依頼終了……?
騒音問題の調査を始めた2日目、冷えた空気が広がる青空の下、ブルースはキリー・ギリースの通っている公立学校の敷地内へと足を運んでいた。彼女が2週間前からエレキギターで騒音を鳴らし始めた理由を探るためだ。
しばらく書き込みをした後、疲れたブルースは休息を取ろうと、紅葉したプラタナスの樹の下に抱え膝でしゃがみ込んだ。
足元を見ると、落ちた葉っぱの隙間を、これから到来する冬に備えてせっせとエサを運ぶ蟻の列が目に留まる。それから視線を前に向けると、今度は校則や社会のルールを規則正しく守り生活する学生たちが行き交っていく。そんな彼らの姿は、まるで社会性昆虫である蟻の群れのように見えた。
彼らの中で、キリーはどう生活していたのだろう。彼らのようにルールという列からはみ出さずに蟻のように真面目に暮らしていたのか。それともあの路地裏で見たように、蟻の群れの横で違う生き方をするキリギリスのように、ここでも我を通していたのだろうか。
それから再び聞き込みを再開すると、噂話が好きだと言う女子生徒から、少し気になる話を耳にした。
「最近は来なくなった?」
「ええ。3週間ほど前から学校に来なくなったらしいの。クラシック音楽サークルの人たちも、残念そうにしていたわ」
呼び止めた彼女のクラスメイトだという女子の回答に、ブルースは驚きを隠せなかった。
「クラシック音楽? 軽音じゃなくて?」
「まさか⁉︎ クラシック音楽のサークルよ」女子生徒はこちらの言葉にクスクスと笑い声を漏らす。「軽音のサークルはこの学校には無いわ。あの娘、そこでバイオリンの名人だったのよ」
そんな女の子がいきなり学校に来なくなって、しかも音楽のジャンルを転向、か……。
「学校に来なくなる前に、何かあったのかな?」
「なんでも警察の人に嘘を言ったらしいわよ。噂だけどね。それでバツが悪くなって来なくなったのかしら……」
「じゃあキリーちゃんは自分から学校に来なくなったわけじゃないってこと?」
「どうかしら? 昔チラッと聞いた話だと、あの人元々音楽の専門学校に行きたかったらしいわ。でもお母さんーーセミリアさん……だったかな? のために安定した仕事に就きたくて、ここに通っていたらしいから」
その母親は1年前に亡くなった。だから学校にも来なくなり、本当にやりたかったギターの練習を始めた、ということか?
「他には何か?」
「さぁ? そこまで親しくなかったし、彼女、前から友だちの多いタイプじゃなかったから。ジョセさんやケイティさんなら知ってるかもしれないけど」
「その2人っていうのは、キリーちゃんと仲が良かったの?」
「ええ。キリーさんはケイティさんとは同じサークルで、ジョセさんとはクラスメイト。特にジョセさんとは仲が良かったみたいよ。あの人、他の人と話が噛み合わなかったり、空気を読まないような言い方をしたりしてたから、クラスでも浮いてたの。授業でも落ち着きがなくてよく歩き回ろうとしたり、自習になるとよく騒いでたし。だけどキリーさんだけはよくお話ししてたわ。もしかしたら2人とも算数が苦手だったからかもしれないわね。あと噂で聞いた話だと、その2人もこの学校には親の希望で嫌々入学したらしいわ。それで尚更気が合ったんじゃないかなぁ。でもジョゼさんは1月前に転校したって聞いたし、ケイティさんも10日くらい前から姿を見てないわね。噂だと自分の楽器を売ったお金で、ホームセンターで何か買ってたらしいけど」
「ホームセンターねぇ……?」
その後も聞き込みを続けたが、これといって目ぼしい収穫は得られなかった。
結局昼過ぎまで粘っても彼女の秘密は分からないまま、木枯しに単のチェスターコートを着込むのだったーー。
▷▷
それから数時間後、ブルースはキリーのいる路地の手前へと車を回していた。依頼人から至急来て欲しいという連絡が来たためだ。
「……はぁ〜あ……」路地の手前で、ブルースは憂鬱な気持ちでハンドルに頭を預ける。「参ったなぁ。あのオヤジ、多分騒音を早く止めろって催促する気だよ。なんて言い訳しようか……」
そのまま言い訳を考えてふ、と横を見ると、サイドガラスからヤカーマの顔がヌッとこちらを覗き込んでいた。
「ブルースさん……」
「ぎゃーっ! ヤカーマさん⁉︎ いやあの、こちらとしては最善を尽くしていましてーー」
「ありがとうございました!」
「へ?」
頭を下げる依頼人の姿に何がなにやら分からず呆気に取られていると、ヤカーマは後を追うように言って道を歩いていく。
ヤカーマの後に続いて角を曲がると、ブルースは耳を白黒させた。昨日は鼓膜が破れるかと思ったほどの騒音が、まるで聴こえなかったのだ。
「先週、今日と同じ金曜日はあの馬鹿げた騒音が響いていたのに、今日は朝から少しもうるさくないんですよ! 流石は一流の探偵さん、まさか1日であの騒音を止めてしまうとは!」
「いや、俺は何もーー……」
「依頼料は数日中に振り込んでおきますね」悩みの種が無くなって浮かれているのか、ヤカーマは1人で話を進めていく。「やはりあなたが来てくれて良かった。あのウォルフとかいう精神疾患の変人はどうも信用できなかったんですよ」
ヤカーマの言葉に、ブルースは少しムッとする。
「それはどういう意味っすか?」
「どうもこうも決まってるじゃないですか。依頼に行った時のあの態度ですよ。キリーもそうだけど、他人の気持ちや立場を考えられないのは、人としてどうかと思いますよ」上機嫌のまま、ヤカーマは自分の本音を打ち明ける。
「……成る程。よ〜く分かるよ」
「分かってもらえますか?」
「ああ。アンタがモテないってのはよ〜っく分かったよ」
「はーー?」
「アンタの言う通り、ウォルフさんは統合失調症で、そのせいで他人への共感能力は低いさ。けど共感をできないのとしないのは違うだろ。アンタは騒音に悩む苦しさを共感してもらえなくて不快に感じたかもしれないが、ウォルフさんだって、アンタに共感してやれなくて申し訳なく思ってるかもしれないと考えなかったのか?」
「いや、だけどーー」
「他人の事情を知りながらそれを無視して自分の考えしか言えないような人間が、モテるわけないわな」
「………………」こちらの言葉に、ヤカーマはもどかしそうに口をモゴモゴとさせる。
「だいたいアンタの力になろうと思ったから、あの男は依頼を引き受けたんだぜ」そう告げて、ブルースはクルリと車へと引き返す。「じゃあな、依頼料よろしく」
ブルースが車のキーを回すと、静けさの戻った路地に、エンジンの音が反響する。そのままアクセルを踏み、ブルースはアリの巣のようなアパートの間を後にしたーー。




