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第38話 ギュッと




 それだけでは止められるほどのことでもない。そう思うかもしれないが、伊桜の性格をよく知り始めた今だから思う。こんなことをするような人ではないと。


 ギャップという面は何度も見てきた。今日だって高低差の激しい伊桜に何度も幸福感を味あわせてもらった。だがこれはそれを優に越えている。


 クールとして性格を築くからこそ、こういう隠そうとしている可愛い一面が、こうして顕になっているのが余計に可愛く映る。全く、美少女というものはクールでも可愛くても心臓に悪い。


 「何歌ってるんだ?最近流行りの歌か?それとも好きなアーティストの歌か?」


 気づけば冷たいコップで首元を冷やして驚かすことはなくなっていた。流行りにも歌にも疎い俺は、今鼻歌で楽しそうに歌っていた曲を知らない。


 「……いつから居たの?」


 「15秒前だな」


 「……最低」


 俺が声をかけるとビクっとして後ろを恐る恐る振り返る姿は、まさに見たくないものを見られた時のつい出てしまう癖だろう。


 このまま振り向かせるのも伊桜に悪いと思い、俺はさっきと同じ場所、伊桜の隣に屈む。まだ伊桜の花火は消えない。一体どれだけ長く散らし続けるのだろうか。


 「楽しく幸せそうに歌ってたから、それも可愛くて俺からしたら良かったけどな」


 これは本音だ。今までもずっと本音を冗談のように言っていたりしていたが、これは伊桜にも十分に伝わるほど心の底から思って言ったこと。


 それを理解してくれたか、伊桜を見てイジろうかと隣を見る。しかし、目の高さや場所、全てを把握していたがそこに伊桜は見えなかった。


 でも理由は分かった。


 「……うるさい」


 1言聞こえるか聞こえないかの声量で言うので、いつもの辛辣さは何も感じられない。だが、だからこそ、花火として綺羅びやかな火花に頼って、顔を隠そうと俺の方向に顔が見えないように向けてくる。


 これは恥じらいを隠すためなんだと、アホでバカな俺にでも余裕で分かった。


 確かに俺からはしっかりと隠されていて伊桜の顔は見えない。頬が赤いなんて憶測でしかイジれない。でも、それでも絶対に染めているんだと自信を持って言えるほど、この空気感は俺に伊桜を教えてくれた。


 この瞬間、胸がギュッと何かに掴まれたように一瞬苦しくなったのを感じた。生まれてから健康体だった俺にそういった持病はないし、今までもそんなことはなかった。


 初めて起きたこの感覚。不思議と体に害をなすことではないと、本能では分かっていた。右手にはまだ冷たくて溶けない氷を入れたコップを持っている。すっかり忘れるほど、その伊桜に目を奪われているのだ。


 人生で1度見れるか見れないかのその姿。俺にはそう思えて仕方なかった。焼き付けないといけないと躍起だった。


 そして火花が勢いをなくし、風鈴が1度鳴らされると、ロウソクの僅かな明かりと、リビングから差し込むような明かりが俺たちを照らす。


 「……火、消えたぞ」


 「知ってる。もう最悪な気分」


 静寂を切り裂いた俺の、動揺を落ち着かせるまでの時間はかつてないほど長く、それは伊桜も同じだった。すぐにいつもの調子を取り戻し、何事もなかったかのように頬は透き通る。


 辛辣で俺を嫌うかのような声色は戻って来て、2秒前の伊桜怜はどこに行ったのか、この伊桜に聞きたくなるほど興味というものをそそられた。


 「びっくりするほど可愛い照れ方に惚れ惚れしたぞ」


 これが俺のいつもの調子だったなんて、ギュッとした感覚の後だと変人と思える。恥ずかしさも、アホらしさも隠しているが、内心は真っ赤だ。


 「……なにがあっても変わらないね。()()()


 「伊桜は変わったみたいだな」


 「君の名前に君付けは必要ないって今思った。仲が深まったからとか、そういう意味じゃなくて、単純に、付けるほど()()()でもないと思ったから」


 「俺は好きなように呼んでくれたらそれでいいと思ってる。なんなら伊桜だけ俺のことをあだ名で呼んでくれても良いんだぞ」


 「それは不必要。あだ名を考える時間が勿体ないよ」


 「失礼だな」


 実はあだ名をつけられることは好みではない。隼と名前で呼んでくれるならそれがいいし、いつメンでも俺を名字で呼ぶのは千秋だけ。


 でも伊桜にならいいと思ったのは何故か俺にもまだ理解が追いついていなかった。


 すっかりいつもの雰囲気に戻ったが、思い出せばすぐに可愛かったと何度も思う。バレないように、そして最大の記憶になるように頭の中を整理したいものだ。


 「あっ、そうだ。喉乾いてるかもなって思って持ってきたんだけど、飲むか?」


 「うん、ありがとう」


 少し口角を上げて感謝されるだけでウキウキになるのは、俺もそろそろ時間の問題なのかもしれないと自覚させてくれる。


 似た者同士、一気に飲み干すとプハーっと生き返るように元気を取り戻す。


 「ってか私をこれで驚かそうと背後に忍び寄ったってことね」


 「えっ、なんで分かった?」


 「天方のすることはだいたい予想つく。重症変態ストーカーが普通の変態ストーカーと同じことをするとは思わないから」


 「これって重症なんだな。名誉とでも受け取っておこうかな」


 「それでいいと思うよ。一生そのまま恥ずかしい異名つけられて生きていきな」


 「伊桜の重症変態ストーカーなら、その命令にも従うから問題ないぞ。むしろ命令なんてご褒美だろ」


 「完全にそっち側に行ったんだね。さよなら」


 まじでどこに行ったんだろうな、さっきの伊桜。この辛辣伊桜も本当なのだろうが、もう1つの本当の姿も長い間見たいものだ。出来るなら死ぬまでは。

 少しでも面白い、続きが読みたい、期待できると思っていただけましたら評価をしていただけると嬉しいです

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