第三十五話「思ったより想われている」
悲しい中目覚めた朝。
それでも今の気持ちは晴れやかな朝を迎えたいと思えた。
少しづつだけど立ち向かおうとしている。
天は勇気を振り絞って部屋の扉を開けた。
ギィィ⋯⋯と短い廊下を響かせる扉の軋む音にドキッとして開け放つのを躊躇う。
細々とした扉の隙間から視界いっぱいに見渡して状況を確認。誰もいない。大丈夫そう。
どうやら自分から行くのはいいけど、向こうから誰かが来られるのはまだ怖いみたい。
ゆっくりと扉を開いては目をぎょろぎょろと動かして、必死に人を視認しようしながらもようやく人が出られる位まで開け放つ。
ゴクリと息を飲み、私は一歩足を部屋の外へと踏み出す。
今度は踏みつけた床がギシッと音を鳴らすが私は気にならなかった。それよりも自分から部屋を出られた感覚に不思議と自信がついたようだ。
ふと視界の端に置いてあったものに目をやると、それは昨日と同じように運ばれていた朝ごはんだった。
今回も普段食べている日本食と変わらず正直安心する。
その上にお椀で踏ましてあった小さな紙を発見。手に取ると「無理して食べないでいいからね」とのメッセージカード。
「ううん。残したりしないから」
そんなことしないよ。
私は一人でに呟いて宿の奥に目を向ける。
奥ではガチャガチャと陶器類を洗う音が聴こえる。
私は意を決してお盆を手に取るとそちらに向かう。
ふと隣の勇人の部屋に目を向ける。
今は話し掛けないでもいいよね?いざ出てこられても何を話していいか分からないし。
私は自分に言い聞かせるように言葉を紡いで進む。
ギシッギシッと床を鳴らす足音につれて、「本当にそっちに行くの?」と私の弱い心が問い掛けてくる。
それを振り払うように首を動かすと、私は大丈夫と自分に言い聞かせて目に決意を浮かべる。
そうして宿に来た最初の部屋に到達。
チラりとカウンター奥に視線を送ると、まだ洗っているようでガチャガチャと音が聞こえた。
私は近くの机に目を付けるとおもむろにお盆を置く。
「もう出てきて大丈夫なの?」
後ろから掛かる声にビクッと身体を震わせて振り返ると、いつの間にか食器を洗い終えた昨日の女性が立っていて、「おはよ」と片手をひらひらと振ってにこやかに笑う。
「あっ⋯⋯えと」
驚いて私は身体が勝手に後退しているのに気がつく。
言いたい事沢山あったのに、目の前で霧散したように消えて何を伝えたらいいか分からない。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
女性は両手を合わせてすぐに引き上げようとカウンターの方をちらりと見やる。
ううん、あなたは悪くない。謝るのは私の方。
「あら?わざわざこっちでご飯食べに来てくれたの?」
女性は私の手前に置いてあった机のお盆に目を向けてそう話す。
そうだ。料理。伝えなきゃ。
私は出ない言葉の変わりにコクリと首を大きく縦に振って女性の問いを肯定。
そのうちに言いたい事がまたインクが滲むように思い出されていく。
「昨日のご飯、ありがとう⋯⋯ございます。美味しかったです。後、宿に通してくれた事も⋯⋯遅くなりましたがありがとうございます」
「いいのいいの!そんなこと⋯⋯大変だったんでしょ?」
この女性は何にも言わずも私の状況を理解してくれているようだ。
伝えようにも何から言えばいいやら。言葉に詰まった私はコクリとだけ頷くと女性はまた優しく微笑む。
「そんな事よりご飯食べましょ?さっ、席へどうぞ」
女性は座るタイミングを逃した事も織り込み済みのようで、すぐに椅子をひいて座るよう促してくれる。
そうなれば行為に甘えないわけにはいかない。
私は言われるがまま席に座った。
しばらく手を膝に置いて待っていると、「あれ?食べないの?」と女性。
「いえ⋯⋯自分だけ先に食べるなんて」
それに女性は笑って「いいのよ」と答えると「もう食べ終わったから」と続けた。
「あっ⋯⋯」
そういえばさっき皿を洗っていた。もう配膳して貰ってた時には食べ終わっていたのだろう。
女性は目の前の席に座ると「そんな気を遣って貰わなくても大丈夫」と言う。
その女性の言葉に私はふっと心が軽くなり、目の前の食事に目を向ける。
「いただきます」
手を合わせて食べ始めると、女性は嬉しそうに手にしていたカップに口をつける。
「やっぱり美味しい」
日本食だからか、よけいに安心して食べ進めることができて思わず笑みがこぼれる。
「でしょ?」
女性は自信満々に鼻を鳴らしてカップを揺する。
私は食事に手をつけながらも目の前の女性に目を向ける。
それにしてもこの人の名前はなんて言うんだろう。
大人びた雰囲気を纏っているが、見た感じ年齢も近そうに思えた。
すると女性は私の視線に気がついてこちらに視線を向ける。
ハッとして思わず目を逸らすが、失礼だったかと俯いたまま黙々と食事を続ける。
「⋯⋯ユキ・サルビア」
女性-ユキさんはエスパーなのか。
私の気になっている事を当てて驚いて顔を上げると、ユキさんは上品に髪をかき上げて「フフフッ」と楽しそうに笑っていた。
「そういえば、ユウトくんには伝えたけど貴方⋯⋯ミカちゃんには言ってなかったわね」
「あっ、私、二階堂天って言います!名前を言うのも遅くなってすみませんッ!」
私は急いで立ち上がり腰を九十度に曲げて頭を下げる。
だが目の前の女性―ユキさんはこちらをフォローするように大袈裟に笑ってくれた。
「いいんだって。それに、ユウト君から聞いているしね」
勇人から?
