仮面が二つ入りました。
片方は山へ入る男と話している。
もう片方は会話へ加わらず、道と水辺だけを見ていました。
三内丸山でも相内でも、二人は同じ立ち方をしていました。
「またいる。」
今度は向こうも気づきました。
三内丸山でハニチュウたちと話していた方が、軽く手を上げます。
「また会った。」
「こっちの台詞です。」
「旅してると、よく会うね。」
「先回りしてません?」
仮面の男は少し考えるふりをしました。
「してるかも。」
「かも?」
「してないかも。」
「どっちなんですか!」
男が笑います。
その時、もう一人が短く呼びました。
「行くぞ。」
「はいはい。」
「ちょっと、まだ答えてない!」
「じゃあまた今度。」
「逃げた!」
男は振り返りもしないまま手だけ振りました。
二人の姿は、岸へ戻る人々の陰へ消えていきます。
一度なら偶然で済みます。
二度なら気になる。
三度目になると、千歳には「また会った」ではなく、「同じ二人が先回りしている」ように思えてきました。
それでも、追う理由にできるのはそこまでです。
怪しい、という感想を事実へ変える材料はまだありませんでした。
そこから三時間ほど歩きました。
最初は低く湿った土地。
やがて足元が乾き、岩木山北麓の坂が増えていきます。
三日間ずっと水の上にいたせいか、地面が動かないことの方が不思議でした。
林を抜ける少し前、案内役が休憩を入れました。
ここで回ってきたのは、岩木山麓で採れた果実と木の実でした。
海辺の貝や魚とも、相内の発酵した果実の飲み物とも違う、山の食べ物です。
籠の中には色も形も違う実が混じり、割った木の実も一緒に入っています。
千歳は赤い実を一つ口へ入れました。
「甘い。」
ナキも隣から一つ取ります。
「酸っぱい。」
「どっち?」
「千歳が甘いなら、私は酸っぱい。」
「反抗期?」
「違う味だった。」
本当に別の実でした。
ナキは今度は木の実を一つ選び、千歳も負けずに別の果実へ手を伸ばします。
バキ教官が笑ったので、千歳は余計に悔しくなりました。
休憩を終えて坂を上がると、視界が開けます。
土の上へ、石が輪を描くように置かれていました。
自然に転がった石ではありません。
大きさの近い石が間隔を空けて並び、その内側だけ踏まれた土の色が少し違います。
アンジュは、その中央近くに座っていました。
背後には岩木山。
山頂までは見えません。
雲が半分を隠しています。
でも、その山から下りてくる水の気配だけは、千歳にも色で分かりました。
「また来た。」
アンジュが笑います。
「アンジュ先輩。」
呼んでから、千歳は少し止まりました。
アンジュが笑います。
「先輩いらない。」
「すみません。」
「それもいらない。」
「じゃあ……アンジュ。」
「うん。」
旅はここで終わりではありません。
むしろ、ようやく仕事の場所へ着きました。
高みの下では、子どもたちが細い水路へ籠を沈めていました。
一人が籠を上げようとすると、年寄りが声を掛けます。
「今日は深い方へ置いとけ。」
「なんで?」
「魚が落ち着かん日だ。」
子どもは理由を聞き返さず、籠を少し下流へ移しました。
その横を通ったナキが足を止めます。
相内でも、田小屋野でもしたのと同じ顔でした。
「また?」
千歳が聞きます。
「うん。でも、ここでも遠い。」
「同じ?」
ナキはすぐには頷きませんでした。
「似てる。まだ、同じって決めない。」
千歳は笑いました。
「それ、バキ教官にしごかれるやつだ。」
「千歳もでしょ。」
「私はもっと言われる。」
少し前を歩いていたバキ教官が振り返りました。
「自慢するな。」
祓いは、千歳が想像していたよりずっと地味でした。
セヲ様は何かを唱えるでも、石を叩くでもありません。
輪の端へ浅く水を張って流れる向きを見たかと思えば、今度は石の隙間へ細い枝を差し込み、戻ってくる水の方向を確かめる。
アンジュの手首へ触れたあとも、すぐ本人へ何かをするのではなく、また石へ戻りました。
同じ確認を、条件を一つずつ分けるように何度も繰り返します。
「長いですね。」
ククリが言いました。
「うるさい。」
「褒めてます。」
「嘘つけ。」
昼を過ぎる頃には、千歳の膝も泥で汚れていました。
ゲツ先輩は三回「お腹空いた。」と言い、三回ともハニチュウに干し物を渡されました。
バキ教官は途中から石へ背を預け、腕を組んでいます。
「バキ、寝てない?」
アンジュが聞きました。
「心で応援してる。」
「便利ね、それ。」
やがてセヲ様が立ち上がりました。
千歳は、泥だらけの膝を見てから聞きました。
「もう祓うんですか?」
「まだ。」
セヲ様は即答しました。
「今やるのは、石から入っている固定だけ外したら何が残るかの確認。祓いは、失敗する条件を全部潰してからやるものよ。」
「じゃあ、まだ途中?」
「そう。だから、戻るものがあるなら今見つける。」
やがてセヲ様がアンジュを見ました。
「アンジュ。」
「うん。」
「立って。」
笑い声が消えました。
アンジュは両手を地面へつき、ゆっくり腰を浮かせます。
力の入りきらない膝が震え、一度は身体が前へ傾きました。
バキ教官が反射的に腕を出しますが、アンジュはその手を取らず、自分の足で踏ん張りました。
震えていた膝が、少しずつ伸びていきます。
「あ。」
周囲から声が漏れました。
アンジュ本人が、一番驚いた顔をしています。
「立てた。」
アンジュは信じられないものを見るように自分の足を見下ろし、まず右足を石の輪の外へ出しました。
続けて二歩目、三歩目。
千歳には、歩くたびにあの戻り線が細くなっていくのが見えます。
今度こそできた――そう思った時でした。
輪の外でずっと見ていた子どもが、母親の手を振りほどきました。
「どこ行くの?」
アンジュの足が止まりました。




