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第6話 Rusty Nail

「黒井」


その日の業務終わり、黒井が退勤打刻を済ませたところで背後から不機嫌そうなしゃがれ声が飛んできた。


振り向くと、高橋が立っていた。


相変わらず眠そうな三白眼に仕事帰りらしい疲れた顔。

いつもきれいにしていたオーダーメイドのシャツも、今は毎日袖をくすませ皺だらけだ。

リーダーに昇格してからの高橋は余裕がない。


少し前までは黒井自身もそうだった。

アリッタと出会う前であれば、高橋は顔も見たくない相手だった。

声をかけられればどんなミスをしたのか、何を言われるのかとそれだけで落ち込んだものだ。


だがもっと前に遡れば、よく一緒に食事をして仕事の愚痴を言いながらも仲良くやっていた。


今こうしてみれば、彼の姿はボロボロだった黒井の姿そのもののように見えた。


「どうしたの?」

「今日空いてるか」

「…… はは、タイムカード押した後に残業の誘いかい」

「はっ、うちにそんな気が利いたもんがあったとは知らなかった。だが同期からの飲みの誘いを残業とは言うようになったな」

「君が言ってたんだよ、上司との飲み会は残業代をだすべきだってね」

「…… そうだったか、そうだったかもな」


黒井は先に帰宅したアリッタにチャットで一報を入れ、スマートフォンをしまい込んだ。


「何そんな突っ立ってるのさ、僕たちは行く店に悩むほど贅沢な暮らしはしてなかっただろ」

「……! すぐ準備する」


---


夜のネオンが輝き、街並みは仕事後の解放感に浮かれている。

疲れ果て、一足でも早く帰ろうと満員電車に揺られる人もいれば、人の波に耐えるために心を癒してから帰路につく者もいる。


黒井達は、どちらでもない。


一年ほど前まではよく二人で歩いた道、対して景色も変わらず、その店もまた変わらずそこにあった。


屋台『夜雀』

しゃれた名前に似合わぬ年季の入った赤い提灯。

冬はおでん、夏は焼き鳥を中心に簡単なつまみを出すのが精いっぱいの移動式店舗だ。

座席は3席ほどあるが、ほとんどは売れてもテイクアウトで、こんな折れそうな丸椅子に座るもの好きはほとんどいない。


だが黒井達は、その“ほとんどいない物好き”だった。


暖簾をくぐると、焼き鳥の焦げる匂いが鼻をくすぐる。

店主の親父は二人の顔を見るなり、わずかに目を細めた。


「珍しいねぇ、今日は二人か」

「俺たちが来なくなってよくつぶれなかったな」

「……へっ、ボウズが落としてく銭じゃ、その日の晩酌に一品付けるくらいだよ」

「それはひもじい思いをさせてわるかった」


高橋が悪態をつきながら席に着くと、何の注文もなくハイボールが一杯乱暴に置かれる。


「氷多め、酒少な目、違うのが飲みたきゃ二杯目を頼みな」

「何杯目でも同じだよ」


(懐かしいやり取り、変わらないな)


