雪
この家に来てから、初めて雪が降りました。
「雪はね、人を楽しくさせるんだよ」
彼女はそう言って笑いました。
しかし、僕は雪で楽しくなる人間を見たことがありません。
戦場では指揮官が「厄介だな」と舌打ちしていましたし、街の人はみな俯いて迷惑そうに歩いていました。
きっと、この白い雪のように綺麗な心の人にしか、見えない何かがあるのでしょう。
「雪が降ったら外に出るの。コタツで丸くなるのは猫だけだよ」
彼女はよく分からないことを言いながら、僕にマフラーを巻いてくれました。
「温かくしないと、外は寒いからね」
「僕は平気です」
「駄目よ。見てる私が寒いでしょう」
彼女はそう言うと、自分もマフラーを巻きました。
確かに、温かそうです。
「じゃあ、行きましょうか」
楽しそうな笑顔を浮かべた彼女は、外へ繋がる扉を開きます。
厚着した彼女の袖に触れて、あの日の桃色の傘が傘立ての中でくるりと回りました。
「…すごい、一面真っ白ね」
その声につられるように、僕も外へ出ます。
―――――心が、震えました。
僕に心はありません。
しかし、どこまでも続いていそうな真っ白な世界を見て、僕の心は確かに震えました。
「ね、綺麗でしょう」
固まってしまった僕に、彼女は自慢げに笑いかけます。
「…はい。とても、素敵です」
声を絞り出すようにして答えました。
「気持ちを共有できることって、こんなに嬉しかったかな」
不思議だね、と彼女は笑いました。
僕の返事を待たずに、彼女は言葉を続けます。
「あのね、春は暖かいの。夏は暑くて、秋は涼しい。そして、冬は寒い」
「はい、知っています」
琥珀さんに、教えてもらいました。
「全部、一緒に過ごしていこうね」
僕が頷くと、彼女も満足げに頷きます。
しかし、僕にはひとつ不安なことがありました。
「共有…できているのでしょうか」
「ん?」
「きっと、琥珀さんの言う感覚は、僕には理解できません」
「…うん」
「だって、冬は寒いはずなのに、僕は今、何故か温かいんです」
彼女は虚をつかれた顔をしてから、静かに微笑みました。
それは、初めて会った時の表情に似ています。
「共有、できてるよ」
「どういうことですか?」
「私も、温かく感じているから」
「冬は寒いのに、ですか?」
「うん」
僕の胸に、彼女はそっと触れました。
やはり、温かくて柔らかい、優しい手です。
「温かいのは、心だよ」
「心、ですか」
僕は首を傾げました。
「僕に…心があるのでしょうか」
「あるよ、ここに。温かい心が」
彼女はきっぱりと言い切り、僕に笑いかけました。
「…琥珀さんが言うのなら、そうなのかもしれません」
こんなに安心感を与えてくれるものはきっと無理ですが、僕も笑顔を作ろうと頬を動かしました。
彼女は僕の顔を見て、ぷっと笑いました。
「ぎこちない笑顔ね」
「…そうですか」
頬を元に戻します。
彼女のような笑顔が作れなかったことは残念です。
「無理しなくても、その内できるようになるよ」
「その内、ですか」
「うん。大丈夫、時間はまだまだあるんだし」
「…そうですね」
彼女を過ごすこれから、を考えると、何だかわくわくします。
きっとこれは、”たのしみ”という感情です。
「そろそろ帰ろうか」
「はい」
彼女と共に、青い屋根の家に向かって歩き出しました。
ふと、足を止めて後ろを振り返ってみました。
そこには、彼女の小さな足跡と僕の大きな足跡が並んでいます。
この…感情は、何でしょう。
温かくて優しい…まるで、彼女のような。
「ねぇ」
声を掛けられて、ハッとしました。
彼女を見ると、立ち止まって僕を振り返っています。
―――――人の寿命が、僕たち機械よりも短いことは分かっています。
「今日の夕飯、何がいい?」
僕は彼女に駆け寄ります。
―――――しかし、彼女と共に日々を重ねることを、僕は望みました。
「琥珀さんの好きなものでいいですよ」




