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第14話 最初の舟

三内丸山を出る朝は、まだ空気が冷たかった。


荷が揃うまでの間、千歳は水辺の火のそばで妙な三人を見つけました。

ハニチュウが、旅に持っていく小さな土器を両手で持っています。

その横にゲツ先輩。

もう一人は、見覚えのない仮面の男でした。


「この口の広さ、いいですね。」

ハニチュウが土器の縁を指でなぞります。

ゲツ先輩が頷きました。

「分かるー。口は大きい方が一気に入るよね。」

仮面の男も頷きます。

「うん。俺も大きい方が好き。」


千歳は足を止めました。

「何の話してるんですか。」


「土器です。」

「食べる時。」

「袋。」

三人が順番に答えました。


「全員違うじゃん!」

仮面の男が声を上げて笑います。

「でも話は通じてたよ。」

「通じてません!」

「細かいなあ、千歳。」

今度は千歳が止まりました。

「なんで名前知ってるの?」

「さっきバキがでかい声で呼んでた。」

「……それだけ?」

「それ以外に何があるの。」

そう言われると返せません。


少し離れたところから、もう一人の仮面が呼びました。

「行くぞ。」

「はいはい。」

仮面の男は軽く手を上げます。


そこへ荷を抱えたバキ教官が来ました。

「お前、また遊んでんのか。」

「仕事の途中。」

「どこがだ。」

「人と話すのも仕事だろ。」

男は悪びれもせず笑うと、もう一人の仮面の方へ歩いていきました。


「知り合い?」

千歳が聞くと、バキ教官は荷を舟へ放り込みました。

「顔を知ってるだけだ。」

「仮面なのに?」

「うるせえ。」


水辺には細長い丸木舟が三艘並び、舟人たちが黙々と荷を積んでいる。

少し離れた場所では、さっきの仮面の二人が若い男を年配の女のところへ連れてきていました。

男が背負い袋を下ろすと、女は何も聞かずにその肩を叩きます。

周りも気にしていません。


千歳が見ていると、バキ教官が言いました。

「モノビトだ。」

「モノビト?」

「人を渡す仕事をしてる。」

それだけ言って、バキ教官は舟へ乗りました。

千歳は、もう一度二人を見ます。

片方が若い男と話している間、もう片方は男ではなく、水辺と舟と道を見ていました。

旅立ちの朝には珍しくない光景らしく、周りの誰も気にしていませんでした。


水袋、干した魚、木の実、替えの縄。

どれも置き場所が決まっているらしく、千歳が手伝おうとした瞬間、舟人の一人が手のひらを向けた。

「それはこっちでやる。」

「でも、私たちの荷ですよ?」

「だからだ。水の上じゃ、置き方を間違える方が面倒だ。」

バキ教官はもう舟の中央に座っていました。

「任せろ。こいつらの仕事だ。」

千歳は少し不満でしたが、言われてみればその通りです。

自分たちが女神だからといって、舟の上まで何でもできるわけではありません。


すぐ横では、年配の女が殻付きの栗を籠へ詰めていました。

千歳が両手で持ち上げると、見た目よりずっと重い。

「これも旅の分?」

「うちの分と、蟹田の浜の分。あそこの子ら、去年の栗を気に入ってくれてね。」

女は籠の中から、とりわけ大きな栗を三つ選び、一つずつ別の葉で包みました。

「こっちは、カイとトキとミオの分。」

「三人?」

「昔、ここで一緒に育った子らだよ。栗が焼けると、誰が先に食べるかでいつも騒いでさ。」

「今は蟹田にいるんですか?」

「三人とも蟹田へ行くって聞いたっきりでね。」


千歳は包みを指さしました。

「一つずつ、三つですね。」

「数えなくたって分かるだろう。」

「一応です。」

女は声を立てて笑い、小さな包みを千歳に預けました。


「今年も頼まれたんですか?」

「頼まれなくたって、食べてもらいたいじゃない。」

女は籠から別の栗を一つ取り出し、火の端へ転がしました。

「でも、焼くのは向こうに着いてから。持っていく間に冷めちまう。」

千歳は籠を元へ戻し、三つの包みを荷に収めました。

余ったものを舟に載せているわけではなさそうです。

最初から、別の浜で食べる人の分まで数に入っていました。


出発前の朝食には、木の実と焼いた栗のほか、サルナシ、夏に採って干しておいたクワの実やキイチゴが、小さな籠いっぱいに並びました。

長い旅の朝なのに、甘いものが祭りの御馳走のように特別扱いされているわけではありません。

ゲツ先輩は迷うことなくサルナシを二つまとめて口へ入れます。

「旅っていいね。」

「まだ出てませんよ。」

「もう美味しい。」

「基準そこなんだ。」


舟が沖館川系の水路を抜け、青森湾へ出ると、背後の三内丸山が少しずつ小さくなりました。

千歳は舟人へ聞きます。

「どこまで送ってくれるんですか?」

「北へ。蟹田の方まで。」

「そこから別の人?」

「そうだ。」

「何人いるの?」

舟人が笑いました。

「数えたことねえな。」

「私は数えるよ。」

「なんで。」

「人だから。」

バキ教官が横から言いました。

「千歳は、分からないものを数えると安心する奴なんだ。」

「悪い?」

「悪くない。面倒なだけだ。」

舟人が声を立てて笑いました。

千歳は頬を膨らませましたが、その頃にはもう、岸の景色が見慣れた三内丸山の水辺とは違っていました。


