満天姫、出陣する
(どうしよう……涙が出てくる……)
「雪乃……雪乃……無事かえ?」
不意に声がする。とても聞きなれた声だ。
雪乃の不安がだんだん消えて行く。
(ま、満天姫……様)
雪乃が顔を上げると牢の外に打掛姿の満天姫が立っている。
手には愛刀、紅椿が握られている。
そしてその足元には有人が控えている。
先ほど嫌らしい目で見ていた牢番の男は、白目をむいて倒れている。
どうやら、満天姫がやったらしい。
姫の一撃必殺の当て身ならば、音もたてずに男一人くらいは気絶させられる。
「だ、ダメです……姫様。こんなことをすれば、完全に毒殺の犯人にされてしまいます」
雪乃はこの状況から、満天姫が自分を救い出し、逃げるのだと思った。
屋敷を出て、満天姫の実家である赤坂藩邸に逃げ込めば、命は助かるだろう。
しかし、脱獄なんかしたら、完全にお尋ね者だ。
秋月藩は赤坂藩に圧力をかけるだろう。
「わらわたちは無罪だ。毒など入れておらぬ」
「当然です。でも、状況証拠だけでこちらのせいにされてしまうものです」
「あんなもの毒のはずがない。香姫の具合が悪いだけだ!」
「具合が悪いって……待てよ」
雪乃はそこまで話して思案した。
(具合が悪くなったのは香姫様だけ……。もしかしたら……)
雪乃は閃いた。
すぐに有人に香姫の行動について調べてくるように依頼する。
それまで牢から出るのは遠慮しておく。
濡れ衣だということを証明すれば、この場所から出られるのだから、ここは正攻法で行こうと思ったのだ。
やがて有人が戻ってきた。
雪乃が調査を依頼したのは、香姫の昼の食事。
そして、その内容は雪乃の想像したとおりであった。
「雪乃殿のいう通り、香姫はブリと共に届いた烏賊を食べている」
「生で?」
ここが大事だと雪乃はアルトに確かめる。
「香姫はイカそうめんが好きだ。昼にイカそうめんを食べたそうだ」
「ひい、ふう、みい……」
香姫がイカそうめんを食べたのは、ちょうど昼時。ブリ大根を食べる時までに三刻(約6時間)以上経っている。
(発症してもおかしくない時間ね)
「雪乃、イカそうめんを香姫が食べたとて、今の状況は変わらぬのではないか?」
そう満天姫が不思議そうに言う。
仮にイカが悪くなっていたとしても、一緒に食事をした女中たちは誰一人として具合が悪くなっていない。
烏賊が原因とは思えない。
「満天姫様、香姫の症状は?」
「腹痛に吐き気じゃ。特に腹痛は激しいらしく、のたうちまわっておった」
これは実際に満天姫が見ているので事実だ。
藩医は状況的に毒の疑いに固執している。しかし、雪乃は別の原因を思いついた。
(かなり濃厚だわ……)
「満天姫様、強いお酒を用意してください。それを香姫様に飲ませてください」
「強い酒じゃと?」
「はい。日本酒や焼酎よりも強い酒です」
蒸留酒である焼酎のアルコール度数は高いが、所詮は20~30%程度である。テキーラやウオツカは手に入らないが、せめて40%はあるウイスキーレベルの蒸留酒が欲しい。
「秋之助が言っておった。薩摩のお殿様からいただいた古酒というものがあるらしい」
「古酒?」
雪乃ははたと手を打った。古酒は、沖縄の酒『泡盛』を長期熟成させた酒だ。アルコール度数は寝かしただけ高く、40%以上はある。
能登守が友人の薩摩守から先日もらった酒である。
口から火が出るほど強い酒だと家中では評判であった。
「それを香姫様に無理やり飲まして、胃の中のものを吐き出させてください。少々、荒いけれど、それでもしかしたら痛みが治まるやもしれません」
実は痛みに数時間耐えれば、香姫は回復すると雪乃は見込んでいたが、それでは自分の尋問が始まってしまう。
ここは一刻も早く、香姫の痛みがなくなり、毒殺の疑いを晴らす必要があった。
「あいわかった。それでは今から実行しよう」
満天姫は有人に古酒をくすねてくように命じると、自分は香姫の部屋へと向かった。




