第十七話:無道ムード
………。
普段とても温厚で、大抵のことは問題ないと許してくれる人間がいる。
そういう彼や彼女を指し、「怒らせてはいけない人」という表現も聞く機会は必ず一度はあるだろう。
俺の持論として、それは決して普段怒らない人ほど本人が怒るとメッチャ怖いという意味ではなく、そんな人を怒らせるレベルの愚行を働いてしまった事、それ自体を指しているのだと思う。
並大抵のことを許してくれる相手が怒る程の事。
確かに、そんなのはやった本人が悪いわけだ。
―――けどいう程俺悪かったか? あれ。
明らかにお腹に命が宿ってる段階なのに主治医の言う「軽い運動なら」を曲解した患者サイドに問題があるだろ、アレは。
懇々と、諄々と。
まさか300歳になって正座させられるような無様な大人だったとはな。
しっかりこってり絞られて精神もとことん参ってしまった。
夜ベッドに潜り込むまでの記憶が「疲れた」一色に塗りつぶされてたほどだからな。
ま、そっちは良いや。
ところでこの状況を見てくれ。
「んっ。ふ……ぅ」
「……………」
……。
あっちも絞られてたっけ? 昨日。
素晴らしく柔らかく素晴らしくいい匂いに目を覚ませば、お隣に横たわる毒にも薬にもなる肢体。
鎧っていうか具足っていうか愚息も大喜び、今に過ちが起きる十秒前……ready。
「―――スゥー……、スパァー……。ふーーぅ」
取り敢えず、心を落ち着けるために枕元にあった紙巻に火をつけ寝覚めの一服。
サーガが吸ってるような真正の煙草じゃなく隣の女性が処方してくれてる薬草を巻き込んだ医療品の一種だが、この状況だと更に誤解を招きそうな構図に変わる不思議。
一服で落ち着く中。
身じろぎの中で白色の髪はサラリと流れ、今に太陽が昇るように黄金の瞳が開かれる。
「ん―――、ぁ。ん、ぅ……お目覚めでしたか。おはようございます、ラグナさま」
「―――……フィーア……、さん?」
「はい、ラグナさま……、んっ」
………。
「私何かやったか?」
「なにか、とは?」
いや。
覚えは沢山あるが、どれの事なのか分からないんだ。
漏れる吐息。
ふんわりとした、露出のない寝巻ですら何故か艶めかしく……今にゆっくりと上体を起こした彼女は―――どうしてそんなにニッコニコなの?
というかいつぶりだ? 彼女が隣で寝てたの。
「最後に君がこの抗議活動に及んだのは……80年も前だな」
「もうそんなにも経ちますか……」
抗議活動で納得すんのかよ。
……良いとも、説明しよう。
およそ普段はあり得ない事だが、フィーアには不満を抱えた場合にとる特殊な生態っていうか行動がある。
ベッドに潜り込む―――だ。
どういう思考の帰結でそうなったのかは知らん。
僅かに心当たりがあるとすれば、アレだ。
昔、彼女に「男のベッドに潜り込むのはとっても悪い事」と必死に教育したことがあったが、その件によって悪い事=これ……、ならば不満がある時にやる非行はこれが一番……と学習してしまった可能性が微粒子レベルで存在。
流石は歴史上で唯一、二柱の大神の加護を受けた勇者だ、レベルが違う。
何はともあれ、天才の考えることはいつだって凡人には理解できないものだ。
近しい生態としては、薬を盛って強制的に眠らせるというのもあるな。
茶会の折や彼女の領地を訪ねた時などよくある話だが、そちらの場合は事前に滋養強壮に優れた飯をたらふく食わせたりなどしたうえで、俺が寝ている間に色々と治癒してくれるわけだ。
正直、聖女というにはあまりに過激派な方法だが、当然いかがわしい事など無い。
精々寝顔を記録されファイリングされてる程度……。
いや、盛られといて何もされないってのもそれはそれで異性としてどうかと思うが。
「ラグナさま」
「は、はい……」
「陛下のお身体は安定しています。王太子殿下もすくすくと……。とても喜ばしく、めでたい事です……」
「う、うん」
お腹の子は男児だって話だからな。
まだ公に伏せられている話としては、本当に国が大混乱になるだろう。
「ですけれど……。足りません」
た、たりない?
