第2話 Cross Examination(1)
面接室のドアが、ちょうど約束の時刻に開いた。
黒井輝夫はその瞬間、自分の胃がぎゅっと縮むのを感じた。
先に部屋に入っていた八重樫大輔は正面の椅子に深く腰掛けたまま、静かに時計へ目をやる。
老け顔としか言いようのない顔つきに今日も深い皺が刻まれていた。
五十を過ぎた男に特有のくたびれではなくもっと重い、長年会社を背負った者だけが持つ疲労の皺だ。
その視線を受けながら、赤髪の女は一歩部屋へ踏み込んだ。
高い位置で束ねたポニーテール。
褐色の肌。
傷跡の残る首筋。
今日は鎧ではなく黒井が慌てて買ってきたジャケットとシャツに身を包んでいるのだが、それでも隠しきれない威圧感があった。
背筋の伸び方が違う。
目線の置き方が違う。
立っているだけで場の空気が変わる。
アリッタは部屋の中央で足を止め、軽く顎を引いた。
「アリッタ・レオーネ・ヴォルペだ。本日はこのような機会をいただき感謝する」
その挨拶を聞いた瞬間、黒井は思った。
(やっぱり敬語って難しいんだな)
案の定、八重樫は口元をわずかにだけ動かした。
「八重樫大輔だ。時間ぴったりの入室だな。減点するわけではないが、日本ではあまり好まれないこともある」
「それは失礼した」
アリッタは一切動じず、すぐに応じる。
「あいにくと、まだこの国の文化には慣れていないものでな。以後気をつけよう」
「…… そうか」
八重樫の声は低い。
だが不快そうではなかった。
むしろ、試すような響きがある。
黒井は部屋の隅で小さく息を吐いた。
今日はあくまで紹介者として同席しているだけだ。
だが、まるで自分が審査されているような緊張があった。
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昨夜――いや、もう一昨日か。
黒井の部屋に突然現れた異世界の元騎士団長アリッタは、ひとまずこの世界に留まると決めた。
そして留まる以上、当然ながら生活に金が要る。
黒井の貯金で面倒を見続けられる額ではない。
それに、アリッタ自身が言ったのだ。
『施しを受けて生きるのは好きではない。対価を払い、対価を得て生きるべきだ』
そのとき黒井の頭に浮かんだのが自分の会社だった。
ブラック企業ではある。
だが同時に慢性的な人手不足、特にマネージャー層の不足は深刻だった。
そしてそれは黒井とは異なる部署でありながら、課長の役職に就く八重樫も同様の認識だったのだ。
黒井は半ば勢いで人事に話を持って行き、人事担当者はたまたまエスカレーションした先が黒井と同じ課題観を持つ八重樫だった。
そうしてこの面談が驚くべき速度で成立したのである。
この二人の邂逅は、まさしく偶然だった。
だから八重樫が認知している情報も、又聞き程度の非常に断片的なものだ。
――海外で軍事関係の仕事をしていたらしい、身元事情は複雑だが、異常なくらい優秀な女性がいる、と。
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「座ってくれ」
八重樫の促しに、アリッタは無駄なく椅子へ腰掛けた。
背もたれには寄りかからない。
若人がそう振舞えばかわいらしい新卒ともみえるだろう。
しかしアリッタのその振る舞いは、緊張でも怯えでもなく強い芯を感じさせる迫力を醸していた。
「まず確認しておこう」
八重樫は資料に目を落とした。
「黒井から事情はある程度聞いている。海外出身で、日本の制度にはまだ馴染みがないこと。身元関係も、すぐにはすべてを説明できない事情があることもな」
「うむ」
「そのうえで聞く。戸籍がない、という話は事実かね」
「事実だ」
黒井の肩がびくっと揺れた。
そこはもう少し濁してもよかったんじゃないか、と思ったが、アリッタは平然としている。
「ただし、それは私に労働の意志や能力がないことを意味しない」
「言い切るな」
「虚勢ではない自負はある」
アリッタは淡々と答える。
「私は働ける。指揮も管理もできる。必要ならば結果も出す」
「……」
八重樫は数秒、黙って彼女を見た。
その沈黙には重みがあった。
だが、拒絶の色ではない。
「制度上の話をすれば、戸籍がない人間をいきなり正社員として採るのは難しい。給与、社会保険、本人確認、どれも引っかかる」
「なるほど。どうやら素晴らしい国のようだ。国民としても誇らしかろうな」
「大体そんなところだ」
八重樫は初めて少しだけ笑った。
「だが道がないわけじゃない。住民登録や身分関係の整理は、自治体や法務の窓口を通して進められる場合がある。うちとしても、紹介者がいる以上、まったく放り出すつもりはない」
「それはありがたい」
アリッタがわずかに身を乗り出す。
「では、今すぐ正規兵にはなれずとも、客将くらいの立場ならあり得ると?」
「客将…… まあ、外部協力者や業務委託のような形なら可能性はある」
「十分だ」
その即答に、今度は八重樫が片眉を上げた。
「躊躇はないのだな」
「守りを固めるほど背負うものがないだけだ」
その答えに、黒井は少しだけ救われた気がした。
戸籍がない、という現実の壁は思っていた以上に重かった。
だがアリッタはそれを壁として認識しても怯まない。
八重樫は資料を閉じた。
「いいだろう。では本題に入る」




