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第5話 Fake Bind(1)

ムゲンワークス株式会社の実務フロア。

たくさんの長机と椅子、LANケーブルを指すハブや電源タップが並ぶなか、まばらに人が座ってノートPCと向き合っている。

その様子は、先日の戦場のような雰囲気とは変わり、少しばかりのゆとりを感じさせるものだった。

あくまでも当社比、という意味で。


そんな中を段ボールをひと箱かかえた黒井とスーツ姿のアリッタが闊歩する。

今日はアリッタが正式に出社する初めての日だった。


アリッタの異様に目を引く風貌に視線があつまるが、皆一様に口は開かず手を動かす。

山場は超えたとはいえ、まだ新人に浮かれられるほどの余裕はなかった。


(余裕ができたらあいさつ回りしてもいいかもな)


黒井はそんなことを考えながらも適当に二人並べる席を見つけると、両手で抱えていた段ボール箱をドンと机に置いた。


「いよいしょっ! ふ~、やっと落ち着きますね」


この会社では決められた座席がなく、支給されるPCもそれを想定してノートPCとなっている。

黒井が持ってきた箱の中にも、PC周辺機器や社員証、社内資料などと一緒に、アリッタが使う用のノートPCも入っていた。

PCの初期設定を行い座席に備えられた有線LANケーブルを接続すれば、仕事用のワークスペースにアクセス仕組みになっている。


(まぁ、家で仕事するためにローカルにへファイルを持ってきちゃうから、あまり意味はないんだけどな)


遠い目でPCを眺める黒井に、アリッタも少し申し訳なさそうに声をかける。


「持たせてすまないな」

「あ、いえ、勝手にやってるだけですから」


八重樫の手引きでEC分野のアプリ開発部署へ入ることになったアリッタ。

配属先は、高橋という黒井と同期の男を筆頭としたチームだ。

当然ながら黒井も所属している。


通常であれば研修などあってもよさそうだが、そんな余裕は一切与えられない。

せいぜい二日ほど、座席やPCの用意、大まかな仕事について理解する時間を与えられた程度だった。


当然黒井は説明を求めたが、八重樫からは"時期が悪かった"と一言言われたのみだ。


「いたし方ないさ。教育する余力がないこともあるだろうが、そもそも課長は私が専門知識を持たない素人とは思っていないだろうしな。」

「うーん、ひと月くらい前にはやってたんですけどね」


ムゲンワークス株式会社では少し前、何人か新卒を採用したばかりである。

その時には全体向けに多少の研修があり、基本情報試験の過去問を解かせたり業務で使うツールの説明をしたりする余裕もあった。

とはいえその程度で、配属先が決まればほとんどの場合すぐに現場へ放り込まれてしまったが。


今回は幸いにも黒井からの推薦ということで、社内案内やツール説明、当面のメンターなどは黒井が担当することになっていた。

与えられた時間はあまりないものの、仕事の仕方やPCの操作方法を伝えるための時間はそれなりに確保できそうなことが救いだといえる。


(さて、どこから説明したものか)


「──ッ!!!」


黒井とアリッタが荷ほどきをしていると、オフィスに怒号が飛んだ。

全く気を配っていなかったため何を言ったかは聞き取れなかったが、黒井には大方の想像がついていた。


「そんなこと聞いてくるな! まず自分で考えてから持ってこい!」


黒井は思わず肩をすくめる。


「……またやってるなぁ」


声がした執務スペースの一角にそっと目を向けると、苛立った高橋が見えた。

その視線の先では、新人らしい小柄な女性社員がしゅんと肩を縮めている。


黒井は隣のアリッタへ小声で言う。


「アリッタさんは、もし分からないことがあったら僕に聞いてください。高橋も悪い奴じゃないんですけど、最近は余裕がなくて」

「ふむ」

「新人には『何かあったら聞け』なんて言ってたんですけどね。でも、いざああやって質問に行くと全く逆のことを言うんですから、メンバーもどうしていいか分からなくなって結構怖がられてるんですよ。世間じゃダブルバインドなんて言うらしいですが」


アリッタは、叱責されていた新人の方を見たまま言った。


「矛盾した指示によって混乱するわけだな。その心理は理解できる。だが、まずは固定観念を取り払うべきだろう」

「と言いますと」

「本当に矛盾している指示なのか、ということだ」

「いやいや、してるじゃないですか」


黒井が即座に返すと、アリッタは少しだけ目を細めた。


「テルオ、相手に完璧を求めるな。人間の会話など、言葉足らずや聞き手の誤解ですれ違うことばかりだと理解しているだろう」

「それは…… そうなんですが。いや、そうですね」

「それに、彼は優秀だからあの地位にいるのだろう。そんな誰もが一目見て取れる矛盾に気づかないと思うか」

「何か僕らが汲み取れていない、言外の前提があるってことですか。…… いや、アリッタさんはもうその内容まで見えてたり」

「理解ではなく推測だな。仮説はあるが、現時点でこれ以上ここで検討する必要はない。先ほど叱責されていた彼女に話を聞いてみる方が早いだろう」

「行くんですか?」

「君がな」

「えー!? 僕ですか!?」


アリッタはあきれたようにため息をつく。


「何を言うんだ。先輩の仕事だろう。いいか? 何が疑問だったかもそうだが、何を言ったのかも確認してみるんだぞ」

「うーん…… 僕だって自分のこと満足にできてないのに、そんな先輩風吹かせるのもなぁ」

「自分のことは見えなくても、他人のことなら見えることもあるさ。彼女に興味を持って話を聞いてやれ。あと、いいところがあったら褒めてやることだな」

「褒めるってそんな、僕なんかが」

「肯定されるというのは誰が相手でも嬉しいものだぞ。うまくやれなくても構わん。やろうとすることに意味がある。今やれないことは──」

「『今後もできないことを意味しない』でしょう。あーもう、分かりましたよ。行ってきます」

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