黒井は細いパイプ椅子が頼りない悲鳴をあげるのを無視して腰を下ろした。


この店では一人ずつ座り、そのタイミングで1回目の注文をするのが暗黙の了解になっている。

だが、黒井が言葉を発する前にはもうウーロン茶の2リットルペットボトルと氷の入ったジョッキが置かれていた。


「はは、かなわないですね」

「酒のまねぇ奴にだすもんはこれしかないからな」


最初はウーロン茶450円というメニューを見て屋台なのに高い店だと驚いたが、一度頼んでからは逆に安くて驚く。

『1夜1000円、薄給通いの夜雀』は伊達じゃない。

飲み切れない分は持ち帰りもさせてくれる。


---


「おつかれ」

「うん」


軽くジョッキを合わせ、二人はひと口飲んだ。


高橋はしばらく何も言わなかった。

こういうとき、高橋は昔から自分の方から本題へ入るタイプではない。

言いたいことがあるくせに、その前に一度黙る。

多分、本人なりに順番を整えているのだろう。


黒井は急かさず、とり皮ポン酢をひとつつまんだ。


「……茶木の件、助かった」


先に口を開いたのは高橋だった。


「なんだ、やっぱり仕事の話か」

「そっからいくのが筋だと思ってな、言いにくい話でもないし」


高橋理一たかはしりいちはある種の美意識に取りつかれた人間だ。

生き方へのこだわりといってもいい。

シャツはオーダーメイド、時計や靴も格好つけるし、仕事を受け取るときも弱さを見せない。


そして中身は、常に何かの筋を通そうとする。

ひどいミスをした人間には目上でも文句を言うし、どれだけ憎く思ってる相手でも仕事には持ち込まない。

そうすべき、そう考えたことを愚直に実行する。


「茶木から聞いた。話したんだろ」

「まあ、うん」

「驚いたよ、2回目に来たあいつはまるで別人だった」


高橋は少しだけ視線を落とした。


「ほんの一時間前、俺が怒鳴りつけた相手は誰だったのかと思った」

「中身は変わってないよ、彼女は自分の考えていたことを口に出しただけ」

「それが問題なんだよ」


高橋はきっぱりと言った。


「怒るべきではない相手に理不尽な言葉をかけたってことだ」

「見えないものは想像するしかないだろ」

「そうだが、なぜ俺は悪い方に想像したのかってな。少なくともお互い耳も口もあるんだ、ちょっと聞いてみるくらいできた」

「役職的な意味じゃなくて役割的な話だけどさ、リーダーは楽観的に、マネージャーは悲観的にいるほうが仕事は回るよ。一人でやるなら悲観的であるほうがいくらか良い」

「無理にフォローすんな。まぁ、そんな性格だから今回はお前が俺に足りない部分を埋めてくれたってわけだ」


黒井は手元のジョッキに入ったウーロン茶を飲み干す。

そしてペットボトルをつかみ、二杯目を継ぎながら答える。


「それは買いかぶりすぎ。僕が社交性と無縁な思春期を過ごしてきたこと知ってるでしょ」

「過去はな、けど八重樫さんに今日言われたよ」

「何を?」

「『今できないことは、今後もできないことを意味しない』ってな」

「ふはっ、きっちり絞られたってわけだ」

「じゃなきゃお前なんか誘わねぇよ」


---


「正直、見直した」


高橋はレバーを一本取り、噛みしめる。


皿に並んだ焼き鳥の中は二本ずつ、だがレバーは一本だけ。

黒井は牛や豚のレバーはむしろ好きな部類だが、鳥のレバーだけは苦手な部類にはいるからだ。

その代わりにとり皮が3本ならんでいる。


「最近は特にな。お前、かなり死んでただろ」

「まあね」

「声かけても聞こえてるんだかどうかもわかんねぇし、まぁでも追い込んだのも俺か」

「罪悪感あったんだ」

「ねぇよ。下らねぇミスばっかしやがって、言わない方が気持ち悪い」

「じゃあ後悔したんだな」

「……ハァ──」


バツが悪そうにハイボールを煽る高橋。


(いい言葉が浮かばないときは、酒を傾けてごまかすのが大人のやり方だと習ったのは、誰にだったかな)


「そういやこの前の炎上プロジェクトのリカバリ、ありゃなんだよ急に覚醒しやがって。できるなら最初からやってくれりゃ、俺もシャツの洗濯くらいできたぜ」

「まー女神様のきまぐれとしか言いようが無いね。ただの偶然のひらめきだと思っといてよ」

「そうはいかねぇ」


高橋は鼻を鳴らした。


「バグだらけでこのままじゃリリース無理だってなってた案件。お前、あの時急にいろいろ持ってきただろ」

「うん、まぁ」

「これは運用回避できる、これは業務に直結しない、これは優先して潰すべき、って。何を残して何を切れば、納期までに“必要要件を満たせるか”を材料付きで並べた。しかもご丁寧に、不完全なバグチケットも調査済みときた」