日高見の道は、地図の線ではありません。

まず、人から始まりました。


青森湾を抜けると、水面が急に大きくなりました。

海は広いのに、舟人たちは遠くを見ているようで、実際には岸の色や風の向きばかり気にしています。

千歳には同じ青に見える場所でも、櫂を入れる深さが少しずつ変わっていました。


昼前、蟹田方面の水辺へ舟を寄せます。

火のそばへ座ると、最初に出てきたのは焼いたマダイでした。

皮が焦げて、身を割ると湯気が立ちます。

ホタテは殻のまま火へかけられ、口が開いたところへ海水が少し残っていました。

ツブ貝は小さな木の串で中身を引き出します。


貝を焼いていた女が、千歳の前のホタテを指さしました。

「殻の汁、こぼさないでね。うちの浜の自慢だから。」

「貝じゃなくて、汁が?」

「貝もだよ。どっちも。」

女は得意そうに笑い、貝をもう一枚、火の端へ置きました。

千歳はホタテを口へ入れて、思わず目を閉じました。

五千年後の青森でも、きっと似た匂いがする。

そう思っていると、ゲツ先輩が横から空いた殻を差し出しました。

「もう一個いく?」

「いきます。」

「即答だね。」

「そこは迷いません。」


舟人が三内丸山の栗の籠を浜の人へ渡すそばで、千歳も小さな葉包みを取り出しました。

そこへ、浜の子どもが駆けてきました。

「三内の栗?」

「そう。カイとトキとミオに、って。」

子どもは栗の包みを見たまま、少しだけ黙りました。

「俺がカイ。」

「じゃあ、三人そろってる?」

「ここには俺だけ。」

千歳は思わず、包みを数え直しました。

「一、二、三。なのに、一人?」

「トキは小泊。ミオは石神。三人で蟹田へ来るはずだったけど、途中で住むところが変わったんだ。」

「三内のおばあさん、みんな蟹田にいるって思ってたよ。」

「そっか。まだ言ってなかった。」

カイは一つ受け取り、残る二つを千歳へ戻しました。


「小泊と石神まで行く?」

「行くよ。」

「だったら、トキとミオに渡して。俺の分はここで食べる。」

カイは栗を火の端へ置き、焼けるまでの間、千歳が持つ二つの包みを見ていました。

「ミオ、栗が好きなんだ。三人で三内にいた時から。」

「トキも?」

「トキも。俺の一番の友達。……でも、ミオのことじゃ、ちょっと競ってる。」

「何を?」

「大きくなったら、ミオにどっちが選ばれるか。」

千歳はカイを見ました。

この土地では、女の子が相手を選ぶのが当たり前なのだそうです。


「カイは、自分が選ばれたい?」

「そりゃそうだよ。」

カイはすぐ答えてから、火の中の栗を転がしました。

「でも、トキが選ばれたら、あいつが笑うだろ。俺、あいつが笑う方がもっと好きなんだ。」

「悔しくないの?」

「悔しいよ。だから、俺だってミオに選んでほしいんだって。」

千歳が笑うと、カイは少し赤くなりました。

「トキには変なこと言うなよ。」

「どこからが変なこと?」

「そこからだよ!」

栗の皮が小さく弾けました。

カイは熱そうに指先で転がし、ようやく笑いました。

千歳の荷には、栗が二つ残りました。


食べ終えた頃、さっきの女が舟人から灰色の薄い石を何枚か受け取っていました。

珪質頁岩の剥片です。

指先で刃を確かめ、一枚だけ舟人へ返します。

「こっちは割れ目が悪い。ほかのにして。」

舟人が石を替えると、女は干した貝を葉に包んで渡しました。

「石で貝を買うんですか?」

千歳が聞くと、女は剥片を掌に並べます。

「刃にしてもいいし、次の浜で渡してもいい。食べものと同じで、使う人がいるからね。」

その隣では、舟の縁を直していた男が、受け取ったばかりの魚を齧っています。

自分の網を出しに行くでもなく、また舟底へ顔を戻しました。


食事の間も舟人たちは休んでいるようで、完全には休んでいませんでした。

「午後は北が少し強い。」

「平舘は岸寄りで行け。」

「潮が変わる前に出るぞ。」

女神たちが食べ終わる頃には、次の舟人が水と荷を確認し終えています。

交替は淡々としていて、誰も大げさに引き継ぎません。


千歳は、さっきまで一緒だった舟人が岸へ残るのを見ました。

「海は続いてるのに、ここで人が替わるんだ。」

「だから境だ。」

バキ教官が言いました。

「境って、ここからここまでって線じゃないの?」

「線じゃねえ。同じやり方が通じなくなる場所だ。舟が変わる。風の読み方が変わる。案内する奴が変わる。違うもの同士を、そこでつなぎ直す。」


千歳は、荷を受け取る次の舟人を見ました。

地図には線一本で描かれる道が、人の手では一度そこでほどけ、また結ばれていました。


午後、大平山元に近い海域へ差しかかった頃でした。

ハニチュウが急に舟の中央へ移動し、荷の陰へ身体を低くしました。

「どうしたの?」

「別に。」

「隠れてない?」

「隠れてません。」

どう見ても隠れています。

バキ教官は海の方を見たまま言いました。

「放っとけ。」

岸には人影がありました。

ハニチュウは、そこを見ませんでした。

千歳も、それ以上は聞きませんでした。

聞かないことも、旅の途中では必要なのかもしれません。


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