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第1話(3)

黒井はここがどういう世界か、自分がどういう人間かをアリッタに簡単に説明した。

少なくとも戦場ではないこと。

魔法はたぶん、普通は存在しないこと。

元の世界に戻れるかもしれないが方法は不明なこと。


「火はあるか」


アリッタは一通り聞き終えると、所持品の中にあったタバコの様なものを取り出した。

先端をどこからか取り出した短剣の刃で切り落とす。


「え、ああ一応」


黒井は部屋の隅に転がっていたライターを拾って着火し、アリッタへ差し出した。

彼女は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに落ち着いた表情へと戻る。


「本当に、全く違う世界にきてしまったようだ」


アリッタは火のついたそれを何度か口につけてはかるく煙を吐くことを繰り返す。

そうして燃焼が安定したことを確認すると、口から離して煙をくゆらせた。


一瞬の静寂。


アリッタは窓の外の夜明け前の街を見ながら、あっさり言い放つ。


「元の世界で私は死んだのだろう。ならば、あの世界での私の役目は終わっている」


唖然としている黒井を一瞥すると少し微笑み、言葉をつなげる。


「未練がないわけではない。だが、もう終えた戦に執着しても仕方あるまい。どうせならこの世界のことをもっと深く教えてくれないか」


その言い方があまりに潔くて、黒井は返す言葉を失った。

覚悟・思考・行動力、何もかもが違う。


(もしかしたら、大昔に織田信長なんかの英雄といわれる人を目にした人は、僕と同じ気持ちになったのかもしれない)


黒井はおもわず目をそらした。

そして、自らの霧中にあるような現状と比較するにはまぶしすぎる人物なのだと気が付いた。


「少し…… 異世界の人がうらやましいな」


気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


「危険はあるかもしれないけど、あなたのような騎士様に見守ってもらえるってのは、さぞ安心して生きていけるんだろうなって」


アリッタは、わずかに目を細めた。


「そうか?」

「え?」

「戦う力のない者などいないさ。私は剣で、民は農具や筆で戦った。互いが互いの分野で敵と戦い、それが王の下で国家として束ねられるのだ」


黒井は思わず黙り込んだ。


(彼女の言うことはどこか妙にまっすぐで、聞いているこちらの背筋を正してしまう。でも──)


「それじゃ…… 弱い人間はどうすべきなんでしょうか。戦うべき敵が強くて、どうしようもなく勝てない時」

「ふっ」


 アリッタが短く笑う。


「私のことを言っているのか。悪いが、まがりなりにも命の恩人に向ける剣は持ち合わせていないぞ」

「あ、いえ、そういうわけじゃ」

「違うのか?」

「…… 多分、僕のことです。すみません、愚痴でした」


アリッタはそれ以上茶化さず、静かに頷いた。


---


黒井は驚いていた。


黒井はアリッタに対し、地図アプリやニュースサイト、百科事典のページまで開いてこの世界の常識を順に説明した。

常人であれば理解できないこと、ひっかかること、疑問に思うことがあるだろう。

しかしながら、彼女は何故だかすんなりと、全て理解してしまうのだ。

説明し忘れた現代的な概念も、単語を聞くだけでいつのまにか理解している。


「おそらく、これが私に与えられた祝福なのだろう」

「祝福?」

「"奴"が言っていたのさ。『この世界で生きるための祝福を与える』と」

「へー! それはどんなものなんですか?」


黒井も多少は異世界ラノベを読んでいる。


だからこそというわけでもないが、チート能力というのが逆輸入でも授けられるのかと、少し感心してしまった。


「『全翻訳能力-オムニリンガリティ-』と奴は呼んでいた」

「全翻訳…… あぁ!」

「こうして私がテルオと会話できているのもおそらくこの祝福のためだろう」

「そういうことか! しかしただの翻訳だけじゃなくて、未知の概念も単語を聞けばわかるというのはすごいですね!」

「はは、まぁそれくらいなければ今さらこの身一つで異世界など送られても、なにもできなかっただろう。それにおそらく他にも──」


(……いわれてみれば、たしかにそうだ。よくある異世界転生ものは、僕たちが良く知っているような世界に飛ばされるからこそなんとなくすんなり生きていけるのだろう。でも彼女はそうじゃない)


黒井はアリッタの鎧についた血を目で追う。

もう乾いたそれは、本人も言ったように致命傷だったことを直感で理解させるに十分だった。


("奴"というのも、単純に敵というわけでもなさそうだ。なら目的は──)


