第七十話 憎めない笑顔
ふわふわな雪のように白い毛並みの背中に乗って、安全な着地場所を探しながら空を泳ぐ。
茜色の空は不思議な静けさを漂わせ、少し冷たい空気が私の頬を撫でた。
コハクの大きくなった背中はとても乗り心地が良くて、このまま目を閉じたら一瞬で眠ってしまいそうなほど気持ちがいい。
疲労で重だるい上半身を前に倒し、まだ拘束具が外れていない腕でなんとかコハクに抱きつく。
温かい。
今日は色々ありすぎて疲れたな……。
少しだけ……少しだけなら……休んでもいいかな……。
疲れ切った身体。無理もない、朝から拘束されて尋問を受けたり、街を歩き回って更に闇オークションの商品とされ抵抗しないようによくわからない薬まで投与されたんだ。
もう、シロナの体力は限界に近かった。
コハクもそれはわかっていた。だから、度々気にして視線を後ろに回すコハクは、シロナが振り落とされないよう慎重に飛行することに努めていた。
……いたのだが、コハクの体の中で突如むせ返るような、強い嫌悪感と黒い何かが沸々と込み上がってくる。
それはコハクの理性を飛ばし、プツンという切れた音と共に………
弾け飛んだ。
「グオオオオオーー!!」
「!?」
突然激しく揺れ、振り落とされないようにコハクの背中にへばりつく。何が起こったのか、私には分からなかった。
「コハク?!どうしたいきなり?大丈夫か、おい!コハク!!」
必死に呼びかけるが、私の声は届いていない様子で何かに耐え苦しんでいる。
彼の中で一体何が起こっているのか.....もしかして、魔力不足になったのか? それとも、急激に成長したことで何かの反動が今になって現れたのか?
色々な原因が頭に浮かんだけど、今はそれよりもコハクを落ち着かせないと!
このままだと、はるか上空からいつか振り落とされて、地面に真っ逆さま……死ぬ!!
「コハク!しっかりしろっ。私の声が聞こえないのか?!」
「グ、グアァァッ………」
「え?ちょ、コ、コハク?!ダメダメダメーーー!!」
叫び耐えていたコハクの意識はフッと飛んでしまい、辛うじて飛行していたがその場に保てなくなり、地上へ向かって落下し始めた。
「あああああーーー!!コハクーーー!起きて!起きて起きてーー!!」
風切り音がノイズする。
当然ながら、コハクが目を覚ます気配はない。
本当にこのままだと地面に叩きつけられ、ぺしゃんこ間違いなしの結末を迎えることになるが、パニックを起こしている上にもの凄い勢いで落下していることで何も考えられない。
地面はもう、すぐそこだ。
だめ。死ぬ。
嫌だっ。まだ、まだ死にたくない!
半泣きになりながらも何か考えようとするが、生き残る術も見つからず、もう誰かに頼るしかない状況。
白くて大きな竜と少女が空から落ちてくる様子は大変目立つ。街中のヒトたちは空を見上げて、ある者は指をさし、ある者は驚き口に手を当て、ある者は悲鳴をあげた。
助けようとする者は……誰一人としていない。
もう駄目だと誰もが思った。それは当事者である私でさえも。
そんな中、ふと脳裏に浮かんだんだ……あのヒトの顔が………
「助けて…....ルーク…!」
恐怖で震えながら絞り出した声は、誰にも聞こえないほど小さな声だった。
夕焼けが私を照し、太陽に反射して輝いている瞳に溜まった涙が風圧で飛ばされ、空中を舞う。
きらきらとダイヤモンドのように光が入った涙だが、突如影が乱入し涙から光を奪った。
そして、その影は私も一緒に包み、強い衝撃が私の身体を伝った。
でもそれは、どこかで身に覚えがある安心感があった。
「何してるんだ馬鹿助手。どれだけトラブルを持ち込めば気が済むんだ」
耳に入り込んできた低く落ち着いた声。
知ってる。
私は、この声を、知っている。
抱き抱えられている私は視線を声の主の顔へと向けた。
恐怖で引き攣っていた表情はゆっくりと解けていき、少し泣きそうな笑顔で応える。
「もう……来るのが遅いぞ。ばか師匠」
「馬鹿はお前だ、シロナ。探すのに苦労したぞ」
「ルークなら鼻が効くから余裕だろ?」
「はぁ…ったく、お前は俺を一体なんだと思ってるんだ……」
いつもと変わらないやりとり。
ルークの腕の中は本当に落ち着く。
けど、状況を目の当たりにした私は、すぐそれどころではなくなった。
「って……えーーー!!な、なんだこれ?!どうなってるんだ?!」
「ん? どうした?」
「どうした? じゃない!ルーク……あんた…!空飛べたのか?!」
あたりを見回すと、ルークは私を抱き抱えてそのまま地上に降りることなく空中に浮いている…いや、飛んでいるのだ!
「って……待って!!コハク!コハクは?!」
「ん? あそこ」
「え………えええええ!?」
指を指す方向に向くと、ぐったりしきったままのコハクが、なんと…なんと!
浮いているではありませんか!?
意識を失っているにもかかわらず、まだ飛行を続けているコハクの姿を見た私は、開いた口が塞がらなかった。
「一体何が……も、もう何がなんだか分からないぞ。どんな魔法使ったらこうなるんだ」
「それは———……」
ポカーンと口を開けっ放しの私にルークが今説明をしようとしたその時、中性的な元気のいいウザめの声が遮る。
「シ〜ロナちゃーーーん!」
後ろから聞こえたかと思ったが、振り返ってもそこには誰の姿もない。はてなマークを頭に浮かべてまた前に向き直すと、視界に上から逆さまになったレヴォルが突然「わっ!」と言って覗き込んできた。
「〜〜〜〜〜っっっ!!??」
いきなり脅かしに来られて身構えていなかった私は、身体を大きくビクッと跳ね、声にならない悲鳴をあげる。
「はっはっはー、アレェ? シロナちゃんびっくりしちゃった? 可愛いね〜、オレがなでなでしてあげよっか〜?」
ドッドッドッドと鳴る心臓はまだおさまらない。
ムカつくこのばかエルフっっ!
後で絶対仕返ししてやる〜〜っ
ケラケラと笑いながら自由自在に浮遊するレヴォルが私の前でちょろちょろするので、余計に腹が立つ。
「ちょっと、そんな怖い顔しないでくれるかな? こうして君とコハクくんが助かったのはオレの魔法のおかげなんだからさ〜? むしろ感謝してほしいな〜」
「え、そうなのか?」
「忘れちゃったのかい? オレの得意魔法は風。前にも一度シロナちゃんのおっぱい触った時、時計台のてっぺんから飛んで見せたよね」
あああ。
忘れるはずもない、あんな事をされて忘れるものかっ!
スカーレットとの決闘が終わった後、ルークと街に出た時。初めて、レヴォルに会った時だ。
あの忌々しい出来事…忘れるわけがないだろっ!今思い出しただけでも腹が立つ!
しかも、触っておいて小さいとか……っっ
ゴゴゴゴゴと黒いオーラが溢れ出るシロナに焦ったレヴォルはシロナに近づく。
「ちょっと、そんな怒んないでよ〜。ほら、これ解いてあげるから」
私の枷に手を重ね魔力を込めると、カチャっと音が鳴った。解錠され枷から自由になった腕はとても軽く感じられた。
少し擦れて痛みを感じるところをさすりながら、私は一応ケジメとして、いやいやながらもレヴォルに感謝を伝える。
無邪気な笑顔で「どういたしまして」というレヴォルに、私は何も言えなくなった。




