クール × ヒステリック = 気体質量
白っぽい大きな建物と広い駐車場が見える。
銀色の立て看板の緑のラインの横に明朝体で市立総合病院。
ここに来るのは初めてだ。
引っ越してからまだ、体調を崩していないし、例え崩しても「市立総合は混んでいるからやめとけ」という情報を支社統合時に上司から教えてもらったこともある。
建物内に入ると右手に受付が見える。
確かに休日のこの時間なのに人はたくさんいる。
受付は何やら忙しそうにパソコン入力をしている。
僕に気付いた女性が目線を合わせ、「はい」と声を上げた。
「すいません。神谷と言います。整形外科の高橋先生お願いします」
「失礼ですが、アポイントは頂いておりますか?」
「はい。先ほど電話で」
「失礼いたしました。少々お待ち下さい」
女性は脇にある受話器を持ちあげ、ボタンを押した。
おそらく内線だろう。
受付内は非常に慌ただしく動いている。
それだけ患者数が多く、人が足りていないということだろう。
しばらくすると、7Fに行くように指示された。
エレベータ前まで行けば高橋先生が迎えてくれるらしい。
彼女は適当に時間を潰しておくと言い、僕は1人でエレベータに向かう。
ドアが開くと空のストレッチャーを看護師さんが引いて現れた。
僕は頭の中で青白い顔をしてストレッチャーに乗った葛西を想像した。
常につまらなそうな顔でモニタに向かってブツブツと独り言をつぶやいていた。
相手をバカにしたような物言いをする彼は会社内外で評判は良いとは言えなかった。
後輩を教えるということができない彼を半ば無理やり客先に引っ張り出したのだが、やはり上手くいかない。
客先に行くことを本当に嫌がっていた。
思い出す葛西の顔に笑顔はない。
笑顔を見たことはないのではないだろうか?飲みに誘っても来たことはないし、話題を振っても続かない。
積極的に人と関わらせることを試みたが、強がりではなく本当に関わりたくないのでは?と考えついてからは、そういったことはやめた。
エレベータが7Fに到着し、ドアが開く。目の前に男性が立っていた。
「神谷さんですか?」
こんな声だっただろうか?思っていたよりも若い。
「はい。初めまして。神谷です」
「初めまして。高橋です。ではこちらに」
廊下を歩く高橋の後ろをついていく。
白衣は着ておらず、ジーンズにセーターというラフな格好で髪の毛は右側が少しハネていた。
「白衣は着ないんですか?」
前を歩く高橋に問う。
「普段は着てますよ。すでに時間外なので」
「あぁ。申し訳ないです」
「いえ、帰っても特にすることはないですしね」
「でも帰らないと切り替わらなくないですか?」
「いえ、これからご説明するのになんですが、もう切り替わってます」
「そうですか。そう言ってもらえた方がこちらとしても気が楽です」
「お気使いなく。こう言うと語弊があるかもしれませんが、この説明はプライベートでの出来事だと考
えています」
「どうしてですか?」
「すぐに済みますし、彼は僕の友人です」
「え?彼って葛西のことですよね?」
「えぇ。彼のことは苦手ですか?」
「得意とは言えません」
「あなたの話しは彼から聞いていました」
そう言うと高橋はドアノブに手をかけた。
低いテーブルに2人掛けの革ソファーが向かい合う応接室に通された。
「どうぞ」
「失礼します」
奥に通され、持っていたダウンジャケットを脇に置き着席した。
高橋は棚から2つカップを取り出し、ポットの前でインスタントコーヒーを淹れようとしている。
「私の話を葛西から聞いていたんですか?」
「ええ」
「面倒なおせっかい焼きがいる。ですか?」
「はは。神谷さんはそういう自己評価ですか」
「ええ。彼はコミュニケーションが極端に苦手なので、改善できればと思ったのですが」
「なるほど。確かに彼は対人関係に難有りですね」
「高橋先生には心を開いていたんですね」
「どうですかね。でも神谷さんの悪口は聞いたことがありません」
「え?」
「彼の性格はご存じでしょう?批判はしても評価はしません」
高橋がコーヒーカップを僕の前に置く。
「そうですね。常に不満げでした」
「でしょう。でも神谷さんのことは評価してました」
「どんな評価でしょうか?」
