12. 月のない夜
【山縣視点】
月が出ておらんかった。
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密航には都合がいい。
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見つかりにくい。
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追われにくい。
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そういうことらしい。
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山縣には、
あまり嬉しくなかった。
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見つからないように出て行く。
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それはつまり、
見つかれば終わりということじゃ。
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海辺には人影があった。
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多くはない。
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高杉。
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大村。
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伊藤。
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井上。
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それから数人。
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みな声が小さい。
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普段ならうるさい連中ばかりなのに。
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今夜だけは違った。
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波の音だけが聞こえる。
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船は沖におる。
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小舟で近づく手筈じゃ。
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山縣は最後の帳面を閉じた。
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人数。
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荷。
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金。
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確認済み。
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何度も確認した。
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それでも不安は消えん。
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「まだ見とるのか」
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高杉が笑った。
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「見ますよ」
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「もう変わらんぞ」
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「そうですね」
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一拍。
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「でも見ます」
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高杉は少しだけ笑った。
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何も言わない。
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その代わり、
肩を軽く叩いた。
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それだけじゃった。
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少し離れた場所では、
伊藤と井上が話している。
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いや。
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話しているというより、
言い合っている。
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いつも通りじゃ。
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「だから向こうでは英語じゃろ」
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「知らん」
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「知らんで行くんか」
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「お前も知らんじゃろ」
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「知らん」
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山縣は思わず吹き出しそうになった。
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明日から異国へ行く男たちじゃ。
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なのに。
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昨日と変わらん。
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その様子を見て、
少しだけ安心した。
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そのとき。
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大村が近づいてきた。
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「山縣」
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「はい」
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「向こうへ行く者は学ぶ」
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一拍。
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「お前は記録しろ」
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山縣は顔を上げる。
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「記録?」
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「長州が何をしたか」
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「何を変えたか」
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「何が上手くいき」
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「何が失敗したか」
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静かな声だった。
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「帰って来た者が」
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一拍。
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「学べるようにしておけ」
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山縣は黙った。
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派手な仕事ではない。
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だが。
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大村らしい。
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誰かが未来を見る。
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誰かが未来へ残す。
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どちらも必要じゃ。
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そのとき。
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沖から合図の灯が見えた。
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船じゃ。
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出る。
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本当に出る。
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空気が変わる。
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伊藤も。
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井上も。
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高杉も。
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誰も笑わなくなった。
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いよいよじゃ。
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井上が小舟へ向かう。
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伊藤も続く。
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数歩進んだところで、
伊藤が振り返った。
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「山縣」
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「なんです」
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「帳面なくすなよ」
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山縣は呆れた。
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最後までそれか。
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「そっちこそ死なないでください」
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「努力する」
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伊藤が笑った。
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井上も笑った。
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高杉が大笑いする。
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緊張が少しだけほどけた。
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そして。
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小舟が離れる。
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ゆっくり。
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静かに。
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月のない海を進んでいく。
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誰も声を出さない。
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ただ見送る。
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波の音だけが続く。
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やがて。
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小舟は闇に溶けた。
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見えなくなった。
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本当に。
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見えなくなった。
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山縣はしばらく海を見つめていた。
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不安もある。
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心配もある。
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帰って来ないかもしれない。
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それでも。
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行かねばならんのだろう。
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知らない世界を知るために。
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高杉が海を見た。
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今度は伊藤たちが見る。
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そして。
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いつか帰って来る。
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その日のために。
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山縣は静かに踵を返した。
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帰る場所を守るために。
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長州へ向かって歩き出した。




