第4話(3)
「どうでした、この世界は」
「正直圧巻だった」
アリッタは空になったパフェの器をスプーンでなでながら、黒井には視線を合わさずに答えた。
「生きるのに必死な状況では下から埋まる。衣食住、医療、戦争からの派生技術。そのあたりまでは皆が知恵を絞る。だがこの世界は明確にその先を進んでいる」
「先ですか」
「心地よくあること。楽しむこと。快楽のための努力が異様に進んでいる」
アリッタの視線は、外の家族連れへ向いていた。
「すぐ死ねる世界ではな、人はまず死なないことが優先なのだ。大衆の娯楽など、酒や少し豪華な飯、賭け事、ささやかな生きる延長線上にあるのみだ」
「……」
「だがこの世界は違う」
アリッタは言った。
「それはそれは命が重い世界なのだろう。飢えないし、失敗がすぐ死につながらない。だから人が増え、建造物は高く伸びる。そして大衆はただ生きることに飽きて娯楽を求める」
「なんだか、悪いことをしているような言いぶりに聞こえます」
「そうか、そんなつもりはなかったが。いや、たしかに今、私はそう言ったのかもしれん」
その言葉に、黒井は少しだけ考え込んだ。
命が重い。
それは現代に生きる自分たちにとっては当たり前で、あまりにも自然で、あえて意識しないことだった。
だから自分たちが長く生きる前提で、多くの娯楽を求めて来た。
だがアリッタの生きた世界からみれば、この平和もまた、どこか脆く、危うく見えているのかもしれないと黒井は思った。
守られた暮らしの中で人は何を大事にし、何を忘れていくのか。
彼女はそれを見つめているのではないか、と。
なぜ自分たちはこちらの世界で生まれなかったのかとか、そういう嫉妬心の様なものは彼女からは感じられない。
ただ、憂いているのがわかった。
自分が生きた戦場からみればあまりにも平和ボケした人民の姿、そしてあまりにも守られた世界の在り方。
自分たちの戦った、望んだものを勝ち取った先にあった人の姿とは、これでよいのかと自問しているように見えた。
「…… もしかしたら、だからアリッタさんがこちらにきたのかもしれませんね」
「んむ? 何の話だ」
「この世界を見て、それで終わりじゃない人だからです」
「……」
「見て、考えて、納得できないならたぶんそれでいいんです。そういう人だから選ばれたのかもしれない。召喚しといてどの口がって話かもしれないですけど」
「"奴"の意図は…… な」
「もしそうだとしたら、アリッタさんはアリッタさんのまま、思うがままに振舞えばいいってことになりますよね」
「私に人々を変える象徴になれと?流石に荷が重いな。この世界で唯一異なる常識で生きる私は、むしろ異端として排除される方が自然だろう」
「そんなことないですよ……」
「やはり私は──」
「そんなことないです!」
強い一言に、アリッタのスプーンを持つ手が止まる。
手に持ったコーヒーグラスに目線を落としながら、黒井は言葉をつないでいく。
「異なる正義を許容することが人と共創するために重要だってアリッタさんは言いました。」
アリッタの目線が黒井を捉える。
「一人じゃできないことは信頼できるチームが解決するって、独りの弱さは強くなる以外にも解決できるって! あなたの言葉は僕にも、八重樫さんにだって届いてるんですよ!」
黒井のコーヒーグラスを握る手が震える。
「僕、正直アリッタさんの生き様には憧れてるんです。だから、自分で言った事くらい、自分で守ってくださいよ! それでも、それでも自信がないっていうなら……」
「僕が、あなたを孤独にはしませんから……!」
黒井の視線もまた、アリッタの目を捉えた。
しばし、言葉はなかった。
店内には氷の溶ける音と、遠くの食器の触れ合う小さな音だけが流れている。
アリッタはまっすぐに黒井を見つめていたが、やがてふっと力を抜くように息を吐いた。
「…… 意外と、テルオはリーダーの素質があるかもな」
「どういう意味ですか、それ」
「ふっ、たまには自分で考えるのもいいものだぞ」
「えぇ…… まぁ、ありがとうございます」
アリッタはそう言って、空になったパフェの器に視線を落とした。
それから、どこか気まずさを誤魔化すように咳払いを一つする。
「それで、この後はどうする」
「一応、まだ候補はありますけど……」
「ほう」
黒井はスマホを取り出し、いくつか保存していた行き先を見せた。
水族館、展望台、神社、少し離れた大型商業施設。
アリッタはその画面を覗き込み、ふと一つの文字で視線を止めた。
「…… 競馬場?」
「あ、はい。ちょっと変わり種ですけど」
「馬がいるのか」
「いますね」
「走るのか」
「走ります」
「行こう」
「即決!?」
先ほどまで命の重さがどうとか、人の在り方がどうとか語っていた人間とは思えぬ速度であった。




