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アクロス・ノア 涙が海にとけるまで  作者: フジアキ
第四章 水平線に望む
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幕間 四

 神殿に伝えられている儀式の中に、神の怒りを鎮めることを目的としたものがある。神の怒りとはすなわち雷のこと。つまり、雷を止ますための儀式だ。

 儀式は晴れやかな太陽の如き明かりが照らす祭場によって行われる。その場で、清らかな体躯を持つ乙女と、神に身を捧げるための舞を踊ることで、神はその怒りを鎮めるのだという。

 神の怒りを鎮めることができるのなら、その逆も然り。神を怒らせるということも、儀式では可能なはずだ。

 単に正反対の儀式を行えばいいという物ではない。神の怒りを招くには、相応の準備が必要になる。故に、理論的には可能だが、その手順や舞の長さ、祭場の質という理由で実現は不可能であった。――本来ならば。

 しかし、その場には聖槍があった。聖槍の名はグレングルム。グレンとは叫ぶ者を意味する古代の言葉で、グルムとは稲妻を意味する古代語だ。雷が神の怒りを意味するのであれば、グレングルムとは怒りを叫ぶ神を意味する。そして、その能力は赤き落雷。つまり、担い手の意思一つで、神の怒りを自在に呼び寄せることができる。

 雷を自在に呼び寄せることができるとなれば、儀式の工程として、その部分を省くことができる。ならば、後は呼び寄せた落雷の破壊力を増幅させ、狙った場所に落とさせるための座標を指定するだけだった。

 そのために、そこでは二つの儀式の準備がなされていた。一つは、落雷の破壊力を増幅させるための、いわば単純明瞭な儀式。もう一つは、落雷を落とす場所を決めるための、いわば避雷針を飛ばすための儀式だった。

 そして、それら二つの儀式は整った。後はそれを実行するのみだった。

 司教としての法衣に着替えたアースターは、三人の巫女が舞い踊る祭場の真ん中で立っていた。

 その瞳が見つめるのは、遠くの空に仄かな明かりを放っている王城。アースターはそこに狙いを定めるようにジッと見つめる。

「張りつめているな。緊張感が肌を突き刺すようだ」

 儀式の様子を遠くで眺めていたグライダムが、左脚の様子を確かめながらそう呟いた。

 エルノアが放った聖剣の一撃で左脚を失ったグライダムには、新たな脚が与えられていた。魔法研究所で開発されていた、エルディンによって操作する義足だ。

「脚の具合はいかがです、グライダム君」

「違和感はある。エルディンで動かすということなんで、やっぱり感覚が異なる。けど、だいぶ慣れてきた。走ったり飛んだりは無理だが、踏ん張るには十分だ」

 オーセムの質問にそう答えると、グライダムは義足にエルディンを強く流し、踏ん張らせる。すると、強く踏みしめた左脚がその場の地面を砕く。

 随分と元気になったものだ。騎士とは頑丈だと呑気なことを思いながら、オーセムは目の前で行われている儀式に再び目を向ける。

 子供のように目を輝かせている様子に、グライダムは少しだけ嫌悪感を抱く。

「そんなにも、この国が滅亡する瞬間が楽しみなのか」

 その質問に、オーセムは首を横に振って否定する。

「別に、この国の存亡は興味ありません。ですが、自分の成果がこうも大きく現れるという事実に、興奮は禁じ得ませんね」

「……そうか」

 グライダムがこの男に付き従うのは、エルダフィート王国に未来はないと感じ取っていたためだ。周囲を取り囲む敵対的な諸外国。時折見られる外国からの工作員。そう言った外部への警戒を密にした結果、疎かになる王国の田舎町の実情。如何に土地を侯爵の領地として下賜しても、国を守る騎士の人員には限界がある。そして、騎士の役目は国を守り、街を守り、王を守ること。その性質上、どうしても国の隅々にまで手が回らないのが実情だ。

 これが、周囲が敵だらけという状況でなければもう少し考えも変わるだろう。しかし、周囲が全て敵という事実は、グライダムを追い詰めた。

 技術が発展すれば、王国を守る山々もいつかは容易に乗り越えられてしまう。そうなれば、王国が潰されるのは必至だろう。それが数十年後なのか、あるいは明日なのか。国を守る騎士としての、その危険性への恐怖が、グライダムを裏切りへと走らせた。

 しかし、果たしてこの男に協力することは正しいのか。こんなにも自己中心的な男に従うことに未来はあるのか。そんな疑念が生まれていた。

「おお、そろそろですよグライダム君。よく見ておきなさい」

 オーセムのその言葉に、グライダムは祭場のほうを再び見た。

 儀式によって、エルディンがさながら空にかかる橋のように城のほうへと延びていた。それが避雷針を飛ばすための通り道なのだろう。これほどまでに明確に感じ取れるという事実に、グライダムは驚嘆していた。