「ラグナさまの赤ちゃん……沢山抱っこしたいんです。沢山お世話したいのです、私」
「あーー、フィーアさん?」
「もっと……、もっと……」
おっかしいな。
聖女さまってこんな話通じないタイプだったっけ。
このままだと六魔の常識人枠が近衛騎士長だけになる。
俺の代わりに副団長入れるかやっぱ。
てか国外逃亡しよう、そうしよう。
「まだお身体自体の生殖機能は衰えていませんよ? 今日も……、お元気で」
「生理現象だ」
挑発してるんです?
余程俺をオークに転生させたいらしい聖女様はゆっくりと身を寄せてくる。
「それとも、ラグナさまはこれ以上のお子はお望みにはなりませんか?」
「む……ぅ」
「良いですよ。ラグナさま。私でしたら、気兼ねなく。どのようにお使いいただいても、私は決して……」
「それ以上はいけない……!!」
答えにくい質問ばかりが飛んでくる戦場ゆえ、少し突破口を考えあぐねていたが、その地雷だけは設置させられない。
彼女が陛下と俺の間に子供が出来て喜んでくれた理由も、更なる後継を望む気持ちも理解できる。
死霊種であるフィーアがそこに価値を見出したのもだ。
が、俺にも流石に看過できない事はある。
身を寄せてきたのを幸いと、その両肩を掴み瞳を覗き込む。
「フィーア。私はいつだって本気だ」
「……は、はい」
「決して、生半可な気持ちで女性を相手にしようなどと思わない。決してだ。その結果がこのざまであり、この体たらくだ。或いは、私にその資格があるのかすら……と。ずっと、そう思っていた」
「―――。本当に、あなた様らしいと思います」
「そんなあなた様を、私たちは。私は……」
ふわり……と。
純白の雲のように柔らかな彼女の身体が密着する。
「お慕い申し上げております、ラグナさま」
「……!」
「私を暗闇から連れ出してくれた……心を掬い上げてくれた。あなた様を……愛しております。私の心は、あなたのもの。これから先も、ずっと……。この特別は、あなただけに」
「フィーア。私は……、ッ」
……。
「うふふ……」
手の力を抜いた拍子に、するりと身体が離れる。
唯一、俺の胸に触れたままの右掌だけが彼女の存在を現実だと認識させ。
それさえ離れてしまえば真実消えてしまいそうなほどに儚く……、しかし真実として幸福そうに彼女は笑う。
「充分。充分なのですよ。だって、貴方のここには―――もう、私の分は沢山入っていますから」
「……………」
「幸せなのですよ、私は」
……成程、ね。
……。
そうか。
やはりフィーアは。
ならば、そうさな。
あくまで彼女がそれを求めるのならば。
異端の魔族として、自分が子を遺す事が出来ない個として一歩引いた立ち位置を望むというのなら。
俺は甘んじて―――。
「否だ。私はそれを認めない。断じて認めん」
「え?」
離れた身体を無理やり引き戻す。
「話を戻そう。その権利が私にあるのかと、資格を問い続けた。―――結果、今更だと気付いたのだ」
「……え?」
「資格があるかないかなど、関係ない。そも、私は今までの生の中でソレを携えていた機会がほぼなかったのだと、気付いた」
地球経由アウァロン行き……当然に無賃乗車。
兵を率いての大粛清決行……当時の俺は階級なしの平騎士であり、彼等に命令を下せる権利なぞなかった。
ロスライブズでの調査任務……通行許可証もなく、地上の関所から思いっきり攻撃された。
召喚器を使って千年前へ―――そもそも神が選んだ勇者じゃねーよ。
「資格など必要ない。興味も、今更取得する気もさらさらない。ただ、逃がさない……、君は私のものだ。君の全てが欲しいのだ、私は」
「ぁ……」
「そうだ。許されるのなら、いまこの場にでも……」
抵抗なく仰向けに倒れた身体に覆いかぶさる。
そのまま、言葉を証明するように唇へ向かい―――。
「んぶっ」
……?
