満天姫、香姫を治療する
「痛い、痛い、胃に穴が空くようですわ…そして、うえっ!」
激しい吐き気。食べたものは全部吐き出した。
胃の痛さはこれまで体験したことのないものである。
藩医が痛みを抑える頓服薬を処方したが、全く効果がない。
周りは満天姫が毒を盛ったのだと言うから、香姫もとんでもない毒薬を盛られ、この身を焼き尽くすような痛みで死んでいくのだと思い込んでいた。
そこへ酒の入った壷を肩に下げた満天姫が現れた。
部屋が騒然となる。
毒殺しようとした本人が現れたのだ。
(ど、どういうこと……まさか……とどめを刺しにきた~)
香姫付きの女中たちは恐怖で声も出せず、布団で痛みに耐えている香姫自身は起き上がることもできない。
「姫!」
満天姫が掛け布団をめくる。
意識がもうろうとした香姫は幻を見る。
満天姫が壺に口を付けるとごくごくと中の液体を口に含む。
そしてそのまま、香姫を抱き寄せると口づけをした。
「あっ!」
小さく声を上げた香姫は抗うことができず、なすがまま。
強烈なアルコールの臭いがするがお構いなくそれを香姫の口内に送り込んでくる。
(うげげげっ……)
あまりにも強いアルコール度数で喉が焼ける感覚がある。
そして胃の中のものを吐いてしまった空の胃袋にそれは注ぎ込まれる。
(や、焼けるううううう)
体が焼かれるくらいの熱さを感じる。
さらに満天姫は酒を口に含むと香姫と口づけ。しかも濃厚な奴。
酒の熱と口づけの熱で香姫の頭は真っ白。そして体中が痺れていく。
(あああ……満天姫様~っ)
顔がどんどん赤くなる。
実際には満天姫がそんなことをしているわけではない。
酒の入った壺の口を強引に香姫の口に突っ込み、酒を注ぎこんだだけだ。
強烈な痛みで頭がついに麻痺した香姫の幻覚である。
「うっ……」
無理やり大量の酒を注ぎこまれた香姫はむせる。
この時になって、やっと香姫付きの女中たちが騒ぎ出した。
自分たちの主君が暴行を受けているのだ。
毒を盛られて危篤な状態で寝ているところに、その毒殺を首謀したと思われる人物が現れ、ものすごい臭いのする酒を無理やり口に突っ込んで飲ませているのだ。
「うっ、うっ……」
酒など生まれてから飲んだことは一度もない。
それなのに胃が焼けるほどの高濃度の酒を注ぎこまれ、香姫はえづいた。
「うむ、頃合いよし!」
時間を計っていた満天姫は、香姫のみぞおち目掛けて手のひらでドンと突いた。
「げげえええええっ……」
胃が焼かれるような状態からの掌底による打撃。
香姫は急激な吐き気でたらいに向かって吐いた。
高濃度の酒も一緒に吐かれる。
「どうした、香!」
騒ぎを聞きつけた能登守が駆け付けてきた。藩医も一緒だ。
「ま、満天姫様が突然やって来て、狼藉を……」
「お酒を無理やり、香姫様に飲ませたのです」
女中たちが口々に目の前で起こったことを訴えた。
能登守の目の前には酒壺をもった満天姫。
まるで鬼のようだ。
「ら、乱心したか、満天!」
能登守はそう叫んだ。
しかし、満天姫はにやりと微笑むだけ。赤い唇が見ているものを恐怖に陥れる。
「き、貴様は毒殺の容疑で謹慎しているはずだ。なぜ、ここにいる。そして香姫に何をした!」
少しひるんだものの、ここは三十五万石の大名。能登守は勇気を振りぼってそう問うた。
「何をって……。わらわは香姫の腹痛を治しただけじゃ」
「治しただと!」
目の前にはげぼげぼ吐いている哀れな香姫が目に入る。
「治すだと、とぼけるな。そのような酒を無理やり飲ますとは……いや、その酒は……」
ここでようやく気付いた。能登守が親友の薩摩守からもらった十年寝かした古酒をなぜか満天姫が手にしている。
まだ十八歳の能登守はまだ酒には親しんでいない。これは亡き父の好物。そしてご隠居に献上しようと思っていたものだ。
「こ、これは!」
素っ頓狂な声を上げたのは、背中をさすりながら香姫の介抱をしていた藩医。
六十を過ぎた爺さんだが、留吉の背中を手際よく縫った腕はかなりのものである。
十年ほど前に長崎でオランダの医学を学んだ医者から手ほどきを受けたことがあり、専門の漢方医学だけでなく、西洋医学の知識があった。
しかし、毒物の専門家でもないし、ましてや今、香姫が吐いた吐しゃ物の中にうごめく虫について、それほど知識があるわけではなかった。
それでも三十五万石もの大藩の藩医を務める男である。寄生虫について知らないわけではなかった。
「姫様、具合はどうですか、胃は痛みますか?」
そう問診する。強烈な酒を飲まされ、ほろ酔い加減の香姫は顔を赤くしながら、痛みはないと小さな声で答えた。
藩医は香姫を布団に寝かせる。
争いを中断した能登守と満天姫はその様子を伺っていたが、藩医が向き直り、こう告げると大人しく座るしかなかった。
「香姫様の病気の原因は毒によるものではないと思われます」
「どういうことだ……」
満天姫をお手打ちにしようとした能登守は、藩医の説明を求めた。
「原因はこれです」
藩医は香姫の吐しゃ物が入ったたらいを見せた。
黄色い胃液と濁った古酒のきつい酒臭に混じって、のたうち回る糸のようなものが確認できた。
「な、なんだ……これは?」
気持ち悪いと能登守は顔をしかめた。このようなものを見たのは初めてだ。
「それは寄生虫じゃ。海の魚や烏賊などにつく虫じゃ」
満天姫がそう口を開いた。




