第4話(4)
競馬場に着くと、アリッタは圧倒された。
大きく広がる巨大なレース場、その周囲にはコロッセオのように客席が並ぶ。
周囲には飲食店や、レース前の馬がその姿を見せつけるパドックまであるのだ。
「馬、好きだったんですね」
「自分が乗る馬は自分で選ぶからな。有力な騎士の馬、商隊の馬車馬、様々な用途の馬を仕事の合間に見に行ったものさ。速さ、脚の癖、気性、持久、骨格、筋肉の乗り方――馬は見ていて飽きん」
アリッタの目はもう少年のように輝いていた。
「おい、あっちで馬が歩いているぞ!」
「パドックですね。レース前に強そうな馬を見定めるんですよ」
「もしかして買えるのか?」
「馬をっていうか、お金をかけられるといいますか」
「面白いじゃないか、私にまかせておけテルオ! パフェ代を取り返してやろう」
「えぇ、アリッタさんギャンブルとかするんですか」
「当然だ、こっちは娯楽が少ないという話をしたばかりだろうが」
すでにギラギラとした目で、完全にギャンブラーの顔になっているアリッタを見て、もしかしたら今まで猫かぶってたんじゃないかなぁと思う黒井だった。
パドックを歩く馬たちを真剣な目で見るアリッタ。
その表情は最初こそ強気だったものの、気が付くと頬に汗をたらし、口元は自信なさげに歪んでいた。
「…… いや、何だこの馬?」
「なんですか」
「全頭、異様な肉付きをしているんだが、もしかして世界の名馬を集めた世紀の一戦なのか?」
「ああいえ、G1クラスのレースはもう少し後でして、これは未勝利戦ですね」
「は? この名馬たちがまだ一回も勝ったことがない馬の集合だというのか? どうみたってただ走ることに特化した怪物の行進なのだが」
「そりゃそうですよ。そのために両親どころか祖父母以前の組み合わせから始まり何世代もの馬生を背負って走ってる馬ばかりですから」
「~~~ッ! お前たちの国はどうなってるんだ!」
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親指の爪を噛みながら必死にパドックを眺めるアリッタを見て、黒井は黙ることにした。
売店に行けば競馬新聞がある。
手元の端末を見れば、過去の成績も馬体重もいくらでも調べられる。
いくらでも判断の材料を提供することはできたが、目の前の馬の姿だけで目を回しているアリッタには余計な世話というものだ。
「…… あっ」
天気予報になかった小雨が降り始める。
芝の状態が変われば馬の優劣もまた変わり、このレースは更に分からなくなったといえるだろう。
そのことにはアリッタも気が付いていた。
非常に珍しく狼狽した姿を見せるアリッタだったが、ふと一頭の馬が耳をぴくりと動かし、周囲を見回したあとですっと力を抜く。
次の瞬間、彼女は何かに気づいたように目を見開き、馬の近くぎりぎりまで駆け寄っていった。
そして全頭の周回が終わると、彼女は晴れやかな笑顔を見せ、迷いなく数頭を指差した。
「あの馬をこの組み合わせで買ってくれ、賭けられるめいっぱいの金でだ!」
「…… 何かわかったんですか」
「ふふふ、結果はレースを見てのお楽しみといこうじゃないか」
なんだか怪しさを感じつつも、そういえば就職祝いだしなと財布に入っていた金のほとんど全て機械に突っ込み馬券へと変える。
そして残ったお金でホットドッグとお茶を買い、アリッタの元へと戻ることにした。
アリッタはレースのファンファーレを今か今かと待ち構えていた。
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レースが始まる。
ゲートが開いた瞬間、アリッタは息を呑んだ。
地面を叩く蹄の連打。
しなやかに伸びる首。
低く前へ倒れる騎手の姿勢。
一団となって駆け抜ける馬群の美しさに、彼女は完全に心を奪われていた。
気づけば、黒井よりずっと熱心に叫んでいた。
そして──
次の瞬間、場内がどよめいた。
一番人気から三番人気までが揃って掲示板を外す、大荒れも大荒れの決着。
あちこちで悲鳴と怒号が上がり、頭を抱える者、膝から崩れ落ちる者、逆に信じられないものを見るように着順掲示板を見上げる者までいる。