思考を巡らせ黙り込んでいる黒井を横目に、アリッタはPCの画面に映った日本地図を見ながらつぶやく。


「しかし地図をみていると、何やら見覚えがあるような地形もところどころあるな」

「異世界とこちらの共通点ですか」

「ああ、完全に同一というわけでもないが、魔王の居城があった島の地形と似ている。この巨大な山とか、城のあった位置も──」

「魔王がいたんですか!?」

「うむ、四方を海に囲まれていて非常に守りが固くてな。なんとか軍を連れて奴の下にたどり着いたはいいが、私はそこまでだった」

「うわぁ!じゃあまさに最終決戦だったんですね!」

「ふっ、まるで武勇伝を聞きに来た少年の様な反応だな。国が懐かしくなるよ」


眠気も吹き飛ぶ興奮ぶりに苦笑するアリッタ。

このままでは質問攻めにあうことを察したのか、思い出したかのように黒井へ問いかける。


「そういえば、テルオはこの世界ではどんな職についているんだ。教師といわれても驚かないが」

「あぁいえ、ありがとうございます。でも、そんないいもんじゃないですよ」


黒井はPCの画面を操作し、テキストエディタを開く。


「……本当はダメなんですけど」


気まずさをごまかすように、黒井はノートPCをアリッタの前に向けた。


「仕事、進めないといけないんで、よければ見ててください」

「仕事?」

「プログラムを作ってます。アプリの開発というか……」

「ほう」


黒井は画面を開き、現在炎上中のソースコードを表示させる。

アリッタは首を傾げる。


「これは何語だ」

「Javaですけど」

「今話している言葉とは違うのか」

「自然言語ではなくプログラミング言語といいまして」

「問題ない。理解した」


(本当かよ)


だが次の瞬間、すぐに彼女の祝福を思い出す。


「そういうことだ、遠慮なく説明してくれ」


現代人のエンジニア志望でもIT用語がわからず苦労する人間は多い。

その点、黒井から見てアリッタの理解力は圧倒的だった。


(もしかしたら彼女はとんでもないエンジニアになれるかもしれない)


頭をよぎった馬鹿らしい考えに黒井の口角が上がる。


「アリッタさん、僕らの世界にはラバーダッキングという手法があります。本当はゴムのアヒルに向かって話しかけることで自分の思考を整理する手法ですが、よければ僕のアヒルになってくれませんか」

「ふっ、またずいぶんかわいらしいものに例えてくれたものだ。心得た」


現在、納期が残り三日しかないシステムが手元にあり、そのシステムに発生した大量のバグと日夜格闘中であること。

おそらく納期までにすべてのバグを直すことはできないこと。

そして大枠の調査状況を伝える。


アリッタはそれもすぐに理解し、眉間にしわを寄せながら画面に顔を近づけた。


「なるほど。魔術回路を編んでいるのだな」

「…… 魔術回路」

「術式を記述、それに従って魔力の代わりに電気信号が事象を起こす。物理干渉の有無に差はあれど似たようなものだろう」

「なんかちょっと現代ワード使いこなしてませんか」

「師が良かったからな」


そう言って、彼女は画面を指差した。


「この関数は、なぜ二つある」

「え?」

「名は同じだが、別の場所に定義されている。処理の内容も近い。だが片方にしかない手順があるな」

「…… それ」


黒井は目を見開いた。


画面をスクロールし、定義元を確認する。

本当にあった。

誰かが似た関数を別ファイルに増築し、その片方だけ更新し続けた結果、片側にしか実装されていない処理があったのだ。


全身の肌が粟立つ。


「そうか、この関数は以前に触ったことがあったから…… バグはないと思い込んで呼び出し元の確認を怠ってたんだ…… また僕は、なんて単純なミスを!素人かよ!?」

「気にするな、極限状態でパフォーマンスが落ちるのは当然だ、人間だからな」


いやそんなことはどうでもいい。

どうでもよくはないが、どうでもいい!


「アリッタさんはなんで分かったんですか!?」

「『全翻訳能力-オムニリンガリティ-』だよ。一目見れば、この関数に同名の兄弟がいると理解できた」

「いや、でもそんな! 処理の内容がわかるからってそれを違和感として認知するのはまた別というか……!」

「たしかにな。だが、戦場でも陣形の乱れは目立つものだ」


 当たり前のように言われて、黒井は言葉を失った。


 ――この人、やばい。


 その直感だけが、やけにはっきりしていた。

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