第1話 見つかりたい男-4
あの蝿川とかいう営業は、とても不遜だった。
あんなに不遜だったのに、心はなぜか晴れやかだ。
人に話を聞いてもらうというのは、やはり大事なことなのだと思う。
強いて言うなら、隣に座っていた新卒らしき若い男が心配になった。
あれはタイピングが遅い。
この先、あのスキルで会社員をやっていけるのだろうか。
ともあれ、本音を吐露したのも久方ぶりだった。
人間はやはり正直に誠実に生きるべきだ。
自分がいかに無理をして生きていたかを実感した。
さて、名刺を差し出されたのは、部屋を借りたときの不動産屋以来だったので、これを仕舞う場所がない。
やたら勿体ぶって出すものだから、大層なものかと思って、おっかなびっくりと受け取ってしまった。
そのあと表を見ても裏を見ても、特段何も変化はなかった。
蝿川とやらは、何と言っていたか。
「見つかる時って、だいたい急に来ますから」
急に来るとはなんなのか。
明日からにでも、努力が認められるということなのだろうか。
それなら、悪いことではない。
これを機にさらに一皮剥けるなら、今の環境なんて些末なことだ。
もしも願いが叶ったなら。
見つかることができるなら。
思わず、名刺を握りしめる。
しかし、すぐさま嫌な手触りがした。
掌を開いた。
手汗のせいだろうか。
名刺が、千切れていた。
……もしかしたら、何かが始まった合図だろうか。
祝福されるような事象が、いよいよ自分にも降って湧いたのだろうか。
いいや、そうだとしたら、降って湧いたのではない。
自分を信じて、勇気を出して、自分でこの相談をしにきたのだから。
胸が、少し高鳴った。
翌朝、派遣先で名前を呼ばれた。
正しく呼ばれたのは久しぶりだった。
昼に行ったコンビニでは、レシートを渡されるときに手が触れた。
店員はすぐに「失礼しました」と言った。
社内のエレベーターでは、俺の降りる階が既に押されていた。
隣に立つ男は、スマホの向きを俺には見えない角度に変えた。
帰りの電車では、右隣の女が座り直した。
目の前に立っていた女は、吊り革を持つ手を替え、その拍子に裾を直した。
今日は、道で他人とすれ違った時に傘がぶつかった。
相手は俺に会釈した。
今日は、派遣先の給湯室で、社員が二人、声を落として笑っていた。
俺を見て、笑うのをやめた。
今日は、更衣室に入った時、会話が一拍だけ止まった。
シャツを脱いだときだった。
今日は、妊娠した女性のデスクに、本が一冊、置いてあった。
俺が昔、途中で読むのをやめた本だった。
今日は、
今日は。
今日は。
今日は。
今日は。
今日は。
見られている。
俺はスマホを見る。
Xを開く。
『面白い』
『分かる』
『もっと知りたい』
世界が、自分の方へ少しずつ向きを変えている。
『目が離せない』
『すごいことしそう』
『見てます』
嫌なことを書かれている気がした。
けれど、見られている。
見られているなら、いい。
通知が鳴る。
『見てます』
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通知が鳴る。
『見てます』
昨日も。
今日も。
明日も。
明後日も。
明々後日も。
DM欄には、下書きが一つだけ残っていた。
『このたびは、おめでとうございます』
送るほどのことではない気がした。
消すほどのことでもない気がした。
すごく、些末だ。
通知が鳴る。
『見てます』
俺は、DM欄を閉じた。
「……まあ、いっか」
部屋は静かだった。
画面だけが眩しい。




