第7話(2)
王都ヴァルディスカを見下ろす丘の上。
白い石壁と赤い屋根が藍色の夜に沈み、いくつもの鐘楼が月光を受けて淡く浮かび上がっている。
中心広場の噴水のまわりにはまだ人影があり、酒場の笑い声が風に混じって届いていた。
大聖堂の尖塔の向こうには、こぼれ落ちるような星々。
戦火の遠い夜のヴァルディスカは、美しかった。
その丘にいたのは、アリッタ一人ではない。
隣には、黒い外套を羽織った青年がいた。
リカルド・アルジェンティ三世。
ロマナリア王国の王であり、アリッタの幼馴染。
王権と軍権を決して分かたぬように、完全な信頼関係で王と剣を結びつけるために、そうした国策のもと生まれた時から二人は隣に置かれてきた。
だから二人は同じ景色を見て育った。
同じ噴水に石を投げ、同じ教師に叱られ、同じ鐘の音を聞いて朝を迎えた。
そして変わらず、同じ景色を見て共に生きている。
その夜、リカルドは常に外すことのない王冠を外していた。
「お前、また説教師を怒らせたんだってな」
「向こうが勝手に怒っただけだ。私が神に剣は捧げないと言ったら騒ぎ始めた」
「聖冠教の連中にそれを真正面から言うか、普通」
「普通か。それは便利な言い訳だな、覚えておこう」
笑い声だけが小さく響く夜の丘。
ここは二人が響生きる中でため込んだ息を吐くための場所だった。
「……私は聖冠教を否定していない。宗教は自ら哲学を形成できない大衆にとって生の指針となるものだからな。だからこそ私には無用だし──」
「「忠義を捧げるのも神にではない」」
アリッタが続ける言葉に、リカルドの言葉が重なる。
アリッタは鼻で笑いながら王都を見下ろした。
石畳、鐘楼、大聖堂、広場、家々の灯り。
そこで生きる民。
リカルドは風に髪を揺らしながら笑った。
「神がいるなら、民はもう少し安らかに暮らせただろうな」
「それはどうかな。もしかしたら戦いが好きなだけかもしれんぞ」
「僕たちをコロッセオの奴隷にしているわけか。どのみち聖冠教に伝わる神とは似ても似つかないな」
彼は肩を竦め、それから少しだけ視線を逸らした。
「なあ、アリッタ」
「なんだ」
「王としてならいくらでも命じられる。民を守れ、国を守れ、戦えってな」
「命じろ。私はそのためにいる」
「でも僕一人の希望を言って良いのなら、なにもかもぐむっ……」
リカルドは口に人差し指を当てられ、そのあとの言葉を言えなかった。
アリッタのそれは、王としての言葉ではないからこそ絶対に言わせたくないものだった。
「それは言うな」
リカルドは苦笑して言った。
「……そうだな、言わないよ」
下では王都ヴァルディスカの灯りが瞬いている。
遠くで鐘が鳴る。
祈りのための鐘。
街のどこかで、誰かが明日を願っている。
アリッタは、その景色を胸の内へ刻むように見つめた。
「私が……私達が全部守る。何もかも途切れさせはしない」
二人だけの夜の丘、アリッタはひざまずき剣を捧げる。
リカルドはひときわ大きく息をつくと、懐から王冠を取り出して自らの頭上に乗せ諦めたように声を絞る。
「……無謀な戦に民を送った、愚かな血濡れの王と呼ばすなよ」
「汚名でも、残り継がれる未来があるなら本望だろう」
違いない、と笑うリカルド。
虫の声だけが響く静寂が訪れる。
目を閉じ、開いたその顔は、王の顔だった。
その声は威厳と神聖を纏い、国そのものの声だった。
「アリッタ・レオーネ・ヴォルペ、ロマナリア王国聖冠騎士団団長。"王国の紅き大剣"よ」
「はっ!」
「彼の地へ発ち、わが国と民の未来を護れ」
「必ず!!命に代えても!」
アリッタの誓いは、二度と揺るがぬ形になった。