「うふふ……。はい、分かりました」
え―――嘘だろ。
この流れでキャンセルされることあるの?
絶対18禁の確定演出入ってたじゃん、昨晩はお楽しみの流れだったじゃん。
「―――待ってます、ね?」
「……フィーア」
「私は最後で良いのです。わたしより先に、彼女たちを迎えに行ってあげてください」
差し出されるは、彼女の唇の代わりに俺の接吻を受け入れた紙束。
……これは?
「この後の予定表です。勿論陛下からも許可は頂いております。……三日、いただきますね?」
………。
……………。
「あれ?」
◇
世界を救った筈が、いつの間にやら新たな陰謀に巻き込まれている不思議。
しかもその首謀者と思われるのは聖女様。
………。
分かっていた事だが、俺の周りの女性陣の中で一番の恋愛強者ってフィーアだよな、実は。
あの駆け引き含め、まさか全部掌コロコロだったってことか?
多分、陛下の許可ってのも先の件で脅したんだろうし―――え、もしかして陛下が安静に耐え切れず勇者達とのイベント戦を思い付いた事すら計画通り……とかほくそ笑んでたり?
……流石にか。
「ここ、か」
あれから数時間。
普段なら殆ど気にも留めない身だしなみを整え、髪形を変え……やがて踏み込む建物。
商業区の中でも圧倒的な地価を誇る一等地に居を構えるは、魔皇国でも上流階級の御用達とされる建物……中央社交倶楽部。
内部の広さもあり王都における主要な祝宴は大体ここが舞台で、大宴祭なんかもここでやってる。
士官学校のパーティーとか、大きな催しなんかでも利用されたりしてな。
確かにいまだ発展途上、未来の貴族らが形から入る稽古場としてはピッタリだろうが―――今更彼女にそれが必要か?
釈迦に説法だろ。
魔皇国でも一、二を争う大貴族たるローレランスの当主様だぞ。
閉ざされた正面入り口を素通りし、既に華麗な音が零れる楽屋口からコッソリ侵入。
踏み込んだ空間の煌びやかさたるや……しかし、今にその全てが単なる脇役に成り下がった。
「来たの―――……。遅いわよ」
「……、手紙に書いてあった時間通りの筈なんだがな」
不覚を取ったのは否定できない。
一瞬返答を躊躇った程、言葉に出来ない……しようとしたところで溜息しか出ない程の、美しさ。
ドレス姿のイザベラがそこに居た。
彼女もまた、普段滅多に目にする事がない程に身だしなみを整えているようで。
優雅な旋律こそ流れ続ける空間、しかし音楽を奏でる劇団員など只一人もおらず。
ただ置かれていた楽器たちが、ひとりでに奏でる旋律。
これを全部ワンオペ操作とは。
魔力量なら確かに上はいるだろうが、こと精密操作にかけてこの大陸で彼女に勝るものはいない。
陛下でさえも、だ。
「術の極致……。流石だな」
「久しぶりじゃないかしら? こういう所にくるの。勘は鈍ってない? アルモス」
「……ふ。懐かしいな」
そうだな。
彼女に最初に出会った頃、俺はまだそう呼ばれていた。
当時は、それこそが俺を指す唯一の名だった。
「単なる美術鑑賞デートのお誘いとは思っていなかったが。同窓会にはまだ時期尚早じゃないか?」
「美術は刺激そのものよ。ボケ防止には刺激が大事って知ってるでしょ?」
「君の齎す刺激は、大抵禄でもない電気ショックだからな。説得力が伴わんぞ」
「ふふっ。ほら」
「ん」
「―――ところで、なにかないのかしら?」
「……。見惚れてしまった自分を恥じた。そのドレスは随分と凝った造りだが、一人で着られるようなものなのか?」
「なに? 脱がせたいの? ふふふっ」
………。
差し出された手を腕で受けエスコートするまま、たった二人、エントランスから館内を一周できる画廊を並び歩く。
遠目から追従するように行進し、穏やかな音楽を奏で続ける楽器たち。