「建設的な話しができる」
「葛西っぽい評価の仕方ですね」
「かなりできる方だと伺ってます。自分より7つも年下で課長職にいる上司だと」
「そんなことはないです」
「彼が酒豪だということはご存じですか?」
「いえ、彼は飲みに誘っても来ないので」
「でしょうね。私も2人以外で飲んだことはないです」
「飲む人だったんですね」
「ええ。受け入れが早いですね」
「受け入れ?」
「今『だった』と過去形でおっしゃられたので」
「あぁ」
もうすでに僕の中で過去の人、もっと言えば故人のカテゴリに葛西を入れていた。
「お電話では動揺されてたようでしたので。少し安心しました」
「あぁ。失礼しました」
コーヒーに手を付ける。
「彼が運ばれて来た時は驚きました」
そうだった。
運ばれてきた状況を聞きに来たんだった。
よく考えれば聞く必要もないのかもしれない。
聞かなければと思ったのは個人的な感情なのか、上司への報告用なのか今となってはわからない。
「すいません。脱線してしまって」
「いえ、脱線のきっかけは私ですから。来た時の彼は裸で胸に包丁が刺さっていました」
「え?」
そんなあからさまに殺人事件のような状況だったことに驚いた。
「葛西君は家の前の路上で大の字になってる状態で連絡があったそうです」
「路上で裸で胸に包丁が刺さった状態でですか?」
「ええ」
「通常救急の患者さんが入る際は事前に連絡が来るんですよ」
「あぁ。ドラマで見たことあります」
「その連絡で名前等言われるんですが、そこでは気付きませんでした」
「名前を言われてもピンとこないことは多いですよね」
「いえ、実は本名を知りませんでした。よく行く飲み屋が一緒で、約束をしたことはないです。飲み屋で会えば隣に座り、他愛もない話をする友人です」
「そうなんですか」
「マスターが彼を「よう君」と呼んでいたので、僕も「よう君」と呼んでいました」
確かにそういう友人は僕にもいる。
「あと裸といっても全裸ではなかったんですよね?」
「全裸です」
「そうですか、発見者は驚いたでしょうね」
「でしょうね。なんか名刺からわかったらしいですよ」
「名刺?全裸なのに名刺ですか?」
「詳しくは知りませんが名刺でわかったと。私も処置に気を取られて詳しくは聞いていませんが」
「そうですか」
「その後、蘇生処置をしましたが実らず。が私の知る限りです」
「そうですか。ありがとうございます。思ってたよりヘビーなお話しで正直驚いていますが」
その後、高橋とは葛西との飲み屋での出来事や、よく行く飲み屋の場所などの話をして、礼を言い退室した。
高橋はまだすることがあると言い、部屋に残ったがカップを手にしていたところを見るとカップを洗うのだろう。と容易に予想できた。
入口脇に灰皿があることは行きしなにチェック済みなので、まずそこを目指した。
到着すると携帯が鳴った。
見事なタイミングで彼女からの着信。煙草に火をつけたら連絡するつもりが、先を越された。
「もしもし」
「お話しは終わった?」
「うん。今入口付近で煙草を吸おうとしてる」
「うん。そういう行動パターンだろうと思ってた」
「どこにいるの?」
「後ろ見て」
後ろを振り返ると病院に併設されたガラス張りの喫茶店から彼女が手を振っている。
「俺がここに来ると思ってたの?」
「うん。君は灰皿の位置は見逃さないからね」
「お見事」
「100点?」
「うん」
電話を切り、横田の携帯電話に連絡する。
「お疲れ様です」
「話しは聞けたよ」
「そうか。どうだった?」
「結構ヘビーな話しだったよ」
「今聞こか?それとも来る?」
「行くよ。おそらくそれで横田さんと俺の業務は終了」
「OK。歩きか?」
「うん」
「じゃあ30分くらいか」
「うん。タクシーでもいいんやけど、できれば少し整理したい」
「時間は気にするな。それよりお前、大丈夫か?迎えに行こうか?」
「大丈夫。香織も一緒やから」
横田には買い物中に偶然会い、香織を紹介したことがある。
「あぁ香織ちゃんが一緒か。なら大丈夫やな」
「あぁ。今思うと助かったかな。ちなみにお前も覚悟しといた方がいいよ」
「ふぅ。了解。覚悟を体内生産しとく」
「あぁ。じゃあ後で」
「おう。後で」