 同じようにその通り道を見たアースターが、自らの仕事を始めるために動く。

 聖槍を逆手に構えた彼は、右腕を限界まで後ろに引き、城の方角に槍の穂先を向ける。

「神よ、その意を叫べ」

 アースターのその言葉は、神への申し立てだった。その力を貸してほしいという、願いだった。そして、聖槍に担い手であるアースターは、その願いを聞き届ける。

 さながらその言葉に呼応するかのように、聖槍全体に赤雷が起こり、槍そのものが雷のように激しく瞬き始める。それは、聖槍に赤雷の力を蓄えている証左だった。

 左足を力強く踏み込む。そして一歩前へと踏み出し、その勢いと共に右手に持っていた聖槍を遥か上空へと投げる。

 力強く放たれた聖槍は、槍がまとう赤雷の力によって加速し、儀式によって作られた通り道を乗り、吸い込まれるように王城へと飛んでいく。

 夜の空に聖槍が飛ぶその様子は、それこそ赤い流星のように見えるだろう。あるいは厄災の予兆。そう捉える人もいたかもしれない。

 聖槍が王城の壁に突き刺さる。担い手であるアースターはそれを感じ取っていた。振り向いたアースターは、その祭場から飛び降り、次の儀式の準備をしていた祭場の中心に立つ。

 そこでアースターは、全身から赤雷を起こす。放たれる赤雷は、祭場の床を伝い四方へと分かれ、祭場に終端でたたずむ巫女の全身を伝う。

 猛烈な痺れと熱、それらによって生じる痛みに苦悶の表情を浮かべる巫女は、全身を駆け巡る赤雷に自らのエルディンを限界まで込める。全身を焦がさんとする赤雷はより勢いを増し、次第に祭場全体が赤雷の瞬きに焼かれ始めていた。

 祭場を焦がすほどの赤雷。その中でもアースターは無傷だった。自らの生み出した赤雷が彼自身を傷つけることはなく、巫女の苦痛に喘ぐ悲鳴にただ心だけが焼かれていた。

「あなたの意思は彼らに届き、しかし伝わることはない」

 まるで洞窟で叫ぶかのように、アースターの声は木霊した。それはさながら、神に自らの意思を伝えているかのようで、その場にいる誰もが――赤雷の苦痛に喘いでいた巫女ですら注目した。

「であれば、その怒りは振るわれるべきであろう」

 アースターが空に向けて手を伸ばす。まるで何かを掴まんとするそのすぐさに呼び寄せられるように、祭場を覆う赤雷が彼の手に集う。

 赤雷が象ったのは、聖槍に似た槍のようなものだった。

「――神敵は彼方にあり」

 象られた槍を再び逆手に持つと、今度はその穂先を王城より更に上の空へと向け、投擲の姿勢を取る。そして、再び槍が放たれる。

 槍が放たれると、巫女や祭場を焦がさんとしていた赤雷は失われ、痛みから解放された巫女は一斉にその場に倒れ伏した。

 アースターは自ら放った赤雷の槍をジッと見つめる。放った槍は、次第に槍という形から紐解かれ、赤い稲妻が空へと遡っていく。そして、空に赤雷が落ちると、どこからともなく赤雷をまとった暗雲が王城の上空に集まり始めた。

「裁きを下せ」

 ポツリと、小さな声でアースターが呟く。

 その刹那、音よりも早く曇天より赤い稲妻が王城に落ちた。


    *


「――頃合いだな」

 王城に落ちた赤い稲妻は、南部の山壁――隧道の建設現場跡地にいたルーフィドにも確認できた。

 それが合図だった。ガグランダがエルダフィートに攻め込むための合図。ルーフィドの仕事の始まりだ。

「これから何をするんですか」

 肩を回すルーフィドの様子を後ろから眺めていたヴァストンがそう訊ねる。ルーフィドは僅かに彼のことを見ると、笑って見せた。

「この埋まった隧道を完成させるのさ――聖鎚でな」

 そう言うと、ルーフィドは拳を握り締め、それで思いっきり地面を殴りつけた。拳が手首まで地面に埋まったのを見て驚いたヴァストンだが、それ以上に、まるで呼応するかのように地響きが起こったことに戸惑いを見せる。

「来いよ、フェルヴァーツェン!」

 聖槌の名を呼ぶと、周囲の地面が盛り上がり、青い炎が噴き出す。いきなりのことに驚くヴァストンを余所に、ルーフィドはゆっくりと地面から拳を引き抜く。

 引き抜いた拳にはそれが握られていた。聖鎚・フェルヴァーツェン。無を踏みしめて大地を創ったとされる、神の脚だ。

 地面から聖鎚を呼び寄せたルーフィドは、それを手の上で弄びながら、塩の結晶で埋まった隧道に近づく。

「また、随分な有様だよな。聖剣って言うのは、こんなことまでできるのか」

 ディンを塩に変え、人の体すら塩にする凶悪なまでの殺傷性。その上、塩の結晶を生み出すとなると、その汎用力は聖槍並みだった。

 あるいは、勇者が聖剣を使いこなせるだけの力量に達していたら、戦闘技術という面で劣るアースターでは、対処しきれなかったかもしれない。

 聖鎚を逆手に持ったルーフィドは、全身のディンを起こす。すると、彼の周囲に青い火花が散り始める。逆手に構えた聖鎚からは青い炎が二条の帯となって噴き出す。

 強烈なまでの熱量だ。ヴァストンは初めて肌で感じる神威の質に、腰を抜かしかけていた。

 聖人と英雄の監視。ヴァストンは未だにガグランダ大公の真意を測りかねていた。もし、彼らを裏切らんとすれば、この神威が自分達に向けられる。それは絶望的と言わざるを得ない。

