桜
それは、雲ひとつない青い空の日でした。
「桜、今年も咲いてるかな」
窓の外を見て彼女は呟きました。
「行ってみますか?」
僕が聞くと、彼女は「じゃあ行こうか」と立ち上がりました。
桜を見るのは、もう何度目になるでしょうか。
彼女は春になるたびに、山の中の桜を見せてくれます。
傘や椅子も桃色ですし、きっと桃色が好きなのでしょう。
「ちょっと風が強いね」
外に出ると、彼女はそう呟きました。
「昨夜は暴風でしたからね。止めておきますか?」
僕は平気でも、小柄な彼女は飛ばされてしまうかもしれない、と心配してのことでした。
しかし、それを伝えると、彼女は笑いました。
「大丈夫だよ。それに、人はこれくらいの風じゃ飛ばないから」
僕はその言葉を信じると、彼女と共に歩き出しました。
「今日はね、ちょっと君に話しておきたいことがあるんだ」
彼女の言葉に、僕は首を傾げます。
「何ですか?」
「桜の下で話すよ」
彼女はそう言ったきり、その話には触れずに当たり障りのない日常会話を始めました。
その桜は、山に囲まれた場所にあります。
「今年も綺麗だね」
彼女は笑顔で桜を見上げました。
「それで、話というのは…」
僕の言葉は途中で止まります。
「うん、実はね」
彼女の背後の山から、木が、―――――
「危ないっ!」
僕の体は咄嗟に動いていました。
彼女を力いっぱい突き飛ばします。
「えっ…」
彼女はわけが分からない、という顔をしました。
そして次の瞬間。
轟音がして、僕の上に巨木が落ちてきました。
強い衝撃に体が耐え切れず、地面に叩きつけられます。
血が出るわけではありませんが、体中から金属の折れる音や回線の千切れる音がしました。
それは、一瞬の出来事でした。
「え…?」
半分潰れながらも、首から上は巨木の下から逃れていました。
「すみ、まセん、琥珀サん。ケガハあ、りマせんでシタか?」
声を発するための回線が切れたのか、声は所々裏返るような不格好なものでした。
「怪我、なんて…そんなの君のほうが…」
彼女はふらふらとした危ない足取りで僕に歩み寄り、膝をつきました。
「なんで…なんで…?どうして私を庇ったりしたの…?君は…そんな…なんで…」
視界が不安定でよく見えませんが、彼女は泣いているようです。
「すミませン。咄嗟ノ、判断で、こハくサんを守ル、こトしかデキま、せんでシた」
彼女の涙を拭うことは、手のない僕にはできませんでした。
「コはく、さンが危ナイと思、っタら、体ガ勝手、に動いテイまし、タ」
「ごめんね、ごめんね…ごめん、私のせいで…」
「泣カな、いデクだサイ、こは、クサン」
―――――機械だから、痛くはないんです。
人ではないから、怖くもないんです。
今はただ、貴女を守れたことが、誇らしいんです。
だから、泣かないでください。
どうか、いつも通り笑ってください。
貴女が泣いていると、僕はどうしていいか分からなくなってしまう…。
彼女は、僕の頭を抱きしめました。
「すみマセん、琥珀サン…。ボク、もう…イシきが…」
「謝らなければいけないのは私のほうなのに…。君は、謝ってばかりだね…」
彼女は薄く微笑みました。
目の端には、まだ涙が溜まっています。
―――――貴女を残して逝くのは、正直心配です。
それに、まだ貴女と季節を過ごしていきたかった…。
でも、僕には時間がなくなってしまいました。
もう、貴女の顔すら見えなくなりました。
あぁ、叶うことなら。
貴女の笑顔を、まだ見ていたい…。
「あリガとウ」
彼女の泣き叫ぶ声が、遠くに聞こえます。
―――――ありがとう。
ありがとう、僕を拾ってくれて。
ありがとう、いろんなことを教えてくれて。
ありがとう、綺麗なものを見せてくれて。
ありがとう、笑ってくれて。
ありがとう、泣いてくれて。
そして、僕に心をくれて。
本当に、ありがとう。
視界が白に染まりました。
まるで、あの日の雪のような…。
あの日の感情を、今も心に在るこの感情を、言葉にするなら。
僕は最期の力を振り絞り、告げました。
「愛しています、琥珀さん」
意識は、そこで途切れました―――――。




