(七)魔族
黒い山のふちから顔をのぞかせていた小さな星は、いつのまにかぐんと高くなっている。魔鉱技術がおよばない田舎の夜は、こうも暗い。星が河を為して滔々と揺蕩う夜空のほうが、よほど明るく感じられるのではないかと、黒影は縁側の柱を背に座り、夜を見あげていた。
すっかり夜の冷たさへなじんでしまった肉のない手のひらを見やる。――最近、ソウはこの手をとると、すっかり眠るようになった。まるで、不安などなにもないような顔をして。ぜんぶ安心して頼りきっているとでも言わんばかりに、分厚い肩の力も抜いてしまうのだった。ふだんの警戒心はどこへ捨てたと問い詰めてやりたくもなるが、彼の寝息を数えているうちに、そんな文句もいつのまにか融けてしまう。温かさがじんわりとなじむころには、こちらの意識もまどろみはじめてしまい、ときおり、そのまま伏していることもあるほどだ。それがまた、無性に腹立たしく感じられて、目の前でなにも知らない顔をして眠るソウを蹴り起こしてやりたくもなるが、どうせ起こしたところでよけいに苛立たしさを感じるだけだろうと考え、ひとまず放っておくことにしている。
夜風に身をさらしながら、一人。黙々と考え事をしていたときだった。知っている足音がした。
「納得がいってない、って顔ですねぇ」
「アークか」
「どうして、黒影ちゃんはわかるんです?」
となりにならんだアークが苦笑した。
「たいした理由ではない。ナギとは足音も遠慮のしかたもちがう」
「ああ、そういう」
アークは得心がいったようにうなずいた。それから、ふふと笑う。
「なんか、嬉しくなっちゃうじゃないですか。そういうの。俺としては、あんまり喜ばせないでほしいんですけどねぇ」
アークはすこしこまったように眉じりを下げていた。
「いっしょにいられなくなるんですよ。情が深くなりすぎると」
「なら、とっととどこかへ行け」
「すぐそう言う。ちょっとくらいこういう茶番につきあってくださいよ。せっかく黒影ちゃんが、なんか話したそうにしてたので声かけたんじゃないですかぁ」
となりへ腰かけて足を下げると、アークは縁側のふちでブラブラと揺らした。
「ジッタが警戒したのは、ソウではなく。キサマの存在があったからではないのか。魔素が視えるならば、その身体が異様なことぐらい知れよう。あの場にいたのがソウだけなら、もっと話は簡単に終わっていたはずだ」
「でしょうね」アークは淡々と肯定した。
「けっきょく、その身体も含めて。キサマはなんなんだ」
「触ってみたらわかるかもしれませんねぇ。俺は、おすすめしませんけど」
つまるところ、教えるつもりはないらしい。
「で、どうしたんです?」
「……歴史書には、暗黒時代末期に〈暁の英雄〉が〈雪果ての魔王〉を討ちたおしたことで、魔族は大陸から消え、人類は存続したとされている。キサマは、魔導術が魔導時代の崩壊とともに失われたものであり、そして、魔導術式は、人々が魔導術を広く使うべく形態化されたものだと話していたな」
ええ。アークはうなずいた。
「であれば、その時代。人族には魔導術をあつかえる者がすくなかっただろうことは想像に難くない。さらにいえば、魔導武具の元になった〈原初の魔導武具〉は、人族が魔族との戦争に備えて製造・量産した兵器だ。こんなものでなければ……こんなものを作らなければ太刀打ちできないような魔族らは、歴史書に記されているように高度な知性と暴虐のチカラをもつという。では、そのチカラとはなんだ。それこそ、魔導術ではないのか」
アークはとくに答えなかった。
「たとえば。ただ〈雪果ての魔王〉を――敵の頭を潰したとして。その下にいるすべての魔族が、まるで消えると思うか。否。もしそうであるなら、それは種や族などという呼び方はされないだろう。それこそ、亡霊などという観測しえないモノであるほうが、よほどおとぎ話として腑に落ちるというものだ。
もし歴史書にあるような、魔族が大陸から消えた、という表現が的確でないとすれば。たとえば、歴史から消えたと言いかえてしまえば、どこかで魔族が生きていた可能性はおのずと見える。言ってしまえば、消えたのではなく、観測されなくなった。あるいは、注目されなくなり、自然と記録から消えていった。――もっとも、魔導時代の記録の多くは〈白の破滅〉と呼ばれる世界的な自然災害によって、失われているのだが。……ともあれ、失われた魔導術と消えた魔族の、この符号。そして魔導時代から現代にいたる、人並外れた魔導適性をもつ〈白の一族〉。つまり、ソウは――」
「ちがいますよ」
柔和な声が、この思考を止めた。
彼は言った。
