雨
人間は貪欲だ。
数々の人間を見てきた俺は思う。
そう言い切れるのは、俺が人間に捨てられているからだ。
「…チッ」
舌打ちして、隣に捨ててあるテレビの液晶を蹴り飛ばす。
俺は人型兵器だ。
人間が造り出した、相手を潰すための道具。
しかし、光線を出せるような新型が造られたので、拳のみで戦い抜いた旧型の俺は不要らしい。
あれだけ勝利に導いてやったのに、腹が立つ。
さらに俺の苛立ちを助長しているのは、空から落ちてくる水だ。
俺よりも弱いくせに、しつこく纏わりついてきやがる。
ハエを払うように腕を振っても、またすぐに纏わりついてくる。
何だこの水、攻撃力もないくせに。
「寒そうだね」
その時、声がした。
空を見ていた視線を下げると、そこには水色の何かを頭上に掲げている人間がいた。
人間の中でも女と呼ばれる、戦場には滅多にいなかった種類だ。
戦場に来ることも出来ない弱者が、俺に何の用だろう。
しかし、人間の女は全く口を開く気配がない。
何なんだ、と思ったが、ふと思い出す。
「おい」
俺が声をかけると、人間の女は驚いたような顔をした。
「この水、何とかしてくれ」
俺が言うと、人間の女はきょとんとして、ふっと小さく笑った。
そして、一歩距離を詰めると、俺を水色の中に入れた。
途端に、水は纏わりついてこなくなる。
「何とか、出来た?」
人間の女に聞かれ、俺は頷く。
「あぁ。この物体は何だ?」
すぐ上にある何かに触ってみる。布製のようだ。
「物体って…これは傘だよ。習わなかった?」
「俺は兵器だからな」
俺の答えに、人間の女は特に驚いた様子もなく言い放つ。
「それにしては表情が豊かだね。あと、物を知らなくて生意気」
「お前、怖いもの知らずだな」
普通、自分よりも強者がいたら、恐縮するものだろう。
人間の女は俺の指摘など気にせず、質問してくる。
「どうして、ここに立ってるの?」
「今朝捨てられた。新型が出たから俺は不要なんだとよ」
人間の女は顔を伏せ、呟いた。
「相変わらず、人間は貪欲だね」
その言葉に、俺は疑問を覚える。
それは、機械の俺が思っていたことだ。
「お前は、人間だろう?」
「…君には、どう見える?」
人間の女は顔を伏せたまま、上げようともしない。
「人間だ」
はっきりと言い切る。
俺たち機械とは、戦闘力が桁違いだ。
戦闘力くらい、相手を見れば分かる。
「じゃあ、人間だよ」
「じゃあ、って何だよ」
気分がささくれているせいか、投げやりな返事に苛立つ。
「俺が捨てられたからって、なめてんだろ」
人間の女は何も答えない。
「人間なんか、一瞬で殺れるんだぞ」
そいつの首に手をかける。
しかし、全く抵抗がない。
力を込めてみるが、動じる気配すらない。
どんなに訓練された兵士も、殺されそうになると泣いて喚いて命乞いをしたというのに。
ついに、人間の女が”傘”を取り落とした。
俺は手をかけたまま力を緩める。人間の女は咳き込んだ。
「お前…死ぬことが怖くねぇのか?」
俺が聞くと、人間の女は俺を見上げた。
「殺したいなら…殺していいよ」
その目は冷たく、何処か寂しげだった。
思わず、手を離す。
「…お前、名前は」
「…琥珀…」
「琥珀か。俺は五号だ」
俺が名乗ると、琥珀は驚いた顔をした。
「名前があるの?」
「やっぱりなめてんだろ」
「いや、ごめんね。永く都市を離れていたから」
琥珀は、まるで久しぶりにそうしたかのように、ぎこちなく微笑んだ。
「五号。行く場所がないのなら、私の家に来ない?」
眉を寄せた困ったような顔で、ぎこちない笑みを続ける琥珀。
「お願い。そうして」
頼み込まれ、俺は考える。
確かに、俺に行き先はない。それに。
ちらりと琥珀を見る。
こいつにも興味があるしな。
