1. k 海の向こうは何しとるん?
【勝麟太郎視点】
長州がまた騒がしいらしい。
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そんな話を聞いたのは、
塾の帰りじゃった。
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「高杉晋作が」
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「功山寺で」
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「藩を取り返した」
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話は人によって違う。
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だが。
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長州で何か起きたことだけは分かる。
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勝は黙って歩いていた。
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江戸の空は青い。
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平和じゃ。
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少なくとも見た目は。
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(長州か)
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名前だけは知っとる。
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尊王攘夷。
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外国嫌い。
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過激。
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そんな評判ばかりじゃ。
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だが。
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勝の興味は、
そこには向かなかった。
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家へ戻る。
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机に向かう。
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そして。
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蘭書を開く。
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最近借りた海軍関係の本じゃ。
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読める。
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全部ではない。
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でも。
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少しずつ。
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少しずつ。
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世界の形が見えてくる。
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(でかいな)
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何度見ても思う。
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船の数。
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大砲の数。
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港。
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貿易。
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人口。
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全部が違う。
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江戸と比べるのも馬鹿らしい。
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そのとき。
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ある数字で手が止まった。
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英国海軍。
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保有艦艇数。
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(……は?)
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勝は思わず本を見直した。
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もう一度見る。
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やっぱり同じじゃ。
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(嘘だろ)
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頭の中で、
黒船が浮かぶ。
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あれが何隻も。
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何十隻も。
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世界中におる。
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(勝てるわけねえじゃん)
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思わず声が出た。
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その瞬間。
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長州の話を思い出す。
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攘夷。
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外国を追い払う。
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言葉だけなら簡単じゃ。
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でも。
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この数字を見たあとでは、
違う。
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(追い払うって)
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(どうやって?)
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勝は本を閉じた。
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しばらく天井を見る。
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静かじゃ。
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でも。
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頭の中は静かじゃない。
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長州。
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幕府。
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朝廷。
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みんな、
同じ日本の中を見とる。
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どっちが正しい。
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どっちが悪い。
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そんな話ばかりじゃ。
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(でも)
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勝は窓を開けた。
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冷たい風が入る。
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その向こう。
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さらに向こう。
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海。
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そして。
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世界。
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(見てる場所が違うんじゃねえかな)
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ふと思う。
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長州は、
長州を見とる。
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幕府は、
幕府を見とる。
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でも。
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海の向こうは、
日本全部を見とる。
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その差が、
妙に怖かった。
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そのとき。
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部屋の外から父の声がした。
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「麟太郎」
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「なんです」
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「飯だ」
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「今行く」
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本を閉じる。
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だが。
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立ち上がる前に、
もう一度だけ地図を見る。
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日本。
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小さい。
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思ったよりずっと。
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そして。
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海の向こうは、
思ったよりずっと近い。
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勝は小さく息を吐いた。
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「長州なんか見てる場合かねえ」
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誰にも聞こえない声だった。
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だが。
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その言葉は、
これからの勝自身を決める言葉でもあった。




