36 鍛冶工房でも役立つパン
その日は、朝から少し時間をもらって俺は町をうろついていた。
普段より視点も高く、とても良く見通せる。
何を隠そう久し振りに馬に乗っているからだ。
ユーリお嬢様の諸国漫遊―――ではないサファイア求めて三千里はなくなったが、その時に俺が乗る予定だった馬はそのままお務めに使えとのことだったので、慣らし乗馬を兼ねて町で用事を済ませているところだ。
お嬢様用の馬車に使われている馬の一頭を借りているので、大変良く言うことを聞いてくれてとても乗りやすい。
また住んでいるくせにいまだ何処に何があるかなんて全然分かっちゃいないので、この高さは本当にありがたい。
お蔭でお嬢様お手製の落書きにしか見えない地図でも、お目当ての場所が直ぐに探し出せそうだ。
ついでにこの用事でお嬢様へ指南役らしく教えてあげられることが一つ分かったので、そのうち実行へ移そうとも思う。
どうやらここみたいだな。
手元の紙切れに示された場所に、大きな鎚と炎が描かれた木の看板。
俺は建物の前の木に馬をつないでから、ゆっくりと『ヴァン鍛冶工房』の扉を開けた。
中ではイカツイ体をした数人の男が火花を散らして鉄を打ったり、剣だけでなく鎌や車輪の軸のようなものを手にして、研いだり成型をしていた。
少し見慣れた光景に、職人の中で一番偉そうな男を思わず海ゴリラだと錯覚したくらいだった。
建物の中は騒音だらけなので、俺は一番近くにいた若い職人へ大声を掛けた。
「すみません!!」
「はい!!! 何でしょうか!!!」
見掛けによらず俺の数倍ほどありそうな怒鳴り声が返って来た。
「お屋敷の衛兵隊の紹介で来たのですが、剣のグリップで少し作ってほしいものがあります!!」
「分かりました!!! お話はあちらで!!!」
若い鍛冶師に連れられて、俺は工房の隣にある小さな建物へ案内された。
いわゆる商談スペースと言ったところだろう。
あれほどうるさいと、客との間で品物の細かい仕様の詰めなどできるはずもない。
「失礼しました。親方の手が離せませんので、ひとまず僕がお話をお聞きします。申し遅れました、鍛冶師見習いのルーカスです」
「僕は、サフィール様付きの者でケントと言います」
あの海ゴリラもどきが、ヴァン親方に違いない。
俺にしても指南役なんてえらそうな役名はとても口にできないし、エサやり当番とも言えないので、初対面の人には当たり障りのない付き人と名乗っている。
「サフィール様の―――ではケント様、今日はどのようなご用件でしょうか?」
「実は、この剣のグリップを作り替えたいのです」
少し値踏みをされた視線の後、俺は右腰の剣を外してルーカスに手渡した。
「確かに結構傷んでいますね。では同じ形でご用意すればよろしいですか?」
「いえ、実はこんな感じで、手の平全体を使って握りこむ形のものを新しく作ってもらいたいのです」
俺は、前もって家の余ったパン生地で作って来たピストル型グリップを見せながら説明をした。
「これは―――パンですか?」
「はい、参考になればと思って」
「それにしても珍しい形ですね。十字型のものは稀に持ち込まれますが、このように三角形で握りしめる形は初めてです」
「でしょうね」
まだピストルなどの銃火器が発明されていないこの世界ではそうだろう。
「材質はどのようなものでお作りすればよろしいですか?」
「この剣と同じくらいの強度があれば、何でも構いません」
「分かりました。僕も見たことがない初めての品物ですから、この―――型をお借りしてよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。使い終わったら食べても大丈夫ですよ」
「ははは、御冗談を」
俺はパンの塊をルーカスさんへ渡す。
「ではこれを元にお作りしますので一週間後くらいにお越しください。ただしその間は剣も御預りしますので、ご注意ください」
「分かりました。ところで不躾を承知でお尋ねしますが、この工房の一角で構わないので少しだけ使わせていただけませんか?」
「ケント様がですか?」
驚きの目で見られるのは当然だが、別に酔狂で言っているのではない。
ここならば、サフィールロッドをもっと精度高く直せる。
鍛冶師達へ任せてもいいのだが、彼らはロッド本来の形がどのようなものか知らないはずなので任せるのには少し心配なのと、俺が自分でやりたい気持ちが強かった。
だが当然のことながら、返事は芳しくなかった。




