コンタクト
歴史上初となるファーストコンタクト。
しかし、相手が何を考え、何を求めているのかは誰にも分かりません。
果たして人類の呼びかけは届くのでしょうか。
楕円の物体は、瞬く間に世界中のニュースの中心となった。
SNSでは「宇宙人による地球侵略が始まる」「コンタクトを取る方法がある」「昔、似たような物体を見たことがある」「この出現は予言されていた」など、真偽の定かでない情報や憶測が洪水のように溢れていた。多くの人々は危機感を抱くどころか、どこか第三者のような立場で、この未曾有の出来事を娯楽の一つとして消費しているようにも見えた。
一方で、その存在は世界情勢にも大きな影響を及ぼしていた。長く争いを続けていた国々でさえ、「今は戦っている場合ではない」として一時停戦に踏み切る動きを見せた。しかし、その平和的な変化の裏側では、物体がいつ動き出すか分からないという不安が広がっていた。
各国は航空機の運航を厳しく制限し、飛行を許可された機体だけが空を飛ぶことを認められた。その影響は人の移動だけでなく物流にも及び、世界経済にも静かな混乱の兆しが現れ始めていた。
日本では全国を対象とした緊急事態宣言が発表された。テレビは全局が特別番組へと切り替わり、連日イリプソイドの報道を続けている。スーパーや量販店では食料品やトイレットペーパーの買い占めが相次ぎ、各地で品薄状態が問題となっていた。
人類はこれまで数え切れない危機を乗り越えてきた。しかし、今回ばかりは違った。目の前にあるのは国家でも災害でもない。人類の常識の外側から現れた、正体不明の存在。その存在に対し、世界はかつてない速度で反応し始めていた。
物体が出現してから3時間後、世界主要十か国の首脳による緊急会談が開かれた。
相手の科学技術レベルは未知数であり、少なくとも人類を大きく上回っている可能性が高い。報復を恐れたのか、それとも純粋な警戒心からか、攻撃を主張する国は一つもなかった。
四時間に及ぶ協議の末に導き出された結論は極めて単純なものだった。
物体ははあまりにも高高度に存在しており、現時点の技術では積極的な接触は困難である。ゆえに、人類は相手からのコンタクトを待つしかない。
そして会談で唯一、全会一致で決定した事項があった。
楕円体の外見から、その物体は正式に「イリプソイド」と命名された。
それから三日間、イリプソイドに変化はなかった。空に浮かび続けるだけで、移動も攻撃も通信もない。危険性は低いと判断され、イリプソイド直下にある研究施設は『イリプソイド緊急対策本部』へと改編された。春野と野代もそこへ寝泊まりしながら観測と分析を続けていた。
そして四日目――事態は突然動いた。
日本中のテレビが一斉に途切れた。ドラマも、ニュースも、バラエティ番組も関係ない。すべての映像が黒く消え、次の瞬間、画面いっぱいに春野と野代の顔写真と氏名が映し出された。
続いて流れたのは、二人が気球に乗り込み、イリプソイドへ接近する映像だった。
映像は何度も繰り返された。
十分後、何事もなかったかのように放送は元へ戻ったが、日本中は騒然となった。緊急会議が招集され、各国の専門家による検証が行われた。
結論は一致していた。これは人類の技術によるものではない。
そして、イリプソイドからのメッセージである可能性が極めて高い。協議の末、世界各国はその要求に従うことを決定した。
翌日、JAXAが保有する高高度観測気球を搭載した大型トレーラーが研究所へ到着した。そして春野と野代は参謀長室へ呼び出された。参謀長は二人の姿を見ると、苦笑にも似た表情を浮かべた。
「申し訳ありません。イリプソイドからのご指名です。さらに世界首脳たちの総意でもあります。私としては、従う以外の選択肢がありません。」
春野は静かに頷いた。
「はい。覚悟はできています。準備が整い次第、いつでも出発できます。もちろん危険がゼロとは思っていません。しかし、野代とも話しましたが、あちらの意思に従う事になるので、おそらく大丈夫でしょう。」
参謀長は小さく息を吐いた。
「我々にできるのは、お二人の安全を少しでも高めることだけです。最高レベルの防護装備を用意させていただきます。」
そう言って机上の資料を二人へ差し出す。
「気球が上昇を開始した時点から、お二人の映像、音声、そして気球外部の映像は世界中の研究機関へライブ配信されます。」
資料をめくりながら説明は続く。
「また、イリプソイドから質問があった場合の回答案も準備済みです。ヘルメット内の通信機を通して指示を送りますので、その内容に従ってください。」
