10. 金を出す馬鹿
【山縣視点】
商人は忙しい。
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当たり前じゃ。
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忙しいから商人なんじゃろう。
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だから。
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わざわざ若者の話など聞かん。
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山縣はそう思っていた。
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少なくとも。
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今朝までは。
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その日。
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山縣たちは城下の大店を訪ねていた。
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長州でも有数の豪商じゃ。
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店は大きい。
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番頭もおる。
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出入りする荷も多い。
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見るだけで分かる。
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金持ちじゃ。
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(断られるな)
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山縣はそう思った。
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普通に考えればそうじゃ。
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若者が来る。
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外国へ行きたいと言う。
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しかも密航。
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怪しすぎる。
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自分なら断る。
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間違いなく断る。
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そのとき。
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「では」
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伊藤が頭を下げた。
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「お時間を頂きありがとうございます」
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商人は腕を組んだままじゃ。
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「用件を聞こう」
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低い声だった。
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試されとる。
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山縣にも分かった。
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その瞬間。
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伊藤が笑った。
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(なんで笑う)
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山縣は嫌な予感がした。
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こういう時の伊藤は危ない。
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「お願いがあります」
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「金か」
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即答じゃった。
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伊藤は少しだけ驚く。
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だが。
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すぐ立て直した。
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「はい」
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「正直じゃな」
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商人が笑う。
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少しだけ。
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空気が変わった。
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「で」
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「いくらだ」
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伊藤は金額を告げた。
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山縣は横で胃が痛くなった。
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大金じゃ。
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普通に考えれば断られる。
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そのはずだった。
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「何に使う」
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商人が聞く。
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伊藤は一瞬だけ迷った。
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そして。
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「未来です」
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山縣は思わず咳き込んだ。
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(何言ってるんだ)
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高杉が吹き出しそうになっとる。
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井上は横を向いた。
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笑いを堪えとる。
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だが。
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伊藤は真面目じゃ。
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「未来?」
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「はい」
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一拍。
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「長州の未来です」
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商人は黙る。
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部屋も静かになる。
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「外国を見てきます」
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「学んできます」
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「持ち帰ります」
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伊藤は続けた。
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「今の長州に足りないものを」
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「必ず」
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静かな声じゃった。
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いつもの軽さがない。
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山縣は少し驚いた。
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初めて見る顔じゃった。
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そのとき。
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「失敗したら?」
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商人が聞く。
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「失敗します」
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即答じゃった。
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全員が固まる。
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(おい)
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山縣は思った。
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だが。
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伊藤は続ける。
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「失敗もするでしょう」
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「騙されるかもしれません」
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「帰れないかもしれません」
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一拍。
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「でも」
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「誰かが行かなきゃ」
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「長州は知らないままです」
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商人は黙って聞いている。
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山縣も黙った。
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言葉が上手い。
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それだけじゃない。
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人の心を動かす。
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そういう話し方じゃった。
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そのとき。
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商人が高杉を見る。
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「先生はどう思われる」
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高杉は少し笑った。
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「無茶じゃな」
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即答じゃった。
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「成功する保証もない」
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「帰る保証もない」
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一拍。
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「じゃが」
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そこで伊藤を見る。
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「こういう馬鹿は」
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「放っておくと勝手に行く」
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部屋に笑いが起きた。
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商人も笑った。
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伊藤も笑った。
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山縣も少しだけ笑った。
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本当にそうじゃった。
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この男は、
止めても行く。
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きっと。
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「なるほどな」
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商人が頷く。
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そして。
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しばらく考えた後、
静かに言った。
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「半分出そう」
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部屋が止まった。
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山縣も固まる。
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井上も固まる。
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伊藤だけが、
ほんの少しだけ笑った。
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まるで。
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最初から分かっていたみたいに。
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商人は小さく息を吐いた。
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「未来に金を出すのも」
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一拍。
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「商人の仕事じゃ」
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窓の外では、
春の風が吹いていた。
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海はまだ遠い。
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だが。
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初めて。
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計画は夢ではなくなった。
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動き始めたのだ。




