3T. 上海を見た男
【高杉晋作視点】
最初に思ったのは、
臭い。
じゃった。
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本当に臭かった。
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魚。
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泥。
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煙。
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人。
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何もかもが混ざっとる。
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船を降りた瞬間、
思わず顔をしかめた。
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「なんじゃここは」
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そう言った気がする。
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周りの者は笑っとった。
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だが。
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歩けば歩くほど、
笑えなくなった。
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人がおる。
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どこを見ても人じゃ。
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荷を運ぶ者。
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叫ぶ者。
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商う者。
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喧嘩する者。
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長州の城下を何個集めても足りん。
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そんな場所じゃった。
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高杉は足を止める。
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目の前を、
一人の異国人が歩いていく。
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背が高い。
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鼻も高い。
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髪の色も違う。
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なるほど。
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確かに異人じゃ。
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だが。
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(鬼じゃないな)
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少し拍子抜けした。
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長州で聞いていた話とは違う。
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角もない。
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牙もない。
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普通に歩いとる。
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普通に笑っとる。
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普通の人間じゃ。
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そのとき。
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高杉の視線が止まった。
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通りの向こう。
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大きな建物。
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そして。
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その前で頭を下げる清国人。
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相手は異国人じゃ。
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命令する。
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清国人が動く。
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また命令する。
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また動く。
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高杉は黙った。
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(なんじゃ)
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違和感があった。
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清国。
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大国じゃ。
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日本人なら誰でも知っとる。
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長い歴史。
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広い国土。
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膨大な人口。
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そのはずじゃ。
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なのに。
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目の前では、
異国人の方が大きく見えた。
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国の大きさではない。
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力じゃ。
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金じゃ。
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船じゃ。
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技術じゃ。
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高杉はその日、
一隻の蒸気船を見た。
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黒い煙を吐きながら、
ゆっくり港へ入ってくる。
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静かじゃった。
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だが。
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恐ろしかった。
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砲の数ではない。
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兵の数でもない。
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その後ろにあるものが見えた。
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工場。
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鉄。
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金。
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学問。
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全部まとめて船になっとる。
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(勝てるか)
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思わず考えた。
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そして。
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答えは出なかった。
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攘夷。
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異国を追い払う。
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簡単な言葉じゃ。
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志としては正しい。
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今もそう思う。
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だが。
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上海を見たあとでは、
少し違った。
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(知らん)
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わしらは、
あまりにも知らん。
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異国を。
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船を。
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世界を。
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知らん。
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知らん相手に勝てるとは思えん。
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高杉は港を見つめた。
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異国人が歩く。
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清国人が働く。
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船が来る。
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船が去る。
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世界は動いとる。
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長州より大きく。
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日本より大きく。
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ずっと遠くまで。
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そして、
その世界は、
もう日本の隣まで来とる。
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高杉は小さく息を吐いた。
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攘夷もええ。
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じゃが。
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知らんままの攘夷は、
ただの意地じゃ。
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あの日からじゃった。
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わしが本当に恐れる相手を、
異国人ではなく、
無知だと思うようになったのは。