 ヴァストンの不安を知る由もなく、ルーフィドは存分に聖槌の力を振るう。

 周囲に公表されている聖槌の力は、大地の底を流れる溶岩を操るというものだ。それは決して間違いではないが、正しい訳ではない。より正確に言うのなら、大地が貯えた力そのものを操る能力だ。

 その神威の一つを、ルーフィドは振るわんとしていた。それは、聖槌の成り立ちから容易に想像のできる、原始的かつ偉大なる御業――大地の創造だ。

 裂帛とした声と共に、ルーフィドが聖鎚を大地に叩きつけるように拳を放つ。聖鎚が叩きつけられると、大地の奥底からまるで何かがせり上がってくるような揺れに、もはやヴァストンは立っていることすらできなくなっていた。

 次第に地形に変化が起こる。目の前の塩の結晶で埋め尽くされていた隧道の天井に亀裂が走り、それが山の頂まで登っていく。

「山が、割れる……っ」

 揺れが強くなると、次第に目の前の山が割れるように左右へと移動していく。否、そうではない。フェルヴァーツェンは山を割ったのではなく、山の底から、新しい大地をせり出させているのだ。

 割れた山の地表には、青い炎と共に煌々と輝く大地がせり出ていた。本来なら長い年月をかけてせり出るはずだった地底の地層を、短時間で急激浮かび上がらせる。それにより、周辺の地形は瓦解する。強制的な地殻変動。フェルヴァーツェンの神威が一つ『踏み潰す巨人の足跡(リヒ・チェイント・ヴァーツェン)』だ。

 揺れが収まる頃には、山を割ってせり上がって来た大地の輝きは収まり、真新しい土の色となっていた。

 生み出された新たな大地の先には、数多の兵士達が隊列を成していた。その兵士達も山が割れるという事態に恐れ慄いているのは容易に想像できた。

「これで、俺達の仕事は終わりだ」

 そう告げたルーフィドは、新たな大地の上の上を歩き始めた。それを追ってヴァストンもその大地を踏みしめる。熱せられた大地のような温かさが靴の裏から伝わってくる。生まれたての大地。そんな言葉が脳裏に過り、柔らかなそこをヴァストンも歩く。

「こんなことができるのなら、どうして最初から聖槌の力を使わなかったんですか」

 これほどのことができると思っていなかったヴァストンは、思い切って前を歩くルーフィドにそう訊ねた。

「単なる利権の問題さ。大公様は、俺達の力をあまりあてにしたくないみたいだ」

 ルーフィドはガグランダに古くからあるジェーロ族の長だ。ある種、現在のガグランダ政権とは隔絶した価値観にある。その上、ジェーロ族は現在の政権に介入しようと画策している。そんな相手に協力を申し出ることを躊躇うのは、至極当然の考えだ。

 そんな相手と協力しないためにも、エルダフィート側とガグランダ側、共同で隧道の建設を計画していたが、露呈して頓挫。結局、聖槌の力に頼らざるを得なくなった。

「もっとも、聖槌の力だけでこれだけのことを起こすのは無理だがな」

「そう、何ですか?」

「神様自身がこの力を使えば無理じゃないのかもしれないし、俺もかなり無茶をすればできるだろうさ。けど、山って言うのはそもそも、大地の力が収束してる場所だ。そこを割って新しい大地を生み出すには、流石に聖槌の力だけだと出力不足だ。無理にやろうとすれば、かなり時間がかかる上に俺の消耗が激し過ぎて倒れる。しかも、聖鎚の力はどうしても隠蔽には向かない。絶対に敵側に気づかれる」

 そう言いながら、ルーフィドは新しい大地の上に散らばる、砕け散った塩の結晶を拾う。

「だが今回は、力を使う場所に隧道ができてたからな。そこを起点に力を使えば、山が勝手に割れるのはわかってた。しかも、聖剣の力で地盤が弱ってたのか、山そのものが随分と弱ってた」

 手に持った塩の結晶を握り潰して見せると、ルーフィドは目の前に広がるガグランダの軍勢を見る。

 その数はおよそ一万。侵攻するには少ない数だが、背後からの奇襲部隊としては十分の数だろう。

「ガグランダの勝利は目前だ。さて……」

 ルーフィドが遥か彼方で燃え盛る王城を望む。国の象徴の崩壊は、兵士からも国民からも希望を奪う。

 もはや、エルダフィートが生き残る道はほとんど閉ざされた。

「エルダフィートの連中は、果たしてどうするかね」


幕間 四を読んでいただきありがとうございます。


次話もよろしくお願いします。


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