第3話 Siege of Orleans
ゴン、ゴン、ゴン――。
ムゲンワークス株式会社の本社最上階。
役員フロアの中でもひときわ豪奢に整えられた一角にある、重厚な木製の扉が叩かれた。
扉の向こうから、低い声が返る。
「八重樫か。入れ」
「失礼します」
扉を開けた八重樫大輔の目に、社長室の大きな窓辺に立つ巨漢の男が映った。
オールバックに固めた髪。
スーツの上からでも分かる、鍛え上げられた太い首と肩。
五十七歳という年齢に反して、四十代にも見える若々しさと圧を併せ持つ男。
ムゲンワークス株式会社代表取締役社長、大門金助。
男は外の景色を見下ろしたまま、片手の中で三つのクルミをガラガラと転がしていた。
「そろそろ腹ァ決まったか」
「はい」
八重樫は扉を閉め、社長机の前まで進む。
「人選に課題があり長く回答を保留しておりましたが、偶然にも最も得難い種類の人材を得ました」
「ほう」
大門がゆっくり振り向く。
その目には、獣めいた鋭さが宿っていた。
「そういや最近、お前にしちゃ珍しく面接役なんざ買って出てたらしいな。経歴も身分も不詳の嬢ちゃんが、ずいぶん気に入ったようじゃねぇか」
「凡百のものなら採らなかったでしょう」
八重樫は即答した。
それを聞き、大門はにやりと笑う。
「百に一つの才人だとでも?」
「いえ…… そうは申しません」
大門が訝し気に片眉をあげる。
そんな些細な仕草も大門がすれば強い威圧感を醸し出す。
しかし、八重樫はそんな様子は気にもとめない。
一切の負い目などないと言わんばかりに視線を外さない。
「弊社の採用ではいくら人を集めたところでたどり着くことのない逸材です。分母で測ることはできません」
「…… お前にそこまで言わせるか」
バキッ、と乾いた音がした。
大門の掌の中で、三つのクルミが一つの残骸に変わる。
それを無造作にゴミ箱へ放り込み、男は背の高い黒革の椅子へどっかりと腰を下ろした。
くるりと椅子が回転し、八重樫と正対する。
「だから多少の不明は見逃せ、って言いてぇわけだな」
「はい」
軽くため息を吐く大門。
それは拒否の意を明らかにしたものだ。
「ここは二人だけだ。堅苦しいのは抜きでいこう」
「わかった」
大門は肘掛けに腕を乗せ、低く言う。
「大輔、言うまでもねぇことだろうが出自が不明ということはいつでも逃げ出せるということだぞ。情報漏洩、妨害工作、横領、何でもできる人間だ」
「今さら言うことではなかろう。部下たちはお前の無茶な指揮下でも仕事を終わらせるため、規則違反承知で自宅に仕事を持ち帰っているぞ」
大門は苦笑した。
八重樫は表情を崩さないが、目はわずかに和らいだ。
「金助。何を守る必要がある」
「そりゃあ会社だろうよ。もう俺たちだけが食えなくなるって話じゃねぇ」
「そうだ、我々は既に多くのものを背負っている。その中には医者に止められて離脱したものもいる。」
「……」
八重樫は一歩、机へ近づいた。
ドンッ!
力と体重を込めた両手が赤い木製の机を叩く。
「会社を守るとは、看板や数字を守ることじゃない! そこに積み上がった信用と、そこで働く人間を守ることだとは思わんか!?」
「…… でけぇ声だすなよ、耳が痛ぇ」
彼なりに思うところがあるのだろう。
その表情は、経営者としてというよりも彼の人間性からくるもののように見えた。
「見舞いには行ったんだろう、彼はなんと」
「看護婦にビンタされて門前払いだ。俺の気分を晴らすよりあいつの復調のほうが優先だってな」
「相変わらず女には弱いようだ」
「茶化すな」
気まずさをごまかすように、大門はくしゃくしゃになった紙タバコの箱を取り出す。
しかし周囲には灰皿もライターもなかった。
「チッ、禁煙中だったのを忘れてたぜ」
二人の表情が緩み、6秒ほどの沈黙が流れた。
その静寂を破ったのは大門だった。
「で、その嬢ちゃんがそれを止めると?」
「戦況を変える」
即答、そして一呼吸おいて、八重樫は言葉をつないでいく。
「奴はオルレアンの乙女だ」
「そいつぁ景気のいいたとえだな」
大門は背もたれに深く体を預け、鼻で笑った。
「仮にそうだとして、だ。ジャンヌ・ダルクはなぜ焼かれた? 敵と戦ってるうちは都合のいい英雄だ。だが平和になれば、英雄は途端に政治の邪魔になる。上の無能も組織の歪みも照らしちまうからな。そうなったらお前はどうする。恩義を忘れて、その嬢ちゃんを切るのか」
「そこまで史実をなぞる気はない」
大門の軽口に八重樫は真顔で切り返す。
しかしその直後、八重樫の口角が一瞬だけ上がったのを大門は見逃さなかった。
「こう見えてな、ワシは悲劇は好かんのだよ」
「なんだそりゃ」
ムゲンワークス株式会社のオフィスの一角に、太い笑い声が響いた。




