3. 上海を見た男
【山縣視点】
外国を見たことがある者は少ない。
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それは分かった。
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鬼だと言う者もおる。
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普通の人だと言う者もおる。
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結局、
誰もよく知らん。
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その日の夕方。
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山縣は大村の部屋におった。
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「長州で一番外国を見た人って誰なんです?」
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何気なく聞いた。
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大村は筆を止める。
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一拍。
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「そうじゃな」
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少しだけ考える。
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「たぶん」
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そのとき。
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障子が開いた。
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「わしかの」
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高杉じゃった。
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(いた)
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しかも。
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妙に得意そうじゃ。
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「上海まで行ったからのう」
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山縣は固まる。
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「……上海?」
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その瞬間、
高杉の顔から少しだけ笑みが消えた。
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「面白いところじゃった」
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一拍。
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「そして」
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「嫌でも目が覚める場所じゃった」
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山縣は思わず身を乗り出した。
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「どんなところだったんです?」
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高杉は少し黙る。
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珍しい。
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普段なら、
すぐ話し始めるのに。
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「臭かった」
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(え)
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山縣は目を瞬かせる。
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「臭かった?」
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「臭かった」
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高杉は真顔じゃ。
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「人が多すぎる」
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「船が多すぎる」
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「荷が多すぎる」
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一拍。
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「全部多すぎた」
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山縣は少し笑いそうになった。
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だが。
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高杉は笑っていない。
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「長州の城下を十個並べても足りん」
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静かな声じゃった。
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「そんな場所だった」
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部屋が少し静かになる。
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山縣は想像してみる。
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出来ない。
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全然出来ない。
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そのとき。
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「一番驚いたのは」
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高杉がぽつりと言った。
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「清国人じゃ」
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「清国人?」
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「そうじゃ」
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一拍。
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「わしはな」
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「外国人を見に行ったつもりだった」
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高杉は窓の外を見る。
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「だが」
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「本当に見たのは清国だった」
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山縣は黙って聞く。
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「大きな国じゃ」
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「日本よりずっと大きい」
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「歴史もある」
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一拍。
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「昔なら」
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「誰も敵うと思わん国じゃ」
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その声は、
いつもの高杉と少し違った。
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軽さがない。
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「でも」
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高杉は続ける。
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「負けとった」
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静かに。
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本当に静かに。
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「外国人に使われ」
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「外国人に金を取られ」
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「外国人の船が港を埋めとった」
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山縣の背中に、
少し冷たいものが走る。
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中国。
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清。
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大国。
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そのはずじゃ。
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なのに。
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「なんでです?」
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思わず聞いた。
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高杉は少し考える。
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そして。
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「知らんかったからじゃろうな」
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一拍。
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「相手を」
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山縣は息を飲む。
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部屋が静かになる。
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「攘夷もええ」
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高杉が言う。
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「外国を嫌うのもええ」
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一拍。
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「じゃが」
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そこで山縣を見る。
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「知らん相手を追い払うのは」
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「ただの意地じゃ」
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静かな声。
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でも。
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今まで聞いた高杉の言葉の中で、
一番重かった。
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そのとき。
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大村が小さく頷く。
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「だから学ぶ」
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「だから見る」
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一拍。
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「知らんままでは守れん」
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山縣は黙った。
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鬼も蛇も見たことない。
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昨日までは、
そう思っとった。
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でも。
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高杉は見た。
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実際に。
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海の向こうを。
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だから。
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あんなことを言うのか。
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山縣は少しだけ納得した。
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窓の外では、
夕日が沈み始めていた。
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その向こう。
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さらに向こう。
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海。
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そして世界。
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山縣は、
まだ見ぬその景色を思った。
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(見てみたいな)
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その気持ちは、
昨日より少しだけ強くなっていた。




