<EP_029> フロント判断
早島に戻ると、迫水は平瀬を監督室に連れ出す。
平瀬はデスクに座り、迫水はソファへと座った。
「窪田の移籍意思は確認しました。来てくれるそうです」
「そうか……で、困ったこととは?」
「年俸です……FC今治から、一年のレンタル移籍は了承してもらったのですが、年俸の三割負担を条件にされました」
迫水は両手で顔を覆うと大きく息を吐き出す。
「窪田の年俸は二千万です。その三割の六百万を払う必要があります。ウチの選手の年俸は三百万。選手枠は一人分。窪田を獲得するには、誰か一人を切る必要があります……」
「そうか……」
平瀬は立ち上がり、後ろ手に組みながらグラウンドを見た。
迫水は奥歯を噛み締め、平瀬の背中とグラウンドを交互に見つめる。
グラウンドではコーチに指導されながら選手たちが練習をしていた。
「チーム編成は監督にお任せしています。どうします?窪田を獲りますか?それなら誰を切りますか?」
「他に選択は?」
「ありません」
迫水はそう言うと、深く目を閉じ、下を向いた。
平瀬はグラウンドをしばらく見つめ、瞑目した後、平瀬はデスクに座り、鼻先で指を組む。
「窪田は獲る。切るのは……納谷だ」
「納谷……ですか……」
グラウンドには必死の形相で練習している納谷の声が響いた。
「理由を聞かせて貰えますか?」
「納谷は去年の怪我の影響だろうが、明らかにパフォーマンスが落ちてる。あれじゃ、試合では使えない。ウチが売却された後、契約してもらえる可能性は低いだろう。だったら、今のうちに切ってやるのが親心ってもんだ」
納谷は現在二八歳。
昨年終盤に怪我をして、リハビリも終わり、今季こそと意気込んでいた。
納谷はベンチにいても誰よりも声を出し、ボランティアや挨拶も真面目に行う選手。
迫水の右膝が疼いた。
「……そう……ですか……わかりました。納谷には俺から伝えます」
「俺も一緒に行こう」
「いえ、納谷を切るのはフロント判断です。俺だけで十分ですよ」
立ち上がった迫水は、足早に監督室を出ていった。
事務所に戻り、納谷の契約解除と窪田との契約書類を作成する。
(俺は正しいのだろうか?)
迫水は自分に問い続けていた。
練習が終わり、選手たちがクラブハウスへ戻ってきた。
キャンプも終盤となり、満足のいく連携も取れるようになっているのだろう。
選手たちの顔は一様に明るかった。
「納谷、ちょっといいか」
迫水は震えそうになる声を押し殺し、表情を消して、ロッカールームに行こうとする納谷に声をかけた。
応接室に入り、納谷に座るように勧める。
納谷からは見えないように大きく深呼吸すると、対面に腰を降ろした。
「納谷。悪いが、本日をもって、キミとの契約を解除する」
テーブルの上で拳を組むと感情を押し殺して短く告げた。
組んだ拳に力が入り白くなった。
「え?なんて?」
「聞こえなかったか。キミとの契約を解除すると言ったんだ」
迫水の言葉に納谷の表情が抜け落ちていくのが、鮮明に見てとれた。
「ど、どうしてですか?怪我は治りましたし、開幕までには合わせて見せますよ」
「残念ながら、キミのパフォーマンスは、これ以上、上向かないと判断させて貰った。開幕前の時期だというのに申し訳ない。こういうのは早いほうが良い。」
縋るような納谷を前に、迫水は奥歯を食いしばり、冷徹な仮面を貼り付けたまま言葉を紡いでいく。
「そんな……監督、平瀬監督は何と言っているんですか?」
「監督も了承済みだ。キミを切るのはフロント判断だ」
表情の抜けた顔で見ていた納谷だったが、淡々とした迫水の言葉を聞く間に、みるみる紅潮し眉が吊り上がっていく。
「ああ、そうですか。わかりましたよ」
納谷は勢い良く立ち上がり、練習着を乱暴に脱ぐ。
「正式な書類は明日交わそう。キミさえ良ければ、関連工場への就職を用意するが……」
「いえ、結構です。お世話になりました!」
床に叩きつけられた練習着から土埃が舞った。
納谷は、応接室から飛び出し、そのままロッカールームへと走り去る。
「え?ちょっと、GM!」
京子が慌てて応接室へ駆け込むと、額に両拳を押し当て、深く瞑目し、奥歯を噛み締めて動けずにいる迫水がいた。
「GM!納谷が契約解除ってどういうことですか!」
応接室で動けずにいる迫水に、憤怒の形相を浮かべた青木が怒鳴り込んできた。
迫水は青木の声に、苦悶の表情を消し、顔を上げると極めて無感情に声を絞り出す。
「青木、これはフロント判断だ。口を挟むことは許さない」
「納得いきません。なんで納谷なんですか!そりゃ、今は怪我明けで動かないかもしれませんけど、いつかきっと……」
「それを待ってる余裕はない」
「そんなの答えになってません」
青木は引こうとしない。
迫水は、天を仰ぎ、大きく息を吐き出すと、崩れ落ちそうになる足を踏ん張って立ち上がる。
「……わかった。明日、監督に言って時間を作ってもらう。そこで、事情を説明する。それでいいな。……真野、プレスリリースの準備をしておけ」
迫水は、青木の横を通り過ぎ、京子へ顔も見ずに告げると、事務所へ戻っていった。




