雨
高校生になって、初めて書く物語です。
よろしくお願いします。
この世界には、機械は人間に逆らえないという規則があります。
しかし、人の造ったルールにも例外はあるのです。
外見は限りなく人に寄せて造られた、戦うための機械。
人型兵器。
それが、ジブンたちです。
何かを傷つけ、奪うためだけに、ジブンたちは造られました。
ジブンは、戦場でたくさんの人やジブンと同じ兵器を殺してきました。
しかし今、ジブンはゴミ捨て場に捨てられています。
ジブンよりも強い新型が造られたので、旧型は不要になったようです。
それを恨む気持ちはありません。人の判断は絶対なのです。逆らうことなどあり得ません。
ジブンたちは、そう設定されました。
…雨が、降ってきました。
とても弱い雨ですが、結構降り続きそうに思えます。
雨は、ジブンたち機械にとって、厄介な存在です。
このまま打たれ続ければ、ジブンは故障してしまう可能性もあります。
それでも、ジブンは動きませんでした。
この場を動くことは、ここにいろ、という命令に背くことになるからです。
「何をしているの?寒そうよ」
灰色の空を見上げていた視線を下げると、そこには桃色の傘を差した女性がいました。
ジブンを見上げて、静かな笑顔を浮かべている優しそうな人です。
「ジブンに寒いという感覚はありません」
ジブンの答えに、彼女は虚をつかれた顔をしました。
「…君、機械だったのか」
「そうです」
「ふぅん」
彼女は興味深そうな表情で頷き、ジブンのことをじっくりと観察しました。
彼女が顔を動かすたびに、桃色の傘がくるくると回ります。
「どこも壊れては見えないけれど…どこか悪いの?」
「ジブンに故障はありません」
「じゃあ、どうして廃棄されているの?」
「新型が出たので、旧型のジブンは不要です」
「ふぅん…」
彼女は口角を下げ、すっと目を細めました。
「人間は貪欲だね」
低くなった声色にジブンは疑問を覚え、失礼とは思いながらも質問しました。
「貴女は、人ではないのですか?」
「ん?君にどう見える?」
ジブンはすぐに答えました。
「人のように見えます」
ころころと変わる表情があるのは、人の証拠です。
機械には、感情がないから表情もないのです。
「そうよね」
彼女はそう言うと、腕を伸ばしてジブンを傘の下に入れてくれました。
「機械だとしても、寒そうなことに変わりないよ」
真っ直ぐに微笑みかけられて、ジブンは思いました。
なんて泣きそうな顔で笑う人なんだ、と。
「私の家においで」
気付けば、ジブンは頷いていました。
彼女の家は都市部からかなり離れた森の奥に、ぽつりと隠れるように建っていました。
雨で少し霞んでいますが、屋根を青く染めた木造の小さな家です。
彼女は暗証番号や鍵を使うことなく、戸を開けて中に入りました。…開けっ放しは危険だと思います。
「タオルを取ってくるから、待っていてね」
「はい」
濡れているジブンは、待っていることを命令されました。
待っている間に、家の中を観察します。
ここは、不思議な空間です。
赤、青、黄、緑、紫。
他にもたくさん、今までジブンが見たことないほどの色で、壁や床、天井が彩られています。
天井は青、床は緑、などの規則性があるようですが、一定の色ではなく、濃くなったり薄くなったりしているので、適当に塗られているように思えます。
もっとも、床にはものが乱雑に置かれているので緑の色の差はあまり分かりませんが。
彼女は物を整理することが苦手なのでしょうか。
家事ロボットもいないようですし、彼女の生活が心配になりました。
「お待たせ」
彼女は白いタオルを持って戻ってくると、少し背伸びをしてジブンの髪を拭いてくれました。
柔らかいです。
「ありがとうございます」
「いいよ、お礼なんて。私が勝手に連れてきたんだから」
タオルだけでなく、彼女もこの雰囲気もこの家も。
今、ジブンの周りにあるもの全てが、柔らかく感じました。
こんな感覚は、初めてです。
「ジブンはもう平気です。貴女も濡れています」
「私はそんなに濡れてないよ。君のほうがずっと濡れてる」
「ジブンはただの機械ですから」
彼女の手がピタリと止まります。
ジブンを見上げた彼女は、言葉を落とすように呟きました。
「そういう物言い、好きじゃない」
「すみません」
「…ごめんね。君のせいじゃないのに」
彼女は笑みを浮かべました。
「君は、そう設定されただけなのにね」
その顔が今にも泣きそうに見えます。
急に、呼吸が苦しくなりました。
先の雨で、故障したのでしょうか。
彼女はジブンの顔を見て、ふっと優しく笑いました。
「なんて顔してるの」
ジブンは、何か変な顔をしていたのでしょうか。
彼女の笑顔は、もう泣きそうではなくなりました。
気付くと、呼吸困難は治まっていました。
今まで、こんなことは一度もありませんでした。
不思議です。
「濡れた服を着ていたら、寒くなるよ」
「ジブンに寒いという感覚はありません」
「機械の体だからこそ乾かさないと。さぁ、上がって」
彼女に言われ、物を踏まないように気を付けながらあとを追います。
色とりどりの廊下の先に、リビングと思われるところがありました。