「すくなくとも、現代における魔族は、遥か昔の記録。その印象を借りたものでしかありません。現代における魔族の定義を、ただ暴虐のチカラをもち、かつ人類に害悪をもたらすもの――だとすれば、ソウくんも、ソウくんのお母さんも、魔族とは言えません。まぁ、すくなくともソウくんの異常な治癒能力については、特異と言えるでしょうが。
黒影ちゃんの言うように、魔族が血をつないでいたとしても、魔導時代から黎明期にいたるまで。そして、枝序暦がはじまって現代――この枝序暦一八八〇年代まで。どれほど途方もない時間が流れているか。人間は営みのなかで血を繋ぎます。めいめいの種と種が交雑し、あたらしい種が生まれ……言ってしまえば、現代の人々は、遥か昔にあったその種の血を引いていても、しかし異なるものです。いにしえの魔族の血を引いている人間なんて、見回せばどこにでもいるかと。なので、言葉として受け継がれた〈現代における魔族〉と、現代にいる〈事実として魔族の血を引く者〉は、ちがうのですよ」
翡翠色の瞳が、こちらをちらと捉える。
「さっきこの話をしなかったのは、ソウくんのためですか?」
「ただの憶測だ。わざわざ話すに値しない」
「じゃあ、ジッタさんの話は嘘と?」
「否」首を振る。「そもそも、言い伝えが事実そのものとは限らん。記憶や口伝は脚色や誤認で形を変えていく」
そうですねぇ。アークは緩慢とうなずいた。
「キサマこそ、なぜこんな妄想じみた話を聴きにきた。他者との交流はナギに任せているのだろう」
「欲が出ました」
アークは、ばつの悪い表情を浮かべて、くす、と息をもらした。
「思ったより、居心地が良くて。俺は黒影ちゃんとソウくんに対して、もちろんあるていどの情はありますが。独占欲も、狂おしいほどの執着心もありません。持ちつ持たれつがちょうど良くて。そんなわけで、すこし、欲が出たんです」
「キサマの欲はなんだ」
「話がしたい。話を聞いてほしい。共に時間を過ごしたい。わかってほしい――そういう、ごくあたりまえのものですよ」
アークは悠久の空を遠く眺めた。
「だから、手放したい」
ぽつり。彼はこぼす。その横顔は、ひどく淡々としていた。悲しいとも、絶望ともちがう。
「俺はね、〈ナギ〉が羨ましいと。たまに思うのですよ。なんにも知らない顔をして、人と笑いあって。だから、ときどきぜんぶ教えてやりたくなるんです。お前はそうやってかかわった人のことを、ぜんぶ忘れて、楽しく生きてるんだって。つらいことだって、誰かがいなくなったことだって、なかったことにして。俺だけが、〈ナギ〉のぜんぶを覚えてるんです。俺だって、忘れたいですよ。それができないから。許されないから、憎らしく思うのです」
「難儀なものだな」黒影は息をついた。
「どこにもあてがないんです。俺は」
茫洋とした翡翠色の瞳には、鏡面のようにただ星空が映っている。彼の瞳で瞬く光は上滑りするだけで、翡翠色の奥底を照らすことはないらしい。
「だから、手放したいんです」
「ソウと似たようなことをいう」
黒影が辟易としたように舌打ちをすると、アークは笑った。
「ちょっとした親近感は、ありますね。ソウくんはどう思ってるかわかりませんけど、俺はトモダチだと思ってますよ?」
「ワタシに言うな」
「え~、だってソウくんは、きっと『ありがとう。嬉しいよ』ってしか、言わないじゃないですか。あとは『俺も頼りにしてる』とか『助けられてるよ』とか。もれなく笑顔で」
「だろうな」
黒影は、ククと笑みをこぼした。アークもたいがい、ソウのことをわかっている。声の調子や笑みのつくり方……真似がなかなかに上出来だ。
「まぁ、いいんですよ。いちいち確認しなくたって」
「世の中の女は言葉にしてやらないと不安らしいぞ?」
「ソウくんは男じゃないですか。っていうか、それどこ情報です?」
「〈太陽一座〉の踊り子たちが喧しく話していた。女はこうだ。男はこうだ。恋人にするならどうだの、結婚するならこうだの。よくもまぁ、あれほど未来の展望と理想について長々と話せるものだ」
息をつく。
「黒影ちゃんはそういうの、ないんですか? ほら、ソウくんはからっきしですけど。黒影ちゃんはそんな感じでもなさそうな」
「興味がないわけではない。だが必要かと問われれば、ぜったいでもない。そも、そういった恋人だのという求め方をする人間とは、価値観が合わんだろうよ。――キサマはどうだ」
アークは「え? そんなに興味あります?」とニマニマと笑った。
「いちいち茶化すな。面倒くさい。ワタシはキサマと暇つぶしに会話をしているだけだ。蹴り殺されたいのか」
つま先でアークの横腹をつつくと、彼はヒィと短い悲鳴をあげてバタバタと身を退いた。一本先の柱を盾にして、ふてくされた表情をしてみせる。
「はいはい。わかってますよぅ、もう。すぐ睨むんですからぁ。そういうの、トモダチできませんよ?」
「もしなれ合いを求めているなら、自ら最前線の死地へ身を投じるなどという、酔狂なことなどするものか」