画廊は歴史上の有名画家の作品は勿論、魔皇国における歴史なんかを描いたものも多い……が。
「少し様変わりしたか? 依然とはやや……」
「支配人の権限でね。この一帯はここ2、300年のものが大多数を占めているわ」
「道理で見覚えがある……いや、あり過ぎるな」
作者イザベラじゃねえか。
昔、研究の合間に描いてみたって何度か見せられた絵ばっかだわ。
【連塔の都市シャルンドア】
イザベラが治める妖魔種の一大都市であり、魔皇国で最も技術の進んだ先進都市。
その風景画か。
【探求】
あまりに簡潔なタイトルに反し、写実的な要素など皆無な……高熱を出した時の夢に見るような、様々な色彩の交じり合った……俺でも描けそうな絵。
これ数億円もするの?
【扉に抵抗する男】……何だよこれ。
目の前には扉の爆発に巻き込まれて吹き飛んでいく男の姿が描かれている。
「あなたと最初に会った時の事。よく覚えてるわ」
俺が人間やめてからまだ三年くらいだったか。
「あの時のあなたなら無理やりに、簡単に組み敷けたのに」
「ははは。そして、あわよくば実験材料に、か」
絵画を見上げながら預けられた頭を支える。
追い回されたなぁ、あの頃は。
まして、当時すでに魔皇国でも指折りの実力者だったイザベラと、そこらの魔物にすら逃亡の一手だった未熟な俺とでは、まるで戦いにならなかった。
シャルンドアに行ったのすら、魔物に食いちぎられた指を治してもらう為で……。
本当に、できる事といえば全力で逃げるくらい……それですら、一瞬でも遅れれば待つのは実験台だった。
「だから、あなたが強くなれたのは私のお陰でもあるのよ?」
「結果論で言えばそうかもな。が、実験台にされて何度体調を崩したと? 結局、いつだって最終的には地道に強くなる……、或いは強者と死合うのが一番と……、……!」
通り過ぎゆく絵画の中にそれを見つける。
題名は―――【城塞の大騎士サブナーク】
作品が描かれたのは400年前……か。
………。
「……カルディナへ害獣を討伐しに行った時の事。覚えてるか」
「あなたが私の奴隷になったあれね!」
「どうやら違う記憶らしい」
絡み合う指に力が入れられる―――いてててて。
成程、確かにあの時の魔女はオーガに変装してたな。
城塞都市カルディナが突然変異の亜種個体が率いるオーガの軍団に占拠されたと……当時話を聞いたときはソレは跳びあがったものだ。
あの都市は当時からして魔皇国屈指の軍事拠点。
治める大貴族は、国内でも十指に入る実力者で……。
「けど、その時点で既にあなたもそこにいたわ。20年くらいしか経ってなかったのに」
「私は酷く弱い存在だった。どんな敵であろうと、死を覚悟しなければならない程に……。強く、誰よりも強くならねばならなかった。私が変わらねば、いつだって誰かが目の前で消えた。だから早急に……」
「変わらなきゃいけなかったのね……」
「あぁ……。それですら、私に救えないものが多すぎた」
「知ってるわ。全部みてたもの。あなたが強くなっていくのも、その話し方が本当のあなたになっていくのも―――背負っていくの、全部」
「それ程までに変わったか? 私は」
「少なくとも昔のあなたはそんなくたびれてなかった。私たちと話すときは……、俺って。今みたいに気取ってなかった。もっと可愛げがあったわ」
「……………」
「けれど」
彼女の指に込められていた力が和らぎ、包み込むようなものへ変わる。
「あなたは、あなたよ。名前や口調が変わっても、変わらない。例え魂の本質が変化しても……貴方はあなた。私も、サーガも、フィーアも……皆、あなたに会って救われたの。だから私たちは、あなたが大好き」
果たして、その「好き」はどこに属する種別なのか。
