第7話(1)Knightmare
黒雲に覆われた空の下、黒い城がそびえていた。
山をくり抜き、そのまま悪意で塗り固めたような異形の城だった。
裂けた塔、捻じれた城壁、ところどころに走る紫色の脈動。
城そのものが巨大な生き物のように息づき、遠目にも不快な魔力を吐き出している。
その麓まで続く坂道は、灰と血で濡れていた。
砕けた剣、槍、盾、鎧。
人と獣の屍。
煤けた旗。
踏みしめるたび、乾ききらない泥濘が鎧靴の裏にまとわりつく。
ここまで来るのに、どれだけ失った。
もう数えていない。
数えたところで追いつかないからだ。
「団長」
低くしゃがれた声が背後から響いた。
アリッタは振り返らずに答える。
「なんだ、ランベルト」
「ここで足を止めるおつもりではありますまいな」
「止まれるように見えるか」
その返答に、老騎士は満足げに鼻を鳴らした。
ランベルト・ヴィスコンティ。
ロマナリア王国聖冠騎士団副団長。
白髪混じりの髪、皺の深く刻まれた顔、傷だらけの大盾。
そこには、深紅の地に金冠を戴く双頭の白獅子――ロマナリア王国の紋が、煤と血に汚れながらもなお誇らしげに刻まれている。
「結構。貴女がそうでなくては、ここまで死んだ者らの顔が立たぬ」
「顔を立てるためにわざわざ死地に道連れたわけではない」
アリッタは剣を握り直した。
「夜明けを取り戻すために来た」
「上々。"王国の紅き大剣"は健在のようですな」
そんな二人のやり取りを見て、笑い声が聞こえてくる。
「そういうとこがお嬢とオッサンなんだよなあ」
軽い声とともに、槍を肩に担いだ青年が二人の前に駆け込んだ。
ルカ・ベルナルディ。
斥候隊長。軽口と笑みを絶やさない男だが、その右腕は肩口から先ごと失われ、布で巻かれた断端から血が滲んでいる。
それでも口元の不敵さは消えない。
「辛気臭くてかなわねぇよ。もうちょっと景気のいいこと言おうぜ? せっかく魔王の喉元だ」
「そりゃぁお主の仕事じゃろう、ルカ」
「ははーん、さては先の短いオッサンには荷が重いか!?」
殴りかかるランベルトにひらりとかわすルカ、ロマナリア王国聖冠騎士団に入れば毎日のように見る風物詩だ。
そのやり取りの横で、静かな女の声が差し込んだ。
「魔力流が収束しています」
セレーナ・ヴィオラ。
聖冠教の高位祈導師にして宮廷魔術師、そして王国軍の戦術参謀。
銀に近い色の髪は灰に汚れ、青灰の瞳はひどく静かだった。
燃え残った法衣の裾が風に揺れる。
「城の中枢はこの先。結界の反応はあと一枚分。魔王は間違いなく最奥にいます」
「他は」
「後方の魔獣群がこちらへ収束中。数は推定不能。ですが、これまでの比ではありません」
ドスン。
黒井毛皮に赤い目をもった巨大な熊の様な化け物。
その首がアリッタの足元へ転がる。
「くはっ、簡単でいいぜぇ」
低く笑ったのは、巨大な斧を担ぐ大男だった。
ドメニコ・ヴァレンティ。
辺境の戦場を渡り歩いてきた豪傑で、いまやアリッタの盟友とも言うべき男だ。
国に仕えているというより、アリッタ自身の器に惚れ込んでついてきた。
鎧の肩当ては砕け、剥き出しの腕には幾筋もの傷が走っている。
「敵が分かるなら斬るだけだ」
「そういう単純さ、たまに羨ましいよ」
ルカが肩を竦める。
その後ろで、若い声が小さく喉を鳴らした。
「団長殿……」
フィリッポ・ラゼッリ従騎士。
まだ少年らしさの残る顔に、蒼白な緊張が貼りついている。
細身剣を握る手は震えていた。
だが、その足は一歩も退いていない。
「本当に、この先に……いるんですね」
「ああ、いる」
アリッタは答え、フィリッポは深く息を吸い込んだ。
「……よかったです」
「よかった?」
「ここまで来て、いなかったら……皆が報われません」
皆。
その言葉に、アリッタの胸の奥が重く軋んだ。
第三門を破るために工兵隊は城壁ごと吹き飛んだ。
退路を繋いでいた騎兵隊は戻らなかった。
王都から共に来た古参騎士の何人かは、昨日の黄昏までに息絶えた。
名を呼ばれなくなった者たちの数は、もう片手では足りない。
それでもここまで来た。
いや、彼らがここまで繋いだ。
無駄にするわけにはいかない。
そう思ったとき、不意に記憶が差し込んだ。
黒雲の戦場ではない。
血と灰の坂道でもない。
静かな夜だった。