「なるほど。」
「逆に我々から行う質問も用意しています。通信が途絶した場合に備え、回答例と質問内容をまとめたノートも携行していただきます。」
春野は資料を閉じた。
「ありがとうございます。その方が安心できます。私たち二人の発言だけで、人類の未来が左右されるような事態は避けなければなりませんからね。」
参謀長は真剣な表情で頷いた。
「まったく同感です。」
そして最後に日程表へ視線を落とした。
「気球の最終調整と気象条件を考慮した結果、出発は4日後を予定しています。」
部屋に静寂が落ちた。
その4日後が、人類史に刻まれる一日になることを、その場にいた3人は理解していた。
4日後。
天候は快晴。上空の風の流れも比較的穏やかであることが確認され、人類史上初となるファーストコンタクト作戦が開始された。
気球には高解像度カメラをはじめ、熱を観測するサーモグラフィカメラ、暗所撮影用の超高感度カメラ、赤外線や各種電磁波を解析するハイパースペクトルイメージングシステムなど、考え得る限りの観測機器が搭載されていた。
さらに、カプセル内の映像や音声、地上部隊との通信はすべて記録され、世界中へリアルタイムで配信される。事前確認も何度となく繰り返され、準備に抜かりはなかった。
春野と野代は宇宙服を思わせる防寒スーツに身を包み、気球下部に設置されたカプセル型コックピットへ乗り込んだ。
気球の上昇の操縦はすべて遠隔制御。
2人にできることはただ一つ。
未知なる存在との対話に備え、その瞬間を待つことだった。
地球側が用意したコンタクト手段は、気球の東西南北に設置された100インチスクリーンだった。コックピット内の映像はもちろん、古代遺跡やピラミッドの写真、スポーツ映像など、人類文明を示す様々な資料が用意されている。
そして、全世界が見守る中、気球は静かに離陸した。上昇は熱気だけではない。4基の推進システムが補助することで、通常の気球を遥かに上回る速度で空へ駆け上がっていく。
コックピット内は加圧され、防寒スーツによって環境も保たれていたため、2人の身体に異常はなかった。
それでも春野は思わず息を呑んだ。眼下の景色が凄まじい速さで遠ざかっていく。都市が縮み、河川が細い線となり、やがて関東平野そのものが巨大な地図のように広がった。
ある高度に達すると上昇速度は徐々に落ち、気球はイリプソイドへ向けてゆっくりと接近を始める。
テレビ画面には、その全貌がかつてない鮮明さで映し出されていた。世界中の人々が固唾を呑み、その映像に見入っていた。
春野と野代もまた、モニターに映るイリプソイドを見つめていた。電磁波の波形、熱分布、各種センサーの数値。しかし、どのデータもその正体を語ろうとはしない。
そしてついに――。
気球はイリプソイドから1000メートルの距離へ到達した。人類が未知の存在へ最も近づいた瞬間だった。春野は深く息を吸い、世界へ向けて語りかける。
「今日という日が歴史に刻まれ、人類の新たな一歩となることを願います」
通信機の向こうから大きな拍手が聞こえた。対策本部だけではない。世界中のどこかで、同じ思いを抱く人々がその言葉を聞いていた。
まず春野はタブレットを操作し、ボイジャー一号に搭載されたゴールデンレコードの画像を表示した。
同時に、収録されている五十か国以上の言語を電磁波へ変換し送信する。画像は五秒ごとに切り替わり、挨拶やメッセージが次々と宇宙へ放たれていく。
十分間にわたり送信を続け、その後五分間待機した。
だが、反応はない。続いて光の三原色を用いた信号を試みた。
赤、緑、青。
異なるパターンを様々な間隔で表示する。
それでも変化はなかった。さらに白い背景に素数を表す黒点を表示し続ける。数学は宇宙共通の言語である。そう考えた人類の試みだった。しかし、それも沈黙に飲み込まれた。
再び待機時間が流れる。
春野は次の映像を準備するためタブレットへ視線を落とした。その時だった。野代が小さく息を呑む。
「……教授。」
春野は顔を上げた。イリプソイドを包み込んでいた青白い幕。これまで微動だにしなかったその光が――明らかに動いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ついにイリプソイドが反応を見せました。
長い沈黙の先に待っているものは何なのか。次章ではいよいよ人類と未知なる存在との接触が始まります。
引き続きお楽しみいただければ幸いです。