尋ねることも出来ず、再び歩みが始まる。
なにゆえか、どちらも無言のまま、暫くは現れる絵画を見上げては歩み、そしてまた見上げ。
折り返しの地点。
最奥の展覧室では他とは一線を画す大きな絵が飾られている。
描かれたのは200年以上前―――画題は、「帰還」
玉座の魔王へ跪き、忠誠を誓う黒髪の騎士の姿が描かれている。
………。
作者不詳の説明書きに依れば、描かれたのは王都内乱より前の年代。
だが、不可解な事にその男は鏡越しに見た事のあるろくでなしそっくりであり、しかも黒の長剣―――装飾からしても、この国に伝わる神たる魔剣に酷似したそれを携えている。
極めつけはこのタイトル……。
まるで、未来予知のような……作者は何者だ?
或いは、建国騎士の物語から何らかの着想を得たスピリチュアル的な芸術家の作品か?
「壮観だな。これも、名のある画家が……」
「これ描いたの、メノウおじさまよ?」
「……………マジか」
「画家としても著名だったの」
多彩すぎだろあの天才。
……。
彼は何を考えこんな作品を―――いや。
「敵としては、どんな気分だったか。或いはそういう癖でもあったのか?」
敵……と一口に言っても、宿敵という意味もあり、他の意味でもある。
俺も、彼も、龍も宰相も……多くの男が彼女に狂わされた。
だからこそ、俺にも僅かばかりに理解できるのだ。
どれだけ言葉で認めようと、諦めを覚えようと……選ばれなかった者は一生の闇を抱え生きていく。
「……………貴方は」
最期の瞬間にさえ彼女の名を呟いていた男は、俺にとってかけがえのない友の一人だった。
道さえ違ければ……、いや。
俺たちは互いの譲れないものを賭け、全てをさらけ出して殺し合い、俺が残った。
ただ、それだけだ。
「いずれ、向こうに行ったらまた話そう。メノウさん」
「……………」
絵画に話しかける不審者へ胡乱気な視線を送るお隣。
が、向いてみれば表情は既に変わっていた。
「……。おじさまも、今の私みたいな感情を持っていたのかしらね」
……。
「―――え?」
「私は、とても絵なんか描けるとは思えないけれど、ね」
「ラグナ。あなたにとって私たちは大切。それは知ってるわ。あなたの言う大切な世界っていうのは、この国の事だから」
「至極当然のことだな」
「けど―――それでも。あなたにとっての世界は、陛下とそれ以外にも分けられる」
「………。それを否定する事は出来ない」
呪いのようなものだ。
例え何があろうと、俺にとっての最優先は彼女。
「だが、私は例え神を敵に回しても君たちを護る。相手が魔王エリュシオンでさえなければな」
「私が誰かに攫われたら、命を懸けて助けてくれる……でしょ?」
「その場合は相手が気になり過ぎて眠れん」
「ばか」
イザベラがそうなるレベルの敵って何だよ。
神くらいだろマジで。
「本当に……、羨ましいわ。ズルいわ……陛下って」
「……………」
「陛下は、いつだって私の欲しいものを先に持ってるの。私だって……一緒に過ごした時間なら負けないのに。想いなら、負けないのに。私の方が先に好きだったのに」
「……なんて、ね」
「言えないわ。そんな事。きっと、陛下は人間の貴方に会ったその時から、ずっと想ってたんだもの。たった一人、あなたを探し続けていたんだもの」
………。
……………。
いつしか画廊を一周して中央へ戻ってきた俺たちは、そのまま階段を上った先の大ホールへ。
あまりに広い空間の中で、他の誰一人もが存在しない中で……音楽を奏で続ける楽器たちの導くまま、繋がれたままの手を握り直し、踊る。
「おかしいわ。どれだけ踏もうとしても踏めないの」
「そもそも踏もうとしないでくれ」