「分かった」
俺はそう答えた。
琥珀の家は、都市からかなり離れた森の奥に、隠れるように建っていた。
こんなところに住んでいたら、外に出ることが億劫になっても不思議ではない。
森の緑の中でその家の青色は、ぽつりと建っていた。
「なんか、お前に似た家だな」
「ありがとう」
琥珀は、この家が本当に気に入っているらしい。
皮肉で言ったつもりだったが、訂正するのが面倒でやめた。
「…雨、酷くなってきたね」
声を掛けられ、自分がこの家をジッと見つめていたことに気が付いた。
「おう」
琥珀は暗証番号を使うことなく、戸を払って中に入った。
開けっ放しだったらしい。
「タオルを取ってくるから、五号はここで待ってて」
「あぁ、逃げも隠れもしねぇよ」
琥珀はパタパタと廊下を駆けていった。
斜め後ろを見ると、傘立て、と呼ばれるものがあって、そこには二本の傘がある。
ひとつはさっきまで使っていた大きめの水色の傘。
もうひとつは、古びた桃色の傘だ。
誰か同居人でも居るのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は室内に目を向けた。
たくさんの色を塗りたくったそこは、悪趣味としか思えない。
それに、乱雑に置かれた物のせいで、足の踏み場がない。
俺は思った。
この人間は、戦場では生き抜けない人間だと。
「勝手にあがるぞ」
ひと声かけて、靴を脱ぐ。
室内に入る時は靴を脱ぐべきだということは習った。
音を立てて相手に気取られると厄介だからだ。
床の中央に置かれているものを手に取る。
人間が日常で使う道具というものに、俺は馴染みがない。
使い方どころが、名前すら分からない。
だから、とりあえず邪魔にならないよう、端に移動させる。
それを繰り返していると、琥珀が戻ってきた。
「お待たせ…って何散らかしてるの?」
「散らかしたのはお前だ!」
琥珀は、俺が手に持っているものと床の状況を見比べる。
「もしかして…片付けてくれていたの?」
「散らかってたから、つい」
手に持っていたものを端に置くと、琥珀はくすくすと笑った。
「五号って、意外と世話焼きなんだね」
「意外って何だよ」
「感心したんだよ」
「感心した奴は笑わねぇだろ」
「それは分かるんだね」
琥珀は笑いながら、少し背伸びして俺の髪を拭いた。
俺はそれをためらいなく振り払う。
「余計な世話だ」
「はいはい」
白いタオルを手渡され、俺は琥珀の頭にそれを乗せて雑に拭く。
「ちょっ…痛い痛い痛い…なんで私を拭くの?」
「お前が濡れてるから」
手を止めて答えると、琥珀はタオルを退けて言った。
「ありがとう。でも、私はいいの。五号のほうが濡れているから」
「俺はいい。兵器だから」
「…そういう言い方、好きじゃない」
「お前は人間だろ」
キッと睨み上げられ、思わず俺も睨み返してしまう。
張り詰めた空気を破ったのは、琥珀だった。
「…防水?」
「……は?」
「五号は防水なのって聞いたの」
「当然だろ」
最近の機械で防水じゃないものなんて、むしろ珍しい。
「じゃあ、汚れているからお風呂に入ったほうがいいね」
琥珀は俺に背を向けると、何事もなかったようにそんなことを言った。
「おい…」
「いいから。ほら、早く」
言葉を遮り、琥珀が奥へ進む。
「何なんだよ…」
俺は呟いて、琥珀のあとに続いた。
足場の悪いところには慣れているが、色彩の豊かさに目眩がする。
こんな家に住んでいる琥珀は、やっぱり変わり者だ。
琥珀はオレンジ色の扉の前で立ち止まった。
「お風呂はここ。シャワーの使い方は分かる?」
「そのくらい分かる」
「傘は知らなかったけれど」
「うるさい」
「じゃあ、五号が入っている内に、服を買ってくるから」