「そうですけどぉ。っていうか、自覚はあるんですね」
「すくなくとも、ソウよりはな」
座り直して、はぁと息をつく。アークもややあって、定位置へ戻り、腰を下ろした。
「踊り子曰く。世の中の男女は、恋をし、結ばれ。愛を営み、結婚し。子をこさえ、目の前の困難に対して、共に手をとりあい乗り越える。なにげないことに幸福を感じ、満たされ、それがいわゆる幸せのカタチなのだと。〈家族〉なのだと。そのように説教された。理解できたためしはないが、ミツとジッタを見ていて、ああそういうものかと。外形は多少なりとも理解した」
「やっぱり、壊したくなかったんですね」
「……壊すことにためらいはないが、おもしろくないものに手間をかける趣味もない」
アークの言葉を訂正して、黒影は続けた。
「ソウが弟の話をするときも、同じだ。世の中の人間がえらそうに語る家族のありさまは、きっとこういう、さぞ美しい家族愛を指すのだろうと思った」
「黒影ちゃんは、いつか。そういう家族がほしいですか?」
「いらん」首を振る。「理想と現実はちがう。そして、その家族とやらは、けっきょくのところ、他人同士でしかない。お互いが相応に関係性を保とうとしなければ、破綻して終わるだけのものだ。信頼だのと耳ざわりのいい言葉をつかって自分の欲望を脚色し、かってに期待し、希い。たとえば、同じように〈家族〉という言葉で価値観の違いを押し隠し、暗黙に。盲目として愛をのたまうのならば、それはもはや人形遊びとさほど変わらん。それを〈家族〉と言えばなるほど感動的だろうが、事実は支配と依存に帰結した他人同士の関係性でしかない」
そこまで言って、黒影は翡翠色を見やった。
「俺ですか? 望むほどのものはありませんけど。しいて言うなら、俺はごっこ遊びでいいです。本当に愛してしまったとして、それを喪うのは……もう」
「想い人を亡くしたか」
「いえ。俺が記憶しているかぎりではありません。ただ、想像するとどうしようもなくて。だから、寂しいときに、誰でもいい誰かがとなりにいて。なんとなく満たされた気になれれば、じゅうぶんなんです。相手も同じ考えなら、おたがいに傷ついたり、傷つけたりしないので。だから、そういうのがいいんですよ。俺は」
アークはくせのように、左耳のピアスへ触れた。片耳だけの黒曜石の輝きをなだめて、彼はまた、星空を見る。
「でも、たぶん。〈ナギ〉はちがいます。〈ナギ〉は誰かと一緒にいたくて。誰かを愛したい。ずっと一緒にいたいと、願っています。けれど、それは叶わない。だから……」
アークは、わずかにうつむいた。
「俺は居心地が良くて。〈ナギ〉は誰かのそばにいたくて。だから、こうしてお二人と共に過ごす旅が、続けばいいのになと。俺も〈ナギ〉も一致してしまって。こまったことに、いまの状況は、あまりにも都合が良すぎるのです」
「キサマはどうする」
「わかりません。俺は、あくまでもこの身体の生存を第一としています。なので、〈ナギ〉がいうように、いつしかふらりといなくなったら、そういうものだったと思ってください」
「……まるで、自分の身体が自分のものでないような言いぐさだな」
「言ったでしょう。借り物の自我、のようなものだと。〈ナギ〉も俺も、まちがいなくこの身体のものです。けれども、最初から俺や〈ナギ〉があったわけではありません。いわば、混沌から輪郭を帯びて形になっただけのものです」
「アークもナギも、主の人格ではないと?」
「人格、というにはやや語弊がありますが。概ねそうです」
アークがうなずいた。
「その源流はなんだ」
「わかりません」
柔和な声は、はっきりとした語調で告げた。
「俺には決定的に、始まりが欠けているのです。俺が俺であることを自覚したときには、もう。残っていたのはこの身体と、〈生存〉という使命――使命、と言うべきかは、わかりませんが。ともかく、そういった理由で、俺は生かし続けなければいけないのです」
黙って聞いていると、アークはなんてことのない日常会話をするように、訊ねてきた。
「たとえば。俺がこの使命を手放したいと言ったら――黒影ちゃんは、俺を、殺してくれますか?」
「魔狩の規約に準じた大義名分があれば斬ってやる」
アークは、ふふと微笑をうかべた。
「そういうところ、やさしいですよね」
「ワタシはあくまでも、戦いの境地――その果てにある、鮮烈な生を、痛烈に。この身で感じていたいだけだ。何度も言うが、人殺しは趣味ではない。目的がちがう」
つきかえして、ふと思考する。また口をひらく。
「この先、もし人間を殺すのであれば……おそらく、ソウで最後だろうよ」
「それは、どういう意味で?」
「言葉のままだ」
「残念。フラれちゃいましたねぇ」
アークはくすくすと笑った。