煙草が短くなった頃、彼女が灰皿スペースに到着する。
「今から会社に行くよ」
「うん」
「情報をシェアする。おそらく到着後1時間くらいかな」
「うん」
「休みだったのに本当にごめん」
「全然。正直それよりも君が心配だから会社まで一緒に行くよ」
「俺は大丈夫だから大丈夫」
「大丈夫じゃない」
「いや、本当に思ってる以上に冷静ですよ」
「混乱してる」
「まぁそれはそうかな」
「君は元々そんなに乱れない。今の乱れ方は普通じゃない」
「そりゃ部下が死んだんだから、多少は乱れるよ」
僕は少し投げやりに答えた。
「私も会社に行く」
「部外者はセキュリティ上、入れないし、家で待っててくれへんかな?」
「前まで行く。待って一緒に帰る」
「心配してくれるのはありがたいけど、少し一人で考えたいねんけど」
「いや!着いて行くから」
彼女が歩きだしたので、僕は彼女の手を掴んだ。
「なんでこんな時に我儘言うねん!普段言わへんやん!」
「私は君がわかるの!」
「わかってへんわ!」
「わかってる!君は引くに引けなくなってるし、どうして自分が怒ってるのかも理解できてない!」
「うるさい!」
「今一瞬、遅れると横田に悪いって思ったでしょ!?」
「思ってない!」
考えていた。『こんなやりとりで横田を待たせるのは悪いな』という思いが頭をよぎった。
「一緒に行くことがそんなに嫌!?なんで嫌なのか説明して!」
「なんや?どうした?なんで今なんや?」
「心配だからって言ってるでしょ!」
クールな彼女が声を荒げてヒステリックに主張している。
気付けばロビーや病院を出入りする人たちの視線が集まっていた。
居心地の悪さを感じた僕は、彼女に移動すること提案し、彼女も承諾した。
僕は歩くスピードが速い。
彼女と付き合い始めた頃は、追いつけないというクレームをよく受けた。
最近は彼女と歩く時は自然とペースを合わせることができるようになっている。
病院の入口から家方向に向かって歩く。
今もゆっくりと彼女に合わせて歩いた。
若い頃の僕ならばわざと速く歩いて、彼女を困らせただろう。
27歳の僕は少し大人になったのだろうか。
「お願い」
彼女が呟く。
「なんでこだわるん?」
「理由は後で話すから今だけは私を許して」
さっきと違い、最後の力を振り絞って懇願するような雰囲気が彼女にはあった。
「会社の中には入れんよ?」
「わかってる。待ってるから」
「わかった」
「うん」
僕は彼女の手を握った。
仲直りの証というわけではないが、いつまでも引きずりたくはないし、彼女の雰囲気が異様だったために僕が譲歩した。
歩きながら隣りで彼女が泣いているのがわかる。
繋いだ手の動きや、鼻をすする音。
信号で車の確認をするフリをして、彼女を見ると目と鼻を真っ赤にしている。
僕が怒鳴ったことが原因だろうか。
それとも自分の感情をコントロールしきれず溢れた感情の結果が涙だったのだろうか。
どちらかはわからなかったが、彼女の泣き顔は初めて見た。
一言も言葉を交わすことなく会社付近に到着した。
僕は自動販売機でカフェオレを購入し、彼女に差し出す。
うつむきながら受け取る顔は少し落ち着いたようだった。
「怒鳴って悪かった」
僕は自分の分の缶コーヒーを買いながら彼女に言った。
「大丈夫。私もヒステリックだったし。一番嫌いなのに」
「大丈夫。大したことじゃない」
「もう行ってきて。私、大丈夫だし」
「これ飲み終わるまではいるよ」
寒空の下で缶コーヒーを飲む。
彼女は十分落ち着いたようだったし、彼女がヒステリックになったおかげで、僕が冷静になれた。
「こんな時にあれなんだけど、今日の夜に話したいことがあるんだけど」
彼女は強い眼力で僕の目を一直線に捉えていた。
たったその一言だけで僕の周りの気体が重くなる。
肩から胸、お腹と重さが伝達していく。
「わかった。ちなみに悪い話?」
「君の受け取り方次第だと思う」
「それはどんな話でもそうだね」
「うん」
「ちなみに俺は君が好きだし、今日だけでも何度も君の魅力を再確認してる」
「やめて。また泣くから」
「分かった。今夜ね」
「うん」
僕は重くなった気体に潰されないように、背中を伸ばして奥歯を噛みしめた。