「いい。気を遣うな」
「そういうわけにもいかないでしょう」
琥珀は水色の傘を持って外に出て行った。
「上がったぞ。服、悪かったな」
桃色の椅子に座っている琥珀に声をかけると、琥珀は俺を振り返って溜め息を吐いた。
「なんで、わざわざ元の服を?」
琥珀の前に、琥珀が買ってきた服を机の上に置く。
「こんな薄っぺらい衣服より、この戦闘用衣服のほうが安全だ」
「…うん、そんな理由だろうと思った。まぁ、座って」
水色の小さな机を挟んで、琥珀と向き合うように紫色の椅子に座った。
俺が座っても、琥珀は難しい顔で黙り込んでいた。
「なんだ、怒ったのか?」
俺がそう言うと、琥珀はゆるゆると首を横に振った。
「違う、五号は悪くないよ。五号もそう設定されただけって知っているから」
琥珀は寂しそうに言うと、俺のことを真剣な顔で見つめた。
「ねぇ、五号」
「なんだ」
一瞬目を逸らした琥珀が見たのは、小さな火が揺らめいている所だった。
家具の一部だろうか。
「これから、ここで一緒に暮らさない?」
火から離した目線を琥珀に向ける。
真剣な顔だった。
…あぁ、なるほど。
俺は悟った。
所詮は、こいつも力が欲しいだけの欲に塗れた人間だということか。
それが落胆という感情だと気付いて、俺は琥珀に期待していたことに気付く。
人間は貪欲だ、と言い切った琥珀に、自分は何処かで同族であることを期待していた。
俺が、人間に、期待を。
フッと嘲笑した。
下らない。
その嘲笑は琥珀に対してのものなのか、自分に対してのものなのかは分からない。
「お前、俺の主になりたいのか」
ゴミ捨て場から拾ってきたんだから、値段はタダだ。
しかも、機械は人に逆らえない。
だが、残念だったな。
俺は人間に逆らうことができる。
だって俺は、多くの人間の血を浴びた兵器だから。
そこまで考えたところで、琥珀が首を横に振った。
…横に?
「違う」
琥珀は言い切った。
「私は、五号の主なんかになりたいんじゃない」
俺は首を傾げる。
何を言っているんだ、この人間は。
新しい主でないなら、俺を拾った理由や面倒を見てくる理由が分からない。
琥珀は、そんな疑問も全て心得ているという風に、優しく微笑んで頷いた。
そして、俺の頬を両手で包んだ。
振り払おうと手を動かして、中途半端な場所で止まる。
また、だ。
微笑んでいるはずの琥珀の表情が、何故か泣いているように見える。
俺は振り払うことを諦め、手を下ろした。
…別に、心底嫌なわけではない。
「いい?よく聞いて」
琥珀はゆっくりと言い聞かせるように言った。
「兵器の君は、もう廃棄されたの。これからは、人間として生きて」
「人間として…だと?」
俺は、汚い人間しか見たことがない。
あんなものには、なりたくない。
俺が顔を背けると、琥珀はぐいっと正面に戻した。
また、琥珀と目が合う。
「でも、俺は…」
「もう五号に、主なんていない」
琥珀は遮るように言うと、続けた。
「五号は、戦わなくていい」
包み込むような微笑みに、何故か泣きたくなった。
涙なんて無駄な機能は備わってない。
でも、そんな気持ちになった。
「好きなだけここにいればいいし、出て行きたくなったら出て行っても構わない」
琥珀は、真っ直ぐに俺を見つめ続ける。
「五号は、自由よ」
「俺は…」
どうせ人間として暮らすのならば、琥珀にいてほしい。
「俺は…ここにいる。どうせ行き場もないしな」
その返事に、琥珀は笑った。
「ありがとう。これからよろしくね」
「礼を言われる筋合いはねえ。それにしても、この部屋は何だ?散らかりすぎてて、若干引くぞ」
「…五号は生意気だね」
色とりどりのこの部屋で、琥珀との生活が始まった。