高橋はそこで、少しだけ遠くを見るような顔をした。


「元々お前は前線で殴る分にはそれなりにやれる奴だと思ってた。まぁその点についちゃ俺のほうが上なのは間違いないが…… あれは兵士の視点じゃねぇわな」


夜雀の赤提灯が、夜風でかすかに揺れた。


「あれは俺が、リーダーがやらなきゃいけないことだった」

「高橋は完璧主義者なところあるからね」

「個人的嗜好に他人を巻き込みたいとは思ってねぇよ、自分の役割を完璧に果たす方が優先度高い」


高橋は砂肝を串から二個まとめてほおばって見せ、それをまたハイボールで押し流す。

ドンッと強く空になったジョッキを置き、店主に追加を合図しながらつぶやいた。


「何がそんなにお前を変えた…… いやそんなことはどうでもいいか。」

「……」


黒井は答えなかった。

この身に余る評価は自身に向けられた言葉ではなかったから。


新しく提供されたハイボールに口をつけながら、高橋は今度こそ、はっきりと黒井に向かって言葉を飛ばす。


「お前、管理職目指すのか」

「……はぁ!? いやいや、何を言うのかと思ったらなんだよそれ」


黒井は一瞬、言葉を失った。

本当にまったく考えていなかった言葉、そして問いだった。


高橋は横目でその様子をみて、あきれたように息をつく。


「なんだ、マジで考えてなかったのか」

「僕は高橋みたいになりたくはないからね、もう死にかけるのはごめんだよ」

「つながってねぇぞそれ」

「……なにさ」

「チッ」


高橋は皿の上に載っていたとり皮を二本まとめてとり、思いっきりほおばった。


「あ、それ僕のだろ!」

「お前は俺じゃない! 兵士としては俺より弱くて、管理職としては俺より適正あんじゃねぇのって。そしたら、自分でプロジェクトをリードした方が楽に仕事できんじゃねーかってなるだろ!」

「なんないよ! 自分に適性があるとも思ってないし、たまたま結果がでたからって買いかぶるなってば! あとおっちゃんとり皮3本!こいつの伝票につけといてね!」

「あいよ」


店主が軽く返事をして、また串を焼き始める。

それを二人は見ることもなく、互いにそっぽを向いてジョッキを傾け続けた。

更に残ったやきとりは、きっちりお互いがお互いの分を確保して、抱えるように手元に隠している。


長くもない沈黙は、高橋によって破られた。


「馬鹿だな。上司との飲み会だぞ、全額奢りだよ」

「同期との飲み会だよ、割り勘にきまってる」

「だったら同じ職位までさっさと上がってこい! それまではお前に金は払わせねぇ」

「はー!? 勝手にきめないでよ!」

「うるせぇ、先に上がったのは俺だ。後から来る奴は黙って背中見てりゃいいんだよ」

「その背中が今いちばん不安なんだって話してたんだけど!?」

「それを見てるだけで終わらせるなって言ってんだよ! 馬ァ鹿!」


高橋は吐き捨てるように言って、空になったジョッキを揺らした。

氷がからん、と乾いた音を立てる。


その一言は乱暴で、投げやりで、相変わらず説明が足りない。

けれど、不思議と意味だけはまっすぐ伝わった。


――そこで終わるな。


高橋はそう言ったのだ。


「…… それ、期待してるって意味?」

「違う」

「じゃあ何」

「このとり皮と一緒だ。食ってやろうと思ってな。焼きいれてやったんだ」


いままではただネガティブに受け取っていた高橋の言葉。

でももしかしたら、今日までも黒井達はただすれ違っていただけなのかもしれない。


しっかりと向き合っていたなら、もう少し心だけは安らかに強を迎えられたのかも。

黒井は頬杖をつき、イーッと口を横に広げて悪態をつきながら、そんなことを思った。


(まぁ、今日もらった言葉はほとんどアリッタさんのおかげなんだけど)


黒井は手に持ったウーロン茶のジョッキを高橋のジョッキに当てる。

プラスチックがぶつかる軽い音、氷がゆれる音がした。


(それで高橋がやる気になってるなら、ノッといてあげるもの友人か)


「今日からライバルだね」

「今さらかよ、俺は同期は全員そう思ってるぜ」

「ふーん、まぁもう僕たち以外みんなどっか行ったけどね」

「俺らが生き残った」

「逃げ遅れたんだよ…… やっぱ管理職としては客観視点が足りてないね」

「うるせぇ、まだサイコロは転がってんだよ」


---


夜雀を出ると、街の空気は少しだけ冷えていた。

酔っ払いの笑い声、遠くを走る車の音、駅へ急ぐ人の流れ。

東京の夜は忙しいくせに、どこか人を置いていくような静けさがある。


高橋とは帰路は逆方向。

屋台を出たら背中を向け合うのがいつもの流れだ。


1人駅へと歩く中、黒井は自身のスマートフォンに通知が来ていることに気が付いた。


{アリッタ:次は私もつれていけ}


それも悪くないかもしれないな、と黒井は思った。


次にこうして飲める日はいつくるのだろうか。


台風の目に入った様な今日を、また暴風の中で夢見る日々に戻る。

しかし、きっといつかはくるだろう。


焦る必要はない。

きっと席は空いているから。

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