「何でだぁぁぁぁ!!!」
観客席では怒号や絶叫が飛び交う地獄絵図、いや平常運転ではあるのだが。
すすり泣く声も聞こえる中、それでも意気揚々と歩く馬たちへ最後は拍手が送られていたことは少し胸を打つものもあっただろう。
普通なら。
アリッタの馬券は的中していた。
しかも二桁人気の馬を絡めた三連単。
配当は、軽く黒井の月収を飛び越えていた。
「は? は? はぁぁぁぁぁぁぁああああ!?!?!」
「おおおおおおッどうだァ!! テルオ!! 私の言ったとおりだっただろうが!!!」
「いやいやいやいや!!!! えぇぇぇぇ!?」
「箱だ! 箱でカップラーメンを買って帰るぞ!!!!」
「いやもうちょっといいもん買いましょうよぉおおお!!!」
ホットドッグとお茶をぶちまけ、周りから贈られる冷ややかな目線など気にもならない。
大勝だった。
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興奮は馬券を換金するときにももう一度盛り返し、二度の隆盛を経てやっと落ち着くに至った。
黒井は改めて休憩がてら自販機でペットボトルのお茶を買いなおし、アリッタに手渡す。
アリッタは出会った初日にもくわえていたものと同じタバコをくわえ、いつの間にか手にしたシガーカッターで先端を切り落としながら黒井に火をせがむ。
いやまて、いままでベッドの譲り合いをしていたりと奥ゆかしいやり取りはなんだったのか。
これがアリッタの本当の姿なのかもしれないと思うと、黒井は不思議と良い気分だった。
「そろそろ教えてくださいよ、何があったんですか」
「ふふふ、半分は見立てだ。骨格、気配、脚の運び、あとは目だな」
「半分は、ってことは残り半分は?」
タバコをくわえたまま、ベンチにドカッと腰かけて足を延ばすアリッタ。
その姿はどう見ても騎士団長より山賊だろうと黒井は思ったが、口にはしなかった。
「くっくっく…… 馬に聞いてみた!」
煙をくゆらせながらニヤリと笑うアリッタ。
「いや『全翻訳能力-オムニリンガリティ-』!! 悪用してる!!」
「できるとは思っていなかったんだがな、やってみるものだ。話してみるとなかなか多様な性格をしていておもしろかったぞ」
黒井は頭を抱えた。
「いやいやいや、ダメでしょうそれ。ズルじゃないですか!」
「必ず勝てるわけではないさ。話せたところで、走るのは馬だし人もいる。少しだけ機嫌の良し悪しがわかるくらいさ」
「そんなもんですかねぇ」
「あ、あと、馬からみた別の馬の評価とかな」
「うわ、それめちゃくちゃ気になる……」
「あとは意外と自分の人気とかジョッキーの気合の入り方とかわかっててなぁ──」
アリッタは満足げに煙を吐いた。
その横顔は、ついさっきまで命の重さだの世界の在り方だのを考えていた人物と同じとは思えないほど、妙にすっきりとしていた。
「でも、よかったです」
「何がだ」
「アリッタさん、今日いちばん楽しそうだったから」
「…… そうか?」
「はい。東京の景色を見てるときも、本屋にいたときも楽しそうでしたけど、競馬場に来てからは別格でした」
「馬は良いものだからな」
「それだけじゃないでしょう」
「む」
アリッタは返す言葉に詰まったように目を細めた。
黒井はペットボトルのお茶を一口飲んで、ベンチの背にもたれかかる。
「まぁなに、雨が上がれば気分もよくなるさ」
レース前に振り始めた小雨はいつの間にか止んでいた。
彼女の横顔を見ながら黒井は思う。
今日一日で見たもの、聞いたこと、笑ったこと。
そのどれもが、きっと明日からの自分を少しだけ支えてくれるのだろうと。
夕焼けの残る東京の街を、二人は並んで歩いていく。
「ところで、今ならパフェも味が勝ちますかね」
「ふっ、これだけ衣嚢が重ければな。…… いや、どうせならあっちを買うか」
「えぇースイーツショップ結構遠いですよ」
「なんだ、何度でも連れていくというのは嘘だったのか」
「いつとは言ってない…… まぁでもわかりましたよ」
明日からまた、長い1週間が始まる。