あいつまさか変なこと言ったんじゃ-。
「違う違う。変な事は言ってないわよ」
またしても考えている事を読まれてしまった。
もしかして私は顔に出やすいタイプなんだろうか。
「ただ、ユウトくん頑張ってるよ-ミカちゃんの為に」
「私の⋯⋯為?」
「うん」
ユキさんは私のこぼした言葉に強く頷いた。
「昨日ね、ミカちゃんが部屋に入ったあとユウトくんを半日くらい借りちゃったの」
「-えっ?」
ユキさんはカップをお茶を飲むと「ふぅ⋯⋯」とため息を漏らしてまた揺すっては話を続ける。
「無償で宿を提供は出来ないからさ?働いて貰ったの。結構強引に。でも彼いやな顔一つせずに⋯⋯いや、絶望した顔は何度かしてたか。人多かったし。でも耐えた。すごいね。働いたのは初めてだって言ったのに、逃げ出さずにやり切るなんて」
「まさか⋯⋯⋯⋯あいつが?」
私は立ったまま身体を震わして、力が抜けた手からスプーンを落としてしまう。
高校に上がってまだ半年も付き合いが無いのに?
同じクラスだけどまともに話した事もない相手なのに?
「ねぇ⋯⋯⋯⋯どうしてか分かる?」
ユキさんの声にドキンッと心臓が大きく脈打つ。
勇人が?ありえない。
いくら何でも話すようになったのだってここに来てからの話。それも会話とも言えないレベル。
そこまでして貰える程の仲じゃない。
私はいつの間にか視界がゆっくりと曇っている事に気が付かなった。
どうして?私なんか-⋯⋯。
「-ミカちゃんが心配だったからじゃないかな」
ユキさんの言葉に私は何かが決壊したのを感じた。
ふと、頬を伝う一筋の温かいものに手をあてがう。
「あれ?おかしい⋯⋯なぁ」
声もおかしい。どうしてこんなに震えているの?
「おかしいなぁ⋯⋯」
頬を伝うそれは一つ、また一つと数を増していく。もう止まらないほど溢れるそれはハンカチが必要な量だった。
「今だって生活費って言って朝から仕事をしに行ってるよ」
いつの間にか下を向いていた顔を上げると、ユキさんがハンカチをこちらに差し出してくれていた。
私はそれを受け取り顔に当てる。その優しさにまた溢れてきてしまう温かいものを受け止める為に。
「わぁあ⋯⋯あああッ」
情けない事に私は小さい子供のように声を上げて泣いた。
死ぬほど恥ずかしいけど堪える事は出来なさそうだ。
ユキさんはフワッと羽衣のように後ろから私を抱きしめてソッと頭を撫でてくれた。
「辛かったんだね⋯⋯大丈夫。誰もミカちゃんの敵なんていないから」
それがまた私の涙腺を破壊していく。
勇人はここに来てからずっと私を支えようと必死に動いてくれていた。
自分だって本当は怖くてどうしようもない筈なのに、そんな姿は一度も見せずに私を構ってくれていた。
なら、私が勇人の為に出来る事ってなんだろう?
「私にっ⋯⋯でぎる、ごどっでなんだろう」
震える声で漏らす私にユキさんは「それなら!」と閃いたように両手を叩いて人差し指を私の顔の前に突き立てた。
「-少し手伝ってくれない?」