彼女は、先端の赤い小さな棒を擦って、火を出しました。
それを、木が積み重なっているところへ放ちます。
…何をしているのでしょう。
ジブンの視線に気づいたのか、彼女は教えてくれました。
「これは、暖炉というものよ。見るのは初めて?」
「はい」
「火を使うなんて原始的だと思った?」
「はい」
「正直ね」
彼女はクスリと笑いました。
「…うん、確かにそうよね。手も掛かるし、火事も起こしかねない。でも、私は暖炉が好きなの」
寂しそうな表情の彼女は、小さく呟きました。
「…大切な人との思い出が詰まっているから…」
その呟きは、ジブンに向けたものではないと判断しました。
おそらく、機械だから聞き取れたのでしょう。
だから、ジブンは返答をしませんでした。
彼女の放った火が、パチパチと音を立てて燃えています。
戦場で見た火とは違い、その赤は温かく揺らめいていました。
彼女は暖炉の前に座りました。
ジブンが立ったままでいると、彼女はジブンを見上げました。
「座らないの?」
「座れません」
「どうして?」
「貴女は人間で、ジブンは機械だからです」
「……」
彼女は、苦しそうな表情になりました。
何故でしょう。
不思議なことに、ジブンはその表情に焦りを覚えました。
敵に追い詰められた時と似た感覚です。
「座れと命令していただければ、ジブンは従います」
それを聞いた時の彼女の表情は、一生忘れられないと思います。
衝撃を受けた顔でした。それと同時に、深く傷ついたような。
まるで、間違えて仲間を撃って殺してしまった人間のようです。
「すみません。気分を害するようなことを言ってしまったでしょうか」
ジブンが訊ねると、彼女は首を横に振りました。
それは、否定の仕草で間違いないと思います。
「違うの。君は、悪くない。君は、そう設定されただけなんだから」
彼女は先と同じ台詞を寂しそうに言いました。
そして、おもむろに立ち上がり、ジブンの肩を掴みました。
何をするつもりなのでしょう。
彼女は、勢いよくジブンを引っ張りました。
突然のことに対応できず、ジブンは彼女と共に倒れこんでしまいます。
咄嗟に彼女を庇い、ジブンは強かに背中を打ち付けました。
この行動は、人間を守る、という兵器の習性的なものです。
ですが、彼女を守れたことには安堵しました。
「これは…命令ではなく、お願いよ。聞くも聞かないも君の自由」
彼女の顔をまっすぐに見つめて、初めて気が付きました。
彼女は、泣いていました。
頬に、彼女の涙が降ってきます。
何故か、先の柔らかい感覚を思い出しました。
「まず、一人称を変えて欲しい。ジブン、って、機械です、って言っているように聞こえるの」
「はい」
これは可能です。
「次に、私のことは貴女じゃなくて名前で呼んで欲しい。言い忘れてたけれど、私の名前は琥珀よ」
「はい」
これも可能です。
「最後に、」
ジブンを頬を、小さくて柔らかいものが包みました。
それは、彼女の手です。
温かい、なんて感覚はないですが、穏やかな優しさが伝わってくるような優しい手です。
「人間として、生きて」
「それは」
意味が、分かりません。
ジブンは兵器です。
人間のような感情も、人間のような温度も、人間のような表情もありません。
そんな混乱も全て心得ているという風に、彼女は優しく微笑みました。
そして、小さな子供に言い聞かせるように、ゆっくりと言いました。
「兵器の君は、もう廃棄されたの。役目を終えたのよ」
「ジブンには、分かりません」
手を伸ばして、彼女の涙を拭います。
「ジブンには、貴女が何故涙を流しているのかも、分からないのです」
今、目の前にいる彼女を見つめました。
「そんなジブンが、人間に、なんて…なれるでしょうか」
ジブンは、こんなに優しく温かい、人間に、なれるはずがありません。
「なれる」
彼女は、涙を拭ったジブンの手を、優しく包みました。
「涙の理由なんて、私にも分からないから、いいのよ」
彼女が、ジブンの上を退きました。
手を握られたままのジブンも起き上がります。
「もう君を支配する人間なんていない」
彼女の瞳は必死でした。
懸命に、ジブンに語り掛けていました。
「君は、戦わなくていい」
包み込むような微笑みに、ジブンは何故だか泣きたくなりました。
泣いたことはないですし、涙を流すなんて高度なことは出来ません。
「君は、もう自由よ」
でも、今、涙が流れたら。
涙が流せたのなら、彼女のような人間に近づけたのでは、と幻想を抱きました。
「ジブンは…」
叶うなら、優しい人の。
貴女の、傍に。
「僕は、琥珀さんの傍に居たいです」
僕の言葉に、彼女はとても嬉しそうに笑って、右手で僕の髪をくしゃりと撫でてくれました。
「これから、よろしくね」
色鮮やかな部屋の温かい暖炉の前で、僕と琥珀さんの共同生活は始まりました。
「ごめんね、背中…痛かったでしょう?座らせようとしたら、勢い余っちゃって」
「平気です。琥珀さんが無傷で良かったです」
「…ありがとう」
―――――たとえ。
たとえ、この物語が悲劇に染まったとしても。
僕は、この出会いを宝物と呼ぶでしょう―――――。




