第5話(3)
ムゲンワークス株式会社の個室ブースにて、黒井と茶木は本題からそれて雑談を続けていた。
しかしふと気が付けば、個室の予約時間も半分を過ぎているようだった。
(そろそろ本題に戻らないとな)
茶木もそんな空気を察して、会話の区切りをみて次の話題を出すことを止めたようだった。
「さて、ちょっと話過ぎちゃったな。話を戻すんだけどいいかい」
「あ、はい!」
雑談で少し打ち解けられたのか、黒井に対しての返事もより明るくなったように見える。
黒井は関係性の深化に手ごたえを感じつつ、それを裏切らないようにあらためて慎重に言葉を探すことにした。
「さっきまでの話を聞くに、やっぱりすでに茶木さんは必要なものが全部分かってると思う」
「ありがとうございます!」
「ってことは、それぞれに対して出来ることと出来ないこと、出来ないことについては何が理由でできないかも説明できるんじゃない?」
「もちろんス!」
茶木は今まで見せなかったような漫勉の笑みで八重歯を輝かせる。
「バグの位置と内容の特定は、バグの動作確認時のボタン押下で出力されるスタックトレースから追えると思いまス! でもそもそも、コードが保管されてるバージョニングツールのリポジトリが分かんないので、そのリンクが欲しいっス! 正常な動作は仕様書か過去チケットから確認できると思いますが、どちらも探し方が分かんないっス! 修正の仕方は見てから考えまス!」
(この娘、自分が感覚派なだけで言語化しろって言われたらさらっとできちゃうのなんなんだろう……僕がわざわざ話聞かなくても一人でなんとかしてたんじゃないか?)
黒井は思わずにやついた口をさりげなく片手で隠し、一呼吸おいてその手の人差し指を立てながら言った。
「それだよ!」
ポカンと口を開ける茶木をしり目に、黒井は言葉をつないでいく。
「今言った内容を高橋に伝えればいいんだ。僕たちは、茶木さんが理想的な“自分で全部完結できる開発者”になってほしいと思ってる。だから、そうやって自分で状況を把握して、必要な支援を具体化して、行動指針を立てられるって分かったら、めちゃくちゃ嬉しいんだよ」
「えー、でも高橋さん忙しそうだし、こんな詳細な報告できる雰囲気じゃないっス」
困った笑顔を見せる茶木。
黒井は気まずそうに頭を搔く。
「それはごめん。でも、僕たちは後輩さんが何を考えてどこへ進もうとしてるかが一番気になるんだ。それが具体的であるほどすごいと思うし、障害があれば取り除いてあげたい。抽象的であるほど不満に思う」
「アタシの質問の仕方に具体性がなかったってことっスか」
「『分からないことは聞いて』と『それくらい自分で考えろ』。その差がここにあるんじゃないかなって。想像なんだけどね」
「……うーん、それって──」
言いにくそうな、言葉を選んでいるかのようにうつむきながらぽつぽつと話す茶木。
黒井自身も、最初からここまで言語化ができていたわけではない。
茶木と会話する中で、彼女に問いかけるふりをして一緒に考えてたどり着いた答えだ。
そんなものを察しろなんていう前提は、やはり無茶なものだったのだろう。
今回の様な問題は起こるべくして起きたのだと、今ならよりはっきりとわかる。
「分かりにくすぎだよね、ごめん」
「いや、そんな黒井センパイが悪いわけじゃ!」
「いーや、これは完全に僕たちの問題だよ。正直さ、自分たちの下に人がつくってことに、高橋も僕も慣れてないんだ」
「……」
「だから今後もこういうことがあるかもしれない。でもこうして話せて、僕はすごく勉強になった。僕たちも同じミスを繰り返さないように気を付けるよ。だから、よければまた何かあったら話を聞かせてほしい。仕事のことでも、そうじゃなくてもね」
「……はい! ありがとうございます! 是非、今度は黒井センパイの好きなことについても教えてください!」
「うん。それじゃ、今話した内容を元に改めて高橋のとこに行ってみて。今度はきっと上手くいく」
「はい! ありがとうございました! 早速行ってきます!」
元気よく立ち上がり、扉の前で一礼してから個室を飛び出していく茶木。
それを見送った後、扉がバタンと音を立ててとじたところで、黒井は大きく息を吐き出した。
部活の経験もない。
一人キーボードを叩いて生きてきた黒井にとって、後輩の面倒を見るというのは初めてのことだった。
学生時代はむしろ恐れていた人との関わり。
それも人生の先達として相談に乗るなど、大それたことを成し遂げた。
黒井は、自分の心が少し浮ついていることを実感していた。
(思っていたよりも人付き合いってものは新たな発見に溢れていて、なんだか楽しかった気がしたな)
そんなことを思いながら、ゆっくりと椅子の背もたれに体重をかけていく。
「どうだ、なかなか良い経験になっただろう」
「のわっ!?」
急に話しかけられて、黒井は椅子から滑り落ちそうになった。
いつの間にか背後にはアリッタがいた。
壁に寄りかかり、腕を組んで笑っている。
「驚かさないでください」
「この程度で驚くな。それで、どうだった」
「……色々と、本当に色々と勉強になりました。なんというか、自分の世界が広がった気がします」
その言葉を聞き、アリッタは目を閉じて黒井の頭を乱暴に撫でる。
「わわわっ!?」
黒井のボサボサだった髪の毛はさらにとっちらかった。
「それはテルオの視点が増えたからだろう」
「……視点?」
「テルオは後輩と話す中で、自然と様々な視点から物事を見なければならなくなったはずだ。声を荒げた上司、質問に行った後輩、そして自分自身」
(確かにその通りだ)
黒井は茶木と高橋の問題に第三者として介入することで、その双方の内心へ思いを馳せた。
それが今まで自分一人の視点では見えなかったものへ目を向けることを可能にした。この問題が何によって起きていて、どうすれば起きなかったかを考えることができた。
「視点は多ければ多いほど想定できる幅が増え、それは打てる手を広げる。他者を理解したり、共感したりできる」
「それはすごく実感しました」
「問題を解決したいなら、思考の順序を守ることが大前提だというのは理解していると思う。それが理解できれば次に必要なのはその質を高めることだ」
「それが視点の数なんですね」
アリッタは黒井の頭から手を放す。
そして机に片手をつき、見下ろすように黒井の目に視線を合わせる。
「だが忘れるな。テルオが今日見た視点は、テルオが想像する誰かの視点であって事実ではない。それは推測、仮説の域を出ないものだ」
「……軽率だったでしょうか」
「いや。仮説はどのみち検証しなければならん。安全なのは高橋の話も聞いてみることだっただろうが、完全に安全な手順というのは相応に負荷もあるからな。ただ、それを理解して取った選択か、そうでないかには違いがあるということだ」
アリッタの言葉を聞き、黒井の浮ついた心も落ち着きを取り戻す。
「まだまだですね」
「何をいう。百点だ。これまで得たものを活かし切った、いい先輩ぶりだったぞ。女の口説き方としては別だが」
「は? 口説……え、ちょっと待って! 見てました!?」
「くくっ。テルオ、私にだってまだ見せてないものはある」
そう言いながら会議室を出ていくアリッタ。
「ちょっと! もしかして魔法!? 教えてくださいよ! 僕も使えたりとかします!?」
彼らの戦いは、まだこれらからだ。