「一回くらいいいじゃない、昔みたいに……あ。あんなところに見た事もないくらい綺麗な女の子―――」
「今の君よりもか?」
「………。本当に達者になったわね、あなた」
流石にこれだけ時間があればな。
それに、イザベラが完璧に準備を整えた状態……今の彼女の前に立って前かがみにならない男魔族がいるか? いや、いない。
ゴブリンやオークだったらその場で腰を振り始めるぞ、多分。
「けど例えに品がないのは昔通りね」
「育ちが悪いからな。ゴブリンとオーガとオークの公用語を発酵させ、無理矢理落とし込んだ言葉遣いで悪かったな」
「あはっ。懐かしいわ!」
昔言われたな、そんな悪口。
本来、俺のような低俗な育ちは彼女と話をすることさえできなかった筈だが……。
「いつからなんだろうな」
「いつって……なにが?」
「……。いや。すまない、気にしないでくれ」
こうして場を整えてまで勇気を出してくれた相手に対して「いつから俺のこと好きだったんだ?」などと聞く。
これはあまりに野暮だったと思い直す。
「―――いつからっていうのなら……分からないわ、そんなの私だって。他の子たちみたいな決定的な瞬間とかなかったもの」
「……頭の回る研究者は。敢えて濁したんだがな」
「聞いてきたのが悪いの」
そりゃそうだが。
………。
息遣い、握り合う手のぬくもり、手で支える腰の柔らかさ。
全てがあまりに暴力的。
ここにきているという事は、彼女自身これから俺がどう動くかは理解している筈だ。
勿論「そのつもり」はさらさらないが……。
「イザベラ。私は何度も言った筈だぞ。君ほどの女性であれば、地位も山の財も思いのまま。……元から全部持ってる事を考えなければ、だが。それより何より、顔も最高の男であろうと掌コロロ……」
「興味ないわ。そもそも他の男の子たちじゃ土俵が違うの。私が恋しちゃったのは、世界で一番強くて、格好いい男の子だもの。流石私、目に狂いないわ」
楽器が一つ、一つと動かなくなる。
よくよく聞けば、それ等は音程がズレたものから止まっている。
やがて、残っていたピアノはらしくもないミスを最後に止まり……演奏が完全に止まる。
逆に、肌を通して伝わる鼓動はどんどん速度を増し。
「好き……、好き。大好きよ。あなたのことが、大好き」
「……………」
「ね、ラグナ。あなたは……」
「私……あの時言ったの、本気よ? 子供だけで……思い出だけで、良いの。あなたの一番が陛下だっていうのは分かってるし、絶対に敵わないのも分かってる。だから、せめて―――あっ……」
「その先を言うな」
身体が触れあった事など、それこそ数十数百とあった。
俺の身体が壊れかけとなってからは、それこそ数えきれない。
だが。
今まで、互いがこんな感情で抱き合った事などはないだろう。
「反故にするつもりなどない。私が君との約束を違えた事があったか」
「……………」
「考えるな。そこは即答でいいえで良いんだ。……それに―――、何のために私がトカゲ共を黙らせたと思う」
「え?」
あぁ、それは別に考えて良いぞ。
の方が本気度が伝わる。
「―――――。うそ……、うそ……!!? じゃあ、もしかして……。祖父様……、五公龍さまたち全員にあなたが会いに行ってたのって!?」
「陛下の命じゃない。私個人の野暮用だ」
交際を宣言する際に一番厄介なのはいつだって頑固な親族共。
ついでにその茶飲み友達共の口も封じれればなお良かった。
ただ、それだけだ。
「最強種族共がこぞって宝石の如く大切にする……龍姫を奪おうとするんだ。その程度できず、どうする」
「全ての龍種に喧嘩を売ったのなんて、あなたが最初で最後でしょうね……。しかも、その理由が……。そんな……」
自分でくだらない理由って言おうとしたか?
