蛙
共に暮らすようになり、僕の知識が偏っていることに気付きました。
日常会話に支障はありませんが、人が生活を通して普通に知っていることを知らないのです。
自分が機械だ、と思い知るのはそんな時です。
「そうそう。大分、上手くなったわね」
少し意識が逸れていましたが、今は夕飯を作っている最中でした。
料理を作る、という作業も、僕は知りませんでした。
「上達しましたか?」
「うん。そろそろ君一人で台所に立てるね」
「それは、琥珀さんが楽をしたいだけでは?」
「あ、分かっちゃった?」
彼女は、悪戯の見つかった子供のように笑います。
「あ、蛙だ」
不意に彼女が、台所にある小窓を見て呟きました。
「かえる、ですか?」
僕は、”かえる”を知りません。
「ほら、そこに緑色の小さな生き物がいるでしょう?」
彼女と同じように小窓から外をのぞいてみます。
そこには、ピョンピョンと身軽に跳ね回る小さな生物がいました。
「あれが、蛙と言うのですか?」
「そう。雨が好きなのよ。蛙にはたくさんの種類があってね、あの小さな蛙は雨蛙って言うの」
あまがえる。
僕は、”蛙”を知りました。
彼女の知っていることは、とても興味深いです。
僕の知らないことを彼女から教わるたび、彼女に近づけているような気がします。
僕は、この不思議な感覚が不快ではありません。
「他にはどんな名前があるんですか?全部、教えてください」
つい、勢い込んでしまったようです。
彼女は目を丸くしたあと、クスクスと笑いました。
「貪欲ねぇ。また見かけたときに教えてあげるから」
「……貪欲、ですか…」
それは、僕らを造った人間に当てはめられた言葉です。
少し落ち込んでいると、彼女は朗らかに笑いました。
「私だって、全ては知らないの」
「琥珀さんは、蛙が嫌いなのですか?」
「うーん、嫌いではないけれど…好き、というわけでもないかな」
それは、どういう感情でしょう。
感情を持っていない機械の僕には、理解できないのでしょうか。
「それさえあれば何も要らない、くらいに、それのことを好きな人が知っていればいいの」
「そうなんですか」
それは、どんな人なのでしょう。
僕には想像がつきませんでした。
少し会ってみたい気もします。
でもすぐに、彼女以外の人間には会いたくない、と思い直しました。
彼女以外の人間は、正直まだ苦手です。
「そういえば、君に好きなものはないの?」
僕は少し考えて答えました。
「ありますよ」
「へぇ。何が好きなの?」
「琥珀さんです」
彼女は、きょとん、とした顔をしました。
「……私?」
「はい。琥珀さんさえいれば、他には何も要りません」
「……えっと、うん。と、とりあえず、ありがとうって言っておくね」
「何故ですか?」
僕が聞くと、はにかんだような笑顔を浮かべた彼女は言いました。
「私も、君が好きだよ」
その言葉は、僕の問いかけの答えではありません。
しかし、僕は頷きました。
「…はい」
何となく、彼女の答えが分かったような満足感があります。
彼女は照れたように口を尖らせました。
「そこは、ありがとう、でしょう?」
彼女は、何処か温かいような感情を教えてくれます。




