34.M 回り始めた長州 ―幕府の使者―
【幕府使者視点】
筆が止まった。
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もう三度目じゃった。
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書いては消し。
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書いては考える。
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机の上の報告書は、
まだ半分も埋まっとらん。
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宿の外では、
雨が降っとる。
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静かな夜じゃ。
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だが。
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頭の中だけが騒がしい。
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(なんと書けばいい)
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長州視察。
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状況確認。
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帰府後報告。
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本来なら簡単な仕事じゃった。
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危険か。
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安全か。
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従うか。
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逆らうか。
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それを書けばよい。
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だが。
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今度の長州は違った。
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筆を持つ。
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そして。
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書く。
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長州藩、
依然として危険。
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そこまでは書ける。
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事実じゃ。
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高杉晋作は健在。
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藩論は幕府に従わぬ。
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兵も集まっとる。
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危険。
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それは間違いない。
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だが。
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その先が書けない。
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(何が危険なんじゃ)
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高杉か。
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違う。
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あれほどの人物は珍しい。
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だが。
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高杉が消えれば終わるかと言われると、
そうは思えん。
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大村か。
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それも違う。
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あの男は確かに恐ろしい。
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だが。
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あれ一人で長州が動くわけではない。
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筆先が止まる。
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脳裏に、
あの部屋が浮かぶ。
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紙。
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帳面。
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報せ。
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人。
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そして。
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あの若い男。
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山縣。
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いや。
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山縣ですらない。
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(あれは)
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人ではない。
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仕組みじゃ。
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流れじゃ。
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気づけば、
筆が勝手に動いていた。
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長州においては、
近頃、
報せの流れが整い始めている。
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書いた瞬間、
使者は眉をひそめた。
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(なんじゃこれは)
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こんな報告、
老中が読んで理解するじゃろうか。
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報せの流れ。
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そんなものが、
国を脅かすとは思うまい。
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だが。
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自分は見た。
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武士が動く。
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百姓が動く。
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町人が動く。
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そして。
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誰も命じておらんのに、
勝手に動き始める。
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あれは。
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正直、
怖かった。
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そのとき。
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宿の障子が鳴った。
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風じゃ。
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使者は顔を上げる。
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雨はまだ続いとる。
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遠く。
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西。
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長州の方角。
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(妙なことになった)
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そう思う。
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戦に強い藩は、
今までもあった。
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金のある藩もあった。
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優秀な人物のいる藩もあった。
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だが。
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組織そのものが変わり始めた藩は、
見たことがない。
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筆を置く。
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そして最後に、
一行だけ書き足した。
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要注意。
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長州藩は、
なお警戒を要する。
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一拍。
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その下に、
小さく続ける。
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ただし。
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警戒すべきは、
兵数にあらず。
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人材にあらず。
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流れにあり。
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書き終えたあと、
使者はしばらく紙を見つめていた。
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(伝わらんじゃろうな)
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思わず苦笑する。
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だが。
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それでも書かねばならん。
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なぜなら。
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長州で起きたことは、
長州だけで終わる気がせんかったからじゃ。
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雨音が続く。
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その向こうで、
時代は静かに動き始めていた。