俺からすれば当然の行動だが。
「―――そんなに私が欲しいの?」
「君の全てがな」
「ホン、ト……本当に、あなたって……」
「気にするな。とやかく言われる前に一匹ずつ黙らせただけだ。誰にも、何者にも文句など言わせん」
彼女が嫌だと言うのなら。
……いや、むしろ今更やーめたって言われたところでこっちから何処までも追い縋る気でいたが。
俺だって我慢ってものはある。
「さぁ、前置きは終わりだ。最早後悔しないかなど聞かんし、決して逃がさないぞ? イザベラ。隠していたが、私は独占欲も最強になった」
「……ぁ、ぅ」
普段からクール美女気取っておいて、自分から誘いに誘っといて……あ、いや。
それすらもフィーアプロデュース?
もしかしてシナリオだのシチュエーションを考えたのも彼女だったりするのか?
「私に……、出来るかしら。子育て」
「気が早いな。だが、そういう時こそ親友を頼ると良い。大喜びで手伝ってくれる」
―――言ってから思ったがもしかしてこれって畜生発言か?
ネグレクトの見本?
家庭顧みないクズ男の台詞に思えてきた。
「ラグナ……」
力が抜けたように腕の中に納まるイザベラ。
そのあまりにしおらしい姿は……。
………。
辛抱溜まらんな、いい加減。
こんなご馳走出されて黙ってられるか。
「今まで挑発してきた分、返させてもらうぞ」
「きゃっ!!?」
抱擁の状態から、腕と身体を動かす。
不意打ちだったからかやや暴れるイザベラに取り合わず、彼女を横抱きするまま硬質な床を歩き始める。
社交界だからな、当然そういう過ち的交流の為の部屋もある。
「ら、らぐな!? こんなの知らない! 台本に―――」
「台本? 何のことやら。そもそも由緒ある大貴族の令嬢様が、護衛も連れずこんなにも魅力的に自分を飾り立てて一人出かける……そんなのは、ケダモノにどうぞ食べてくださいと言ってるようなものだ。自覚がなかったのか?」
自分の方が強いのだから護衛なんぞ要らないってのも結構だが、何故下手人は自分より弱いと言い切れる。
オークにエルフ、或いはゴブリンに聖女。
逆でも良いが。
天下の魔王軍最高幹部としては、世の紳士たちの期待には応えないといけないだろう。
一枚絵にも期待しておいてくれ。
「ばか! ばかばかばか! 少しはムードってものを……!」
「あーはいはい」
「このあんこくきょーー!」
もう朴念仁ではなくなったらしいな。
が……ちょっと暴れ過ぎじゃないか?
折角のドレスが乱れるだろうが。
悪いが俺は自分で脱がせる派だ、暴れないでくれ。
「ズルいわ! 本当にズルいわあなたって! どうしていっつも私ばっかりこんな……!」
「何とでも言うがいい。あー、そういえば誰かさんが言ってたなぁ、私が負けて死ぬかもしれないなどと……。遅れたが、その分のお仕置きも必要だな……ふふふっ。果たして死にかけの老人かどうか、存分に分からせてやる」
「色情魔! スケベ鎧!」
蔑称減ったと思ったとたんに増やすな。
ああ言えばこう言うっていうか、売り言葉に買い言葉っていうか……。
「はははっ」
本当に。
俺たちの関係っていうのは、結局こういうものなんだな。
魔術の師であり、悪友であり、同僚であり……そして、また追加されるらしい、新しい関係。
「愛してるぞ、イザベラ」
「―――……。……ばか